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信州 長野へ(松代城編) [甲信越]
信州長野の記事の最後は、日本100名城の1つ、松代城です。
松代城は、永禄3年(1560年)ごろ、武田信玄が築城しました。当初は海津城と呼ばれ、川中島の戦い
の舞台となります。その後、織田信長の家臣や上杉景勝の武将が入城するなど、城主はめまぐるしく交代しました。そそて、元和8年(1622年)に真田信之が上田から松代藩10万石の藩主として移り、
以降、10代250年の間、真田氏の居城となりました。
現存するのは石垣のみですが、2004年に櫓門・木橋・石垣・土塁・堀などが復元されています。
また、城下には、藩校や武家屋敷など、江戸時代の面影を今に伝える貴重な建物が現存していて
いますので、見学の際にはそうしたスポットとセットで見て回ると、松代藩のことをよりよく
知ることが出来ます。
こちらは、太鼓門と、太鼓門前橋です。本丸の大手を固めていた枡形の門です。
太鼓門の右手の堀です。
本丸の南側の二の丸の土塁。
二の丸南門の石垣。
太鼓門をもう1枚。
本丸の東側の堀と石垣。
本丸の東側に広がる二の丸。
本丸 東不明門跡。
本丸。
戍亥隅櫓台の石垣。野面積の石垣です。
北不明門。本丸の裏口(搦手)に位置する門です。
これも北不明門です。太鼓門と同様に、枡形の門です。
本丸北側の堀と土塁。
本丸の北東側に広がる二の丸。
本丸の北西側。
埋門跡。
太鼓門の西側の堀。
ここからは、城下の遺構をご覧ください。
こちらは真田邸です。真田邸は、幕末に参勤交代制度が緩められ、9代藩主・真田幸教の義母・貞
松院が松代に帰ることになり、その居宅として元治元年(1864年)に建てられました。
後には隠居した幸教の住まいとなり、明治維新後は、真田家の別邸となりました。
真田邸の庭園。
真田邸の主屋。
旧文武学校。嘉永6年(1853年)に建てられ、安政2年(1855年)に開校した松代藩の藩校です。
多くの建物は当時のまま残っています。写真は、番所と表門です。
こちらは、旧文武学校の東序(教室)。
これも文武学校です。弓術所の中から撮ってみました。
旧樋口家住宅。樋口家は真田家の家臣として、藩の目付け役などを務めました。写真は主屋で、
文久2年(1862年)の修理された記録があり、それ以前の建物です。
旧白井家表門。中級藩士白井家の表門で、平成12年に現在の位置に移築しました。
弘化3年(1846年)に建てられました。
最後に、旧前島家住宅。前島氏は上田、松代を通じて代々真田家に仕えた家臣で、宝暦9年(1759
年)建築の主屋は、現存する松代藩士の屋敷としては最も古い時代のものです。
ちなみに、長野駅から松代城に行くには、公共の交通機関だと、30分おきに出ているバスに30分
乗ることになります。片道650円です。タクシーだと約5,000円です。
となると、レンタカーがおススメです。私はJRの駅レンタカーでハイブリッドの小型車を借りま
した。インタネット予約だと4,860円くらいでした。ガソリン代は310円。
バスの待ち時間や、松代での各施設への移動を考えると、こちらの方がお得ではないかと思いま
した。少なくとも、2人以上で行くならレンタカーにすべきです!!
松代城は、永禄3年(1560年)ごろ、武田信玄が築城しました。当初は海津城と呼ばれ、川中島の戦い
の舞台となります。その後、織田信長の家臣や上杉景勝の武将が入城するなど、城主はめまぐるしく交代しました。そそて、元和8年(1622年)に真田信之が上田から松代藩10万石の藩主として移り、
以降、10代250年の間、真田氏の居城となりました。
現存するのは石垣のみですが、2004年に櫓門・木橋・石垣・土塁・堀などが復元されています。
また、城下には、藩校や武家屋敷など、江戸時代の面影を今に伝える貴重な建物が現存していて
いますので、見学の際にはそうしたスポットとセットで見て回ると、松代藩のことをよりよく
知ることが出来ます。
こちらは、太鼓門と、太鼓門前橋です。本丸の大手を固めていた枡形の門です。
太鼓門の右手の堀です。
本丸の南側の二の丸の土塁。
二の丸南門の石垣。
太鼓門をもう1枚。
本丸の東側の堀と石垣。
本丸の東側に広がる二の丸。
本丸 東不明門跡。
本丸。
戍亥隅櫓台の石垣。野面積の石垣です。
北不明門。本丸の裏口(搦手)に位置する門です。
これも北不明門です。太鼓門と同様に、枡形の門です。
本丸北側の堀と土塁。
本丸の北東側に広がる二の丸。
本丸の北西側。
埋門跡。
太鼓門の西側の堀。
ここからは、城下の遺構をご覧ください。
こちらは真田邸です。真田邸は、幕末に参勤交代制度が緩められ、9代藩主・真田幸教の義母・貞
松院が松代に帰ることになり、その居宅として元治元年(1864年)に建てられました。
後には隠居した幸教の住まいとなり、明治維新後は、真田家の別邸となりました。
真田邸の庭園。
真田邸の主屋。
旧文武学校。嘉永6年(1853年)に建てられ、安政2年(1855年)に開校した松代藩の藩校です。
多くの建物は当時のまま残っています。写真は、番所と表門です。
こちらは、旧文武学校の東序(教室)。
これも文武学校です。弓術所の中から撮ってみました。
旧樋口家住宅。樋口家は真田家の家臣として、藩の目付け役などを務めました。写真は主屋で、
文久2年(1862年)の修理された記録があり、それ以前の建物です。
旧白井家表門。中級藩士白井家の表門で、平成12年に現在の位置に移築しました。
弘化3年(1846年)に建てられました。
最後に、旧前島家住宅。前島氏は上田、松代を通じて代々真田家に仕えた家臣で、宝暦9年(1759
年)建築の主屋は、現存する松代藩士の屋敷としては最も古い時代のものです。
ちなみに、長野駅から松代城に行くには、公共の交通機関だと、30分おきに出ているバスに30分
乗ることになります。片道650円です。タクシーだと約5,000円です。
となると、レンタカーがおススメです。私はJRの駅レンタカーでハイブリッドの小型車を借りま
した。インタネット予約だと4,860円くらいでした。ガソリン代は310円。
バスの待ち時間や、松代での各施設への移動を考えると、こちらの方がお得ではないかと思いま
した。少なくとも、2人以上で行くならレンタカーにすべきです!!
周りの山々に雪がありますね、寒そう。でも、葉っぱが落ちていて、石垣とかよく見られて良かったですよね。それがし、まだ今年になってお城に行ってないです、行かなきゃ。
by ノリパ (2015-01-25 07:02)