今帰仁城跡(2泊3日の沖縄旅行④) [沖縄]
沖縄旅行の2日目、11月1日は今帰仁城跡に行ってきました。ここもまた、世界文化遺産の1つであり、かつ、
日本100名城にも選ばれています。
今帰仁城は14世紀初め頃に築かれた城です。当時の沖縄本島は北部地域を「北山」、中部地域を「中山」、
南部地域を「南山」がそれぞれ支配していましたが、そのうち北山の王が拠点としたのが今帰仁城です。
その後1416年に中山王によって北山が滅ぼされ、今帰仁城は中山のものとなります。そして、1609年に薩摩軍に
より琉球侵攻にあい、城は炎上してしまったそうです。それでも、総延長1.5kmにも及ぶ曲がりくねった石垣
は、今の当時のまま残っています。
それではまず、今帰仁城の郭などの位置関係を見てもらうために、今回もGoogle MAPの画像を利用させて
いただきます。
まずは、外郭の部分から城内に入ります。写真は外郭の石垣です。高さ1~2mの低い石垣が数百mに渡って
蛇行して続いています。
これも、外郭の石垣です。かなり蛇行している様子が分かりますでしょうか。
外郭から中心部に向かう際に通る平郎門(本門)です。
平郎門の左手に見える、「大隅」の北側部分にある高い石垣です。
「大隅」です。高い石垣に囲まれています。「大隅」は、馬を養い、兵馬を訓練する場所だったそうです。
これも「大隅」です。その奥に見えるのが、外郭です。
平郎門から「大庭」に向かって、まっすぐに続く石段が整備されていますが、その右手には、曲がりくねった
大きな岩盤の谷間を利用した「旧道」があります。道幅は狭く、急な登り坂になっています。
「大庭(ウーミャ)」を呼ばる郭です。北殿、何殿の建物が配置され、政治・宗教儀式が行われていた場所と
考えられています。
「大庭」にある、「ソイツギ(城内下之御嶽)」です。今帰仁城内にある2つの聖なる場所のうちの1つで、
五穀豊穣などを祈願したそうです。
「御内原(ウーチバル)」と呼ばれる郭です。女官部屋があったとされる郭で、城内で最も神聖な場所です。
「御内原」にある「テンチジアマチジ(城内上之御嶽)」です。御内原とこの御嶽は男子禁制で、女官たちに
よって、子孫安泰、国家繁栄を祈願をした場所だそうです。
「主郭」です。
「主郭」にある正殿跡です。
主郭にある「今帰仁里主所火の神」と呼ばれる祠です。第二尚時代の北山堅守一族の火の神が祀られています。
「志慶真門郭」です。「しげまじょうかく」と読みます。城主に仕える人たちが住んだ場所です。
「志慶真門郭」と、その周囲を囲む石垣です。
「主郭」の石垣の上から見下ろす「志慶真門郭」の石垣です。
「志慶真門郭」から見る、「主郭」の石垣です。
こちらも、「志慶真門郭」から見る、「主郭」の石垣です。
「志慶真門郭」は、「主郭」とはかなり高低差のある、低い場所にあります。
石垣の崩れた部分が、志慶真門の跡です。志慶真門は、城の南にあった集落に通じる裏門だった
ようです。
これで、世界遺産に登録されている沖縄の5つのグスク(首里城、中城城跡、座喜味城跡、勝連城跡、今帰仁城跡)と
その関連遺産の4つの遺物(園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽)のうち、4つのグスクを訪ねたことに
なります。
次は沖縄の海を記事にする予定です(いつまでも、同じ旅行の記事が続いてすみません)。
日本100名城にも選ばれています。
今帰仁城は14世紀初め頃に築かれた城です。当時の沖縄本島は北部地域を「北山」、中部地域を「中山」、
南部地域を「南山」がそれぞれ支配していましたが、そのうち北山の王が拠点としたのが今帰仁城です。
その後1416年に中山王によって北山が滅ぼされ、今帰仁城は中山のものとなります。そして、1609年に薩摩軍に
より琉球侵攻にあい、城は炎上してしまったそうです。それでも、総延長1.5kmにも及ぶ曲がりくねった石垣
は、今の当時のまま残っています。
それではまず、今帰仁城の郭などの位置関係を見てもらうために、今回もGoogle MAPの画像を利用させて
いただきます。
まずは、外郭の部分から城内に入ります。写真は外郭の石垣です。高さ1~2mの低い石垣が数百mに渡って
蛇行して続いています。
これも、外郭の石垣です。かなり蛇行している様子が分かりますでしょうか。
外郭から中心部に向かう際に通る平郎門(本門)です。
平郎門の左手に見える、「大隅」の北側部分にある高い石垣です。
「大隅」です。高い石垣に囲まれています。「大隅」は、馬を養い、兵馬を訓練する場所だったそうです。
これも「大隅」です。その奥に見えるのが、外郭です。
平郎門から「大庭」に向かって、まっすぐに続く石段が整備されていますが、その右手には、曲がりくねった
大きな岩盤の谷間を利用した「旧道」があります。道幅は狭く、急な登り坂になっています。
「大庭(ウーミャ)」を呼ばる郭です。北殿、何殿の建物が配置され、政治・宗教儀式が行われていた場所と
考えられています。
「大庭」にある、「ソイツギ(城内下之御嶽)」です。今帰仁城内にある2つの聖なる場所のうちの1つで、
五穀豊穣などを祈願したそうです。
「御内原(ウーチバル)」と呼ばれる郭です。女官部屋があったとされる郭で、城内で最も神聖な場所です。
「御内原」にある「テンチジアマチジ(城内上之御嶽)」です。御内原とこの御嶽は男子禁制で、女官たちに
よって、子孫安泰、国家繁栄を祈願をした場所だそうです。
「主郭」です。
「主郭」にある正殿跡です。
主郭にある「今帰仁里主所火の神」と呼ばれる祠です。第二尚時代の北山堅守一族の火の神が祀られています。
「志慶真門郭」です。「しげまじょうかく」と読みます。城主に仕える人たちが住んだ場所です。
「志慶真門郭」と、その周囲を囲む石垣です。
「主郭」の石垣の上から見下ろす「志慶真門郭」の石垣です。
「志慶真門郭」から見る、「主郭」の石垣です。
こちらも、「志慶真門郭」から見る、「主郭」の石垣です。
「志慶真門郭」は、「主郭」とはかなり高低差のある、低い場所にあります。
石垣の崩れた部分が、志慶真門の跡です。志慶真門は、城の南にあった集落に通じる裏門だった
ようです。
これで、世界遺産に登録されている沖縄の5つのグスク(首里城、中城城跡、座喜味城跡、勝連城跡、今帰仁城跡)と
その関連遺産の4つの遺物(園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽)のうち、4つのグスクを訪ねたことに
なります。
次は沖縄の海を記事にする予定です(いつまでも、同じ旅行の記事が続いてすみません)。
私も100名城スタンプを集めていますので、万里の長城的な今帰仁城跡は行ってみたいです^^
by まさ (2019-12-24 21:03)
まささん、コメントありがとうございます。
今帰仁城はおススメです。
by takechan (2019-12-24 22:36)
懐かしいです。
昔那覇に暮らしていたころ、年末にここを訪れたら、桃、梅、桜が揃って咲いていました!
by 駅員3 (2020-01-03 12:28)