「青い花畑」ひたち海浜公園へ [関東]
10連休の7日目に、450万本のネモフィラが見頃を迎えている「ひたち海浜公園」に行ってきました。
連休の初めでもなく、終盤でもない7日目なら、道路もそれほど混雑しないのでは、などと根拠のない
予想に基づき、是非1度見たいと思っていた「ひたち海浜公園」を目指したのですが、6時半に自宅を
車で出た直後から読みが甘かったことを知らされました。同公園までは約120km。順調に行けば2時間で
到着できると思っていたのですが、まず外環道が渋滞。そして常磐道も渋滞。更には駐車場の入口でも
大渋滞。結局、駐車場に車を停めることができたのが10時半。4時間もかかってしまいました。
ただ、それでも、行って後悔はなかったです。いつも鉄道やお城ばかりを撮影している私ですが、その名の
通りの「青い花畑」の幻想的な風景にはとても感動させられました。
ネモフィラの咲く「みはらしの丘」は、同園のみはらしエリアにありますが、みはらしエリアでは
ナノハナも満開でした。
これが有名なみはらしの丘のネモフィラです。人が異常なくらいに多いのがネックではありますが、
きれいな写真を撮れました。ネモフィラの青と空の青がよく調和しています。
丘の上からは海も見えます。
オレンジ色の花が目立つ場所もあります。
下から見上げる景色も最高ですが、丘の上から見下ろす眺めも良いですね。
ナノハナの奥には古民家があり、鯉のぼりが海からの風を受けて、気持ちよさそうに泳いでました。
この時期は、ネモフィラに加えて、「たまごの森 フラワーガーデン」のエリアでは、約25万本あると
いう、色とりどりのチューリップも見頃を迎えます。なんと、230品種もあるんだそうです。
これだけの花を毎日手入れする係の方のご苦労も大変でしょうね、などと考えつつ、久しぶりに
春の花畑に心を癒されました。
連休の初めでもなく、終盤でもない7日目なら、道路もそれほど混雑しないのでは、などと根拠のない
予想に基づき、是非1度見たいと思っていた「ひたち海浜公園」を目指したのですが、6時半に自宅を
車で出た直後から読みが甘かったことを知らされました。同公園までは約120km。順調に行けば2時間で
到着できると思っていたのですが、まず外環道が渋滞。そして常磐道も渋滞。更には駐車場の入口でも
大渋滞。結局、駐車場に車を停めることができたのが10時半。4時間もかかってしまいました。
ただ、それでも、行って後悔はなかったです。いつも鉄道やお城ばかりを撮影している私ですが、その名の
通りの「青い花畑」の幻想的な風景にはとても感動させられました。
ネモフィラの咲く「みはらしの丘」は、同園のみはらしエリアにありますが、みはらしエリアでは
ナノハナも満開でした。
これが有名なみはらしの丘のネモフィラです。人が異常なくらいに多いのがネックではありますが、
きれいな写真を撮れました。ネモフィラの青と空の青がよく調和しています。
丘の上からは海も見えます。
オレンジ色の花が目立つ場所もあります。
下から見上げる景色も最高ですが、丘の上から見下ろす眺めも良いですね。
ナノハナの奥には古民家があり、鯉のぼりが海からの風を受けて、気持ちよさそうに泳いでました。
この時期は、ネモフィラに加えて、「たまごの森 フラワーガーデン」のエリアでは、約25万本あると
いう、色とりどりのチューリップも見頃を迎えます。なんと、230品種もあるんだそうです。
これだけの花を毎日手入れする係の方のご苦労も大変でしょうね、などと考えつつ、久しぶりに
春の花畑に心を癒されました。
紅葉の旧古河庭園へ [関東]
12月2日のことですが、北区西ヶ原にある都指定名勝の「旧古河庭園」に行ってきました。
あいにくの曇天ではありましたが、見頃を迎えた紅葉を堪能してきました。
正門から入り、洋館の前で。
茶室方面を見下ろします。
茶室の前で。
もう1枚、茶室の前で。
日本庭園の中心にある心字池です。
日本庭園内の石燈籠の前で。
日本庭園内の渓谷です。
洋風庭園も、真っ赤です。
年内は特にカメラを持って出かける予定もないので、今年最後のアップになりそうです。
ご覧頂いた方の役に立つような、大した情報はお届けできませんが、来年もよろしく
お願いします。
あいにくの曇天ではありましたが、見頃を迎えた紅葉を堪能してきました。
正門から入り、洋館の前で。
茶室方面を見下ろします。
茶室の前で。
もう1枚、茶室の前で。
日本庭園の中心にある心字池です。
日本庭園内の石燈籠の前で。
日本庭園内の渓谷です。
洋風庭園も、真っ赤です。
年内は特にカメラを持って出かける予定もないので、今年最後のアップになりそうです。
ご覧頂いた方の役に立つような、大した情報はお届けできませんが、来年もよろしく
お願いします。
2週続けて、川越で紅葉狩り [関東]
12月1日の土曜日、見頃を迎えた紅葉を求めて、再び川越の街へと向かってみました。
今回も最初に訪れたのは中院。鐘楼門へと続く参道付近は真っ赤に染まってました。
こちらも、鐘楼門の脇の紅葉です。
鐘楼門をくぐったあたりは、こんな感じでした。
不染亭の周辺です。
本堂の周辺です。1週間で、景色は一変してました。きれいです。
次に向かったのが、仙波東照宮。随身門のあたりだけはきれいに紅葉してました。
随身門脇の紅葉をもう1枚。ちなみに、この仙波東照宮と隣の喜多院は、大きな空堀で周囲を
囲まれています。さすが、徳川家ゆかりの場所です。
そして喜多院です。山門の脇にも、真っ赤な木が一本、立ってます。
慈眼堂のまわりも、真っ赤でした。
紅葉をバックに、有名な五百羅漢も。
そして、江戸城から移築された客殿の周囲の庭園。まさに、見頃を迎えてました。
とても綺麗でした。喜多院の紅葉、良かったです。
ただ、強いて言えば、せっかくの紅葉を静かに見学したいところでしたが、私の前に、ファーウェイ
で揺れるあの国の人たちの40~50人の団体が到着していて、静かどころか、大声で騒ぐ彼らとともに
紅葉を鑑賞せざるを得ませんでした。
昨今、日本の観光地のどこに行っても同じような状況ですよね。
日本人しか集まらない観光地はないのかなぁ。。。
今回も最初に訪れたのは中院。鐘楼門へと続く参道付近は真っ赤に染まってました。
こちらも、鐘楼門の脇の紅葉です。
鐘楼門をくぐったあたりは、こんな感じでした。
不染亭の周辺です。
本堂の周辺です。1週間で、景色は一変してました。きれいです。
次に向かったのが、仙波東照宮。随身門のあたりだけはきれいに紅葉してました。
随身門脇の紅葉をもう1枚。ちなみに、この仙波東照宮と隣の喜多院は、大きな空堀で周囲を
囲まれています。さすが、徳川家ゆかりの場所です。
そして喜多院です。山門の脇にも、真っ赤な木が一本、立ってます。
慈眼堂のまわりも、真っ赤でした。
紅葉をバックに、有名な五百羅漢も。
そして、江戸城から移築された客殿の周囲の庭園。まさに、見頃を迎えてました。
とても綺麗でした。喜多院の紅葉、良かったです。
ただ、強いて言えば、せっかくの紅葉を静かに見学したいところでしたが、私の前に、ファーウェイ
で揺れるあの国の人たちの40~50人の団体が到着していて、静かどころか、大声で騒ぐ彼らとともに
紅葉を鑑賞せざるを得ませんでした。
昨今、日本の観光地のどこに行っても同じような状況ですよね。
日本人しか集まらない観光地はないのかなぁ。。。
川越で紅葉狩り [関東]
23日、良く晴れた小春日和の中、川越市内の各所で色づき始めたかえでや、黄色く染まったイチョウの
木などを見て回ってきました。
こちらは、中院です。いい感じで、赤や黄色に染まってました。
次に、浮島神社です。喜多院から川越城に向かう途中にある小さな神社ですが、黄色く染まった
境内が印象的でした。
川越城の本丸御殿の周りにも、少しだけ、赤く染まった木がありました。
七五三を祝う親子で大混雑していた川越氷川神社。その参道のイチョウです。
鳥居の周辺は紅葉というより、既に茶色くなってました。
最後に、紅葉の名所、喜多院です。
慈眼堂の周囲は、一部の木が真っ赤になってました。
紅葉山庭園も、まだ、ピークには早いようでした。でも、十分に紅葉を楽しめました。
遠州流庭園も、同じ感じです。
ということで、それなりに紅葉しているものの、特にかえでの木は、緑色の葉が目立ちました。
今週末、再訪してみようかと考えてます。
木などを見て回ってきました。
こちらは、中院です。いい感じで、赤や黄色に染まってました。
次に、浮島神社です。喜多院から川越城に向かう途中にある小さな神社ですが、黄色く染まった
境内が印象的でした。
川越城の本丸御殿の周りにも、少しだけ、赤く染まった木がありました。
七五三を祝う親子で大混雑していた川越氷川神社。その参道のイチョウです。
鳥居の周辺は紅葉というより、既に茶色くなってました。
最後に、紅葉の名所、喜多院です。
慈眼堂の周囲は、一部の木が真っ赤になってました。
紅葉山庭園も、まだ、ピークには早いようでした。でも、十分に紅葉を楽しめました。
遠州流庭園も、同じ感じです。
ということで、それなりに紅葉しているものの、特にかえでの木は、緑色の葉が目立ちました。
今週末、再訪してみようかと考えてます。
(続日本100名城)忍城址へ ~「陸王」ロケ地~ [関東]
ほぼ1か月ぶりのblog更新です。
先日、酷暑の中、日本一番暑い街熊谷の隣の行田市にある忍城址に行ってきました。
忍城といえば、「のぼうの城」でも有名ですが、「続日本100名城」にも選出され、知名度は
更に上がったことでしょう。
また、忍城のある行田市はもともと足袋で有名でしたが、今年放映されたドラマ「陸王」の
ロケ地となったことでも有名になりました。
忍城は、文明年間(1469~1486)に成田親泰が築城したと言われています。
天正18年(1590年)の小田原の役では、石田三成らによる水攻めを受けますが、小田原城の落城
まで持ちこたえ、「浮き城」と呼ばれるようになりました。この戦いにより、成田氏による
支配は終焉し、徳川譜代大名が入れ替わり城主となり幕末を迎えることとなります。
明治維新後は本丸土塁の一部を除いて取り壊されてしまいました。
その後、本丸周辺に堀や土塀が整備され、御三階櫓が復元されるなど、城址らしさが再現され
今に至ってます。今回は、その城址と、「陸王」のロケ地を訪ねてみました。
先日、酷暑の中、日本一番暑い街熊谷の隣の行田市にある忍城址に行ってきました。
忍城といえば、「のぼうの城」でも有名ですが、「続日本100名城」にも選出され、知名度は
更に上がったことでしょう。
また、忍城のある行田市はもともと足袋で有名でしたが、今年放映されたドラマ「陸王」の
ロケ地となったことでも有名になりました。
忍城は、文明年間(1469~1486)に成田親泰が築城したと言われています。
天正18年(1590年)の小田原の役では、石田三成らによる水攻めを受けますが、小田原城の落城
まで持ちこたえ、「浮き城」と呼ばれるようになりました。この戦いにより、成田氏による
支配は終焉し、徳川譜代大名が入れ替わり城主となり幕末を迎えることとなります。
明治維新後は本丸土塁の一部を除いて取り壊されてしまいました。
その後、本丸周辺に堀や土塀が整備され、御三階櫓が復元されるなど、城址らしさが再現され
今に至ってます。今回は、その城址と、「陸王」のロケ地を訪ねてみました。
(続日本100名城)品川台場 [関東]
真夏のような暑さの中、続日本100名城の1つ、品川台場に行ってきました。
品川台場は、嘉永6年(1853年)6月のペリーの浦賀来航を機に、海防強化の観点から江戸幕府
が築いたものです。当初の計画では12基が築かれることになっていましたが、財政難等を理由
に第一・二・三・五・六台場のみ築造され、第四・七台場については途中で建設中止、残りについて
は未着手のまま計画中止となったそうです。
その後、昭和の時代になって第一・二・四・五・七台場は順次撤去・埋め立てられ、現在は
第三・第六台場のみが残っています。
(写真はレインボーブリッジをバックに撮った第三台場です)
品川台場は、嘉永6年(1853年)6月のペリーの浦賀来航を機に、海防強化の観点から江戸幕府
が築いたものです。当初の計画では12基が築かれることになっていましたが、財政難等を理由
に第一・二・三・五・六台場のみ築造され、第四・七台場については途中で建設中止、残りについて
は未着手のまま計画中止となったそうです。
その後、昭和の時代になって第一・二・四・五・七台場は順次撤去・埋め立てられ、現在は
第三・第六台場のみが残っています。
(写真はレインボーブリッジをバックに撮った第三台場です)
(続日本100名城)小机城 [関東]
先月、横浜市港北区にある続日本100名城のひとつ、小机城に行ってみました。
小机城は、15世紀半ば頃には築城されていたと言われ、文明10年(1478年)には長尾景春
の乱に伴う戦乱で、太田道灌に攻め落とされ一旦は廃城となります。その後、後北条氏に
よって再整備されましたが、徳川家康の関東入りの後に再び廃城となりました。
第三京浜の建設によって本丸と出丸の間は破壊されてしまいましたが、本丸や二の丸の周辺
には大規模な空堀や土塁が残っていて、中世の城址らしさを今に伝えています。
まずこちらは、本丸の西側、第三京浜によって隔てられたところにある「富士仙元」。かつて
の出丸跡と言われているそうです。
小机城は、15世紀半ば頃には築城されていたと言われ、文明10年(1478年)には長尾景春
の乱に伴う戦乱で、太田道灌に攻め落とされ一旦は廃城となります。その後、後北条氏に
よって再整備されましたが、徳川家康の関東入りの後に再び廃城となりました。
第三京浜の建設によって本丸と出丸の間は破壊されてしまいましたが、本丸や二の丸の周辺
には大規模な空堀や土塁が残っていて、中世の城址らしさを今に伝えています。
まずこちらは、本丸の西側、第三京浜によって隔てられたところにある「富士仙元」。かつて
の出丸跡と言われているそうです。
(続日本100名城)菅谷館 [関東]
今月初め、埼玉県の嵐山町にある菅谷館跡に行ってきました。
ここは続日本100名城の一つで、鎌倉時代の武士、畠山重忠の居館跡と言われています。
それで今でも「菅谷館」と呼ばれていますが、現在みられる姿は、15世紀後半に山内上杉氏
が築いた菅谷城です。曲輪や空堀は当時のまま残っていますが、築城時期や落城時期などの
詳しいことは調査でもわかっていないようです。
下の写真は、二ノ郭の土塁です。
ここは続日本100名城の一つで、鎌倉時代の武士、畠山重忠の居館跡と言われています。
それで今でも「菅谷館」と呼ばれていますが、現在みられる姿は、15世紀後半に山内上杉氏
が築いた菅谷城です。曲輪や空堀は当時のまま残っていますが、築城時期や落城時期などの
詳しいことは調査でもわかっていないようです。
下の写真は、二ノ郭の土塁です。
(続日本100名城)杉山城 [関東]
先日、初めて、埼玉県の嵐山町にある、続日本100名城の一つで杉山城に行ってみました。
埼玉県民でありながら、これまでは、それほどの知名度ではなさそうだし、同じ県内とは
言っても自宅から60㎞くらいあるので、行こうと思わなかったのですが、続日本100名城に
選ばれたのを機に行ってみることにしたんです。
で、行ってみた感想は、一言でいうと「これはすごい」でした。
丘の尾根上に10もの郭が配され、その郭の周りを土塁、空堀、そして帯郭が囲む構造ですが、
土塁や空堀などには「折れ」が多用されるなど、いたるところに「横矢掛」が施されています。
結果として、各郭が単純に並んでいるのではなく、ジグソーパズルのように複雑に組み合わせ
たような形になっているんです。
パンフレットによれば、「築城の教科書」「戦国期城郭の最高傑作のひとつ」と評されている
そうですが、それは素人の私でも感じました。ある意味、美しいです。
この杉山城は、城主や築城年代については記録がなく不明でしたが、平成14年からの発掘調査
によって、戦国時代の初めごろに、山内上杉氏が扇谷上杉氏に対抗して築いたものと考えられる
ようになったそうです。
埼玉県民でありながら、これまでは、それほどの知名度ではなさそうだし、同じ県内とは
言っても自宅から60㎞くらいあるので、行こうと思わなかったのですが、続日本100名城に
選ばれたのを機に行ってみることにしたんです。
で、行ってみた感想は、一言でいうと「これはすごい」でした。
丘の尾根上に10もの郭が配され、その郭の周りを土塁、空堀、そして帯郭が囲む構造ですが、
土塁や空堀などには「折れ」が多用されるなど、いたるところに「横矢掛」が施されています。
結果として、各郭が単純に並んでいるのではなく、ジグソーパズルのように複雑に組み合わせ
たような形になっているんです。
パンフレットによれば、「築城の教科書」「戦国期城郭の最高傑作のひとつ」と評されている
そうですが、それは素人の私でも感じました。ある意味、美しいです。
この杉山城は、城主や築城年代については記録がなく不明でしたが、平成14年からの発掘調査
によって、戦国時代の初めごろに、山内上杉氏が扇谷上杉氏に対抗して築いたものと考えられる
ようになったそうです。
【五色不動】目青不動尊へ [関東]
先日、世田谷区にある目青不動尊 最勝寺教学院に行ってきました。
目青不動尊は、東急世田谷線の三軒茶屋駅のすぐ近くにあります。
元々は、慶長9年(1604年)玄応和尚の開基により江戸城内紅葉山に建てられたそうです。
その後、明治41年(1908年)に、青山から現在地に移されました。本尊は阿弥陀如来で、
源信(恵心僧都)の作と言われています。
不動堂の目青不動明王は、明治15年(1882年)に廃寺となった正善寺の本尊だったもので、
東京五色不動の1つとして有名です。
こちらは本堂です。
これが不動堂です。
不動明王は秘仏であり見ることはできませんが、寛永19年(1642)作の青銅製不動明王像が
前立ちとして公開されています。
これが、目青不動尊の御朱印です。
今回の訪問で、5色6か所の東京五色不動をすべて訪ねたことになります。
これを機に、都内にある色々なお不動様を訪ねてみようかな。
いや、埼玉県民なんだし、まずは県内かな。次はどこに行こうか、ゆっくり考えてみようと
思います。
目青不動尊は、東急世田谷線の三軒茶屋駅のすぐ近くにあります。
元々は、慶長9年(1604年)玄応和尚の開基により江戸城内紅葉山に建てられたそうです。
その後、明治41年(1908年)に、青山から現在地に移されました。本尊は阿弥陀如来で、
源信(恵心僧都)の作と言われています。
不動堂の目青不動明王は、明治15年(1882年)に廃寺となった正善寺の本尊だったもので、
東京五色不動の1つとして有名です。
こちらは本堂です。
これが不動堂です。
不動明王は秘仏であり見ることはできませんが、寛永19年(1642)作の青銅製不動明王像が
前立ちとして公開されています。
これが、目青不動尊の御朱印です。
今回の訪問で、5色6か所の東京五色不動をすべて訪ねたことになります。
これを機に、都内にある色々なお不動様を訪ねてみようかな。
いや、埼玉県民なんだし、まずは県内かな。次はどこに行こうか、ゆっくり考えてみようと
思います。