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勝連城跡(2泊3日の沖縄旅行②)  [沖縄]

10月31日、中城城跡に次に訪ねたのは、世界文化遺産であり、続日本100名城の1つでもある勝連城跡です。中城城跡からは車で30分ほどで到着しました。
勝連城は、15世紀、海外貿易により繁栄をもたらした阿麻和利が居城したことで有名な城で、一の曲輪から沖縄の青い海が一望できる有数の景勝地でもあります。
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勝連城跡休憩場の無料の駐車場に車を停めて、県道10号線を渡ったところに、勝連城跡が拡がっています。
四の曲輪へと向かう途中、左側に見えるのが「防御田地」です。「底なしの沼」と言われるほど水量豊富な
湿地帯だったそうです。
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四の曲輪への入口にあたる西原御門跡の脇にある「門口のカー」。「カー」とは泉・井戸のことで、
西原御門から城内に入る際に、訪問者が手足を清めるために使用していたそうです。
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四の曲輪です。
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四の曲輪から三の曲輪方面を見上げます。
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四の曲輪の石垣です。
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こちらは、三の曲輪側から見下ろした四の曲輪の石垣です。この城跡も、特長の1つが曲線状の石垣です。
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四の曲輪から三の曲輪へと続く石段です。勝連城跡のもう1つの特長は、各曲輪を結ぶ、城壁に沿うように
右側から旋回するような構造の石段です。
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「ウタミシガー」です。毎年、旧暦元旦の初拝みの際に一年の豊作・凶作をここで占ったそうです。
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三の曲輪の城門跡です。四脚門(藥医門)があったそうです。
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三の曲輪側から見た城門跡です。
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三の曲輪から一の曲輪へと続く、波を打つような形状の石垣です。
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三の曲輪です。
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三の曲輪と二の曲輪の間に石灰岩切石積で築かれた、二の曲輪の基壇です。
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二の曲輪です。舎殿跡の礎石が残っています。舎殿は首里城の正殿のような柱の多い構造で、勝連城の城郭内で最も重要な建物だったと言われているそうです。
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二の曲輪の舎殿跡の奥にある「ウシヌジガマ」です。危険が迫った際に逃げ込む場所だったそうです。
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「ウシヌジガマ」の隣にある「ウミチムン」(火の神)です。ウミチムンとは「三顧のかまど石」を意味する
言葉で、琉球古来の信仰で火の神が祀られているそうです。
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一の曲輪の西側、二の曲輪との間にある石垣です。
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一の曲輪の階段です。敵が一挙に侵入できないように、登るにつれて階段の幅が徐々に狭くなるという構造
になっています。
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一の曲輪です。一の曲輪には瓦ぶきの建物がありましたが、沖縄にある多くのグスクの中でも、瓦ぶきの
建物があったのは首里城、浦添城、そして勝連城くらいだそうです。
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一の曲輪にある「玉ノミウジ御嶽」です。御嶽は、琉球の神話の神が存在または来訪する場所で、ここは、
勝連を守護する大きなご霊石をご神体とする御嶽です。
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一の曲輪の北側の石垣です。見事なまでの曲線です。
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一の曲輪のから、二の曲輪そして三の曲輪に伸びる石垣を見下ろします。
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四の曲輪まで戻って、「仲間ヌウカー」です。この地域の鍛冶屋だった仲間家が使用していた泉があった、
ということです。
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最後に、四の曲輪の東側、南風原御門跡付近から見た城跡です。
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