沖縄の海(2泊3日の沖縄旅行⑤) [沖縄]
2か月も前の、たったの2泊3日の旅行なのに、ちんたらと記事にしている間に大晦日を迎えてしまいました。
文章力もカメラの腕もないので、このままブログを続けていくべきか悩むところではなりますが、とりあえず、
沖縄旅行に関する記事までは完結させよう、などと考えている次第です。
さて、今回は旅行先で見た海の写真などを紹介したいと思います。城跡を訪ねるついでに寄ってみたため、沖縄
らしいところは他にもっとあるとは思いますが、それでも、とても青く、サンゴ礁が拡がる「沖縄の海」を
楽しんできました。
まずは、2日目に行った備瀬崎です。防風林として植栽された「備瀬のフクギ並木」を通り抜けたところが
備瀬崎の海です。
この、緑のトンネルも、沖縄らしい雰囲気がいっぱいです。
備瀬崎から、「ミーウガン」という名の島の方を望みます。ちなみにミーウガンは、「神様の島」だそうです。
備瀬ビーチに拡がる海です。遠くに見える島は伊江島です。
続いての海は、同じく2日目に訪ねた古宇利大橋と古宇利島です。こちらの写真は、古宇利大橋の屋我地島側の
たもとにある、「美らテラス」からの眺めです。
海岸まで降りてみました。
古宇利大橋を歩いてみました。橋の両サイドに、青いサンゴ礁の海が拡がっています。
これぞ絶景、これぞまさに沖縄の海、って感じです。
橋を渡り、古宇利ビーチにやってきました。古宇利大橋と屋我地島方面の眺めです。
そして、古宇利ビーチから沖縄本島方面を望みます。透明度の高い、青く澄んだ海が拡がっています。
最後は、3日目に訪ねた知念岬から見る海です。
ここもサンゴ礁があり、その先にコバルトブルーの海が拡がっています。
知念岬公園を散策しながら、眼下に見える海を楽しめます。
知念岬の海も絶景、ですね。
今年も残すところ、あと6時間ほどです。平成最後の年、そして令和最初の年は色々なことがありましたね。
来年は災害や犯罪の少ない一年になって欲しいものです。
皆様、良いお年をお迎えください。
文章力もカメラの腕もないので、このままブログを続けていくべきか悩むところではなりますが、とりあえず、
沖縄旅行に関する記事までは完結させよう、などと考えている次第です。
さて、今回は旅行先で見た海の写真などを紹介したいと思います。城跡を訪ねるついでに寄ってみたため、沖縄
らしいところは他にもっとあるとは思いますが、それでも、とても青く、サンゴ礁が拡がる「沖縄の海」を
楽しんできました。
まずは、2日目に行った備瀬崎です。防風林として植栽された「備瀬のフクギ並木」を通り抜けたところが
備瀬崎の海です。
この、緑のトンネルも、沖縄らしい雰囲気がいっぱいです。
備瀬崎から、「ミーウガン」という名の島の方を望みます。ちなみにミーウガンは、「神様の島」だそうです。
備瀬ビーチに拡がる海です。遠くに見える島は伊江島です。
続いての海は、同じく2日目に訪ねた古宇利大橋と古宇利島です。こちらの写真は、古宇利大橋の屋我地島側の
たもとにある、「美らテラス」からの眺めです。
海岸まで降りてみました。
古宇利大橋を歩いてみました。橋の両サイドに、青いサンゴ礁の海が拡がっています。
これぞ絶景、これぞまさに沖縄の海、って感じです。
橋を渡り、古宇利ビーチにやってきました。古宇利大橋と屋我地島方面の眺めです。
そして、古宇利ビーチから沖縄本島方面を望みます。透明度の高い、青く澄んだ海が拡がっています。
最後は、3日目に訪ねた知念岬から見る海です。
ここもサンゴ礁があり、その先にコバルトブルーの海が拡がっています。
知念岬公園を散策しながら、眼下に見える海を楽しめます。
知念岬の海も絶景、ですね。
今年も残すところ、あと6時間ほどです。平成最後の年、そして令和最初の年は色々なことがありましたね。
来年は災害や犯罪の少ない一年になって欲しいものです。
皆様、良いお年をお迎えください。
今帰仁城跡(2泊3日の沖縄旅行④) [沖縄]
沖縄旅行の2日目、11月1日は今帰仁城跡に行ってきました。ここもまた、世界文化遺産の1つであり、かつ、
日本100名城にも選ばれています。
今帰仁城は14世紀初め頃に築かれた城です。当時の沖縄本島は北部地域を「北山」、中部地域を「中山」、
南部地域を「南山」がそれぞれ支配していましたが、そのうち北山の王が拠点としたのが今帰仁城です。
その後1416年に中山王によって北山が滅ぼされ、今帰仁城は中山のものとなります。そして、1609年に薩摩軍に
より琉球侵攻にあい、城は炎上してしまったそうです。それでも、総延長1.5kmにも及ぶ曲がりくねった石垣
は、今の当時のまま残っています。
日本100名城にも選ばれています。
今帰仁城は14世紀初め頃に築かれた城です。当時の沖縄本島は北部地域を「北山」、中部地域を「中山」、
南部地域を「南山」がそれぞれ支配していましたが、そのうち北山の王が拠点としたのが今帰仁城です。
その後1416年に中山王によって北山が滅ぼされ、今帰仁城は中山のものとなります。そして、1609年に薩摩軍に
より琉球侵攻にあい、城は炎上してしまったそうです。それでも、総延長1.5kmにも及ぶ曲がりくねった石垣
は、今の当時のまま残っています。
座喜味城跡(2泊3日の沖縄旅行③) [沖縄]
勝連城跡の次に向かったのが座喜味城跡です。
座喜味城は、琉球王国が、日本、中国、東南アジア諸国との交易を通して繁栄した15世紀の初頭に、
築城の名人と言われた護佐丸によって築かれた城です。一の郭と二の郭で構成され、郭を囲む曲線状の城壁と、アーチの石門が特徴です。勝連城と同じく、世界文化遺産の1つであり、続日本100名城の
一つでもあります。
座喜味城は、琉球王国が、日本、中国、東南アジア諸国との交易を通して繁栄した15世紀の初頭に、
築城の名人と言われた護佐丸によって築かれた城です。一の郭と二の郭で構成され、郭を囲む曲線状の城壁と、アーチの石門が特徴です。勝連城と同じく、世界文化遺産の1つであり、続日本100名城の
一つでもあります。