いろんな街
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いろいろな街での鉄道やお城に関する記事を続けていきます。
takechan
2020-01-05T18:42:01+09:00
ja
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火災後の首里城へ(2泊3日の沖縄旅行⑥)
https://kyouichi.blog.ss-blog.jp/2020-01-05
(今更ではありますが)新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。さて、今年もなっても、まだまだ続く沖縄シリーズです。今回は、火災の2日後、11月2日に訪問した首里城についてです。この日は、さすがに火災の翌々日ということで、かなり広範囲に立ち入りを規制されていて、焼失を免れた建物などもほとんど見ることはできませんでしたが、それでも幾つかの建物や石垣などを見学することはできました。まずは、ゆいレールの車内から撮った首里城です。本来、大きく見えるはずの正殿の姿はなく、黒く焼けてしまった北殿が見えます。
沖縄
takechan
2020-01-05T18:42:01+09:00
さて、今年もなっても、まだまだ続く沖縄シリーズです。今回は、火災の2日後、11月2日に訪問した首里城についてです。
この日は、さすがに火災の翌々日ということで、かなり広範囲に立ち入りを規制されていて、焼失を免れた建物なども
ほとんど見ることはできませんでしたが、それでも幾つかの建物や石垣などを見学することはできました。
まずは、ゆいレールの車内から撮った首里城です。本来、大きく見えるはずの正殿の姿はなく、黒く焼けて
しまった北殿が見えます。
ゆいレールからもう1枚。確かに北殿は焼けてしまってますが、遠目には周囲の建物は焼失していない
ように見えました。
こちらは龍潭池あたりから見た首里城です。ニュースなどではこの場所から中継していました。
有名な「守礼門」には行くことができました。
「園比屋武御嶽石門」(そのひゃんうたきいしもん)も見学可能でした。門ではありますが、人が通る門では
なく、国王が外出する際に安全を祈願するの礼拝所です。1519年に建てられたもので、世界遺産に登録されて
います。
城内に入る第一の正門である「歓会門」です。アーチ状の門の上に櫓が乗るタイプの門です。
この日、見学できたのはここまで。この先の外郭内に入ることはできず、また弁財天堂のあるエリアも立ち入り禁止
でした。
逆光のため非常に見づらくなってしまいましたが、歓会門付近から焼失した建物の一部を見ることができました。
城内には入れないので、首里城の周囲を歩いてみました。こちらは、首里城の南側にあった小さな公園(首里崎山
公園)からの眺めです。手前が外郭の石垣、奥が内郭の石垣です。焼けた建物も少し見えてました。
公園での写真をもう1枚。左に見えるのが「美福門」、正面が内郭の石垣、そして右手には外郭の曲がりくねった
石垣があります。
外郭の南東側にある「経世門」です。門から入ることはできませんが、門を見学することは可能でした。
歓会門と同様に、アーチ状の門の上に櫓が載るタイプの門です。
経世門から、内郭にある「美福門」が見えました。
「経世門」の脇の石垣です。
今回見学できたのはここまででした。その後、順次、規制区域が縮小されてはいるようですが、内郭については
今も立入禁止のままのようです。
記事にはしていませんでしたが、4月にも首里城を訪問していましたので、その時に撮った写真もご覧頂こうと
思います。まずは、今回の火災で全焼は免れたものの、屋根の一部などが焼失してしまった「奉神門」です。
正殿などのある「御庭」に入る最後の門です。
そして、今回の火災で焼失してしまった「北殿」です。
同じく焼失してしまった「南殿」(左側)と「番所」(右側)です。
こちらも全焼してしまった「奥書院」です。
首里城の象徴だった「正殿」です。
「正殿」の裏側です。昨年2月から一般公開された「御内原」から見た正殿です。
「正殿」の内部です。
「御内原」から見る内郭の様子です。正面の大きな建物が「正殿」、その左にあるのが「二階御殿」「黄金御殿」
「南殿」など、右手が「北殿」などで、いずれも焼失してしまいました。
こちらも同じく「御内原」から見た景色です。中央が内郭の石垣、右側が外郭です。
本土にある戦国時代の城郭とは趣の異なる、琉球王国の文化の象徴だった首里城は、好きな城の一つでした。
それが火災で燃えてしまったのは、非常に悲しいことです。城郭ファンの一人として、そして、公開された直後の
「御内原」を見ることができ、かつ火災の当日に那覇にいた、という浅からぬ縁を持つ者として、首里城の
再建・復興を見守り、応援していきたいと思います。
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沖縄の海(2泊3日の沖縄旅行⑤)
https://kyouichi.blog.ss-blog.jp/2019-12-31
2か月も前の、たったの2泊3日の旅行なのに、ちんたらと記事にしている間に大晦日を迎えてしまいました。文章力もカメラの腕もないので、このままブログを続けていくべきか悩むところではなりますが、とりあえず、沖縄旅行に関する記事までは完結させよう、などと考えている次第です。さて、今回は旅行先で見た海の写真などを紹介したいと思います。城跡を訪ねるついでに寄ってみたため、沖縄らしいところは他にもっとあるとは思いますが、それでも、とても青く、サンゴ礁が拡がる「沖縄の海」を楽しんできました。まずは、2日目に行った備瀬崎です。防風林として植栽された「備瀬のフクギ並木」を通り抜けたところが備瀬崎の海です。この、緑のトンネルも、沖縄らしい雰囲気がいっぱいです。備瀬崎から、「ミーウガン」という名の島の方を望みます。ちなみにミーウガンは、「神様の島」だそうです。備瀬ビーチに拡がる海です。遠くに見える島は伊江島です。続いての海は、同じく2日目に訪ねた古宇利大橋と古宇利島です。こちらの写真は、古宇利大橋の屋我地島側のたもとにある、「美らテラス」からの眺めです。海岸まで降りてみました。古宇利大橋を歩いてみました。橋の両サイドに、青いサンゴ礁の海が拡がっています。これぞ絶景、これぞまさに沖縄の海、って感じです。橋を渡り、古宇利ビーチにやってきました。古宇利大橋と屋我地島方面の眺めです。そして、古宇利ビーチから沖縄本島方面を望みます。透明度の高い、青く澄んだ海が拡がっています。最後は、3日目に訪ねた知念岬から見る海です。ここもサンゴ礁があり、その先にコバルトブルーの海が拡がっています。知念岬公園を散策しながら、眼下に見える海を楽しめます。知念岬の海も絶景、ですね。今年も残すところ、あと6時間ほどです。平成最後の年、そして令和最初の年は色々なことがありましたね。来年は災害や犯罪の少ない一年になって欲しいものです。皆様、良いお年をお迎えください。
沖縄
takechan
2019-12-31T18:10:26+09:00
文章力もカメラの腕もないので、このままブログを続けていくべきか悩むところではなりますが、とりあえず、
沖縄旅行に関する記事までは完結させよう、などと考えている次第です。
さて、今回は旅行先で見た海の写真などを紹介したいと思います。城跡を訪ねるついでに寄ってみたため、沖縄
らしいところは他にもっとあるとは思いますが、それでも、とても青く、サンゴ礁が拡がる「沖縄の海」を
楽しんできました。
まずは、2日目に行った備瀬崎です。防風林として植栽された「備瀬のフクギ並木」を通り抜けたところが
備瀬崎の海です。
この、緑のトンネルも、沖縄らしい雰囲気がいっぱいです。
備瀬崎から、「ミーウガン」という名の島の方を望みます。ちなみにミーウガンは、「神様の島」だそうです。
備瀬ビーチに拡がる海です。遠くに見える島は伊江島です。
続いての海は、同じく2日目に訪ねた古宇利大橋と古宇利島です。こちらの写真は、古宇利大橋の屋我地島側の
たもとにある、「美らテラス」からの眺めです。
海岸まで降りてみました。
古宇利大橋を歩いてみました。橋の両サイドに、青いサンゴ礁の海が拡がっています。
これぞ絶景、これぞまさに沖縄の海、って感じです。
橋を渡り、古宇利ビーチにやってきました。古宇利大橋と屋我地島方面の眺めです。
そして、古宇利ビーチから沖縄本島方面を望みます。透明度の高い、青く澄んだ海が拡がっています。
最後は、3日目に訪ねた知念岬から見る海です。
ここもサンゴ礁があり、その先にコバルトブルーの海が拡がっています。
知念岬公園を散策しながら、眼下に見える海を楽しめます。
知念岬の海も絶景、ですね。
今年も残すところ、あと6時間ほどです。平成最後の年、そして令和最初の年は色々なことがありましたね。
来年は災害や犯罪の少ない一年になって欲しいものです。
皆様、良いお年をお迎えください。
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今帰仁城跡(2泊3日の沖縄旅行④)
https://kyouichi.blog.ss-blog.jp/2019-12-23
沖縄旅行の2日目、11月1日は今帰仁城跡に行ってきました。ここもまた、世界文化遺産の1つであり、かつ、日本100名城にも選ばれています。今帰仁城は14世紀初め頃に築かれた城です。当時の沖縄本島は北部地域を「北山」、中部地域を「中山」、南部地域を「南山」がそれぞれ支配していましたが、そのうち北山の王が拠点としたのが今帰仁城です。その後1416年に中山王によって北山が滅ぼされ、今帰仁城は中山のものとなります。そして、1609年に薩摩軍により琉球侵攻にあい、城は炎上してしまったそうです。それでも、総延長1.5kmにも及ぶ曲がりくねった石垣は、今の当時のまま残っています。
沖縄
takechan
2019-12-23T17:59:09+09:00
日本100名城にも選ばれています。
今帰仁城は14世紀初め頃に築かれた城です。当時の沖縄本島は北部地域を「北山」、中部地域を「中山」、
南部地域を「南山」がそれぞれ支配していましたが、そのうち北山の王が拠点としたのが今帰仁城です。
その後1416年に中山王によって北山が滅ぼされ、今帰仁城は中山のものとなります。そして、1609年に薩摩軍に
より琉球侵攻にあい、城は炎上してしまったそうです。それでも、総延長1.5kmにも及ぶ曲がりくねった石垣
は、今の当時のまま残っています。
それではまず、今帰仁城の郭などの位置関係を見てもらうために、今回もGoogle MAPの画像を利用させて
いただきます。
まずは、外郭の部分から城内に入ります。写真は外郭の石垣です。高さ1~2mの低い石垣が数百mに渡って
蛇行して続いています。
これも、外郭の石垣です。かなり蛇行している様子が分かりますでしょうか。
外郭から中心部に向かう際に通る平郎門(本門)です。
平郎門の左手に見える、「大隅」の北側部分にある高い石垣です。
「大隅」です。高い石垣に囲まれています。「大隅」は、馬を養い、兵馬を訓練する場所だったそうです。
これも「大隅」です。その奥に見えるのが、外郭です。
平郎門から「大庭」に向かって、まっすぐに続く石段が整備されていますが、その右手には、曲がりくねった
大きな岩盤の谷間を利用した「旧道」があります。道幅は狭く、急な登り坂になっています。
「大庭(ウーミャ)」を呼ばる郭です。北殿、何殿の建物が配置され、政治・宗教儀式が行われていた場所と
考えられています。
「大庭」にある、「ソイツギ(城内下之御嶽)」です。今帰仁城内にある2つの聖なる場所のうちの1つで、
五穀豊穣などを祈願したそうです。
「御内原(ウーチバル)」と呼ばれる郭です。女官部屋があったとされる郭で、城内で最も神聖な場所です。
「御内原」にある「テンチジアマチジ(城内上之御嶽)」です。御内原とこの御嶽は男子禁制で、女官たちに
よって、子孫安泰、国家繁栄を祈願をした場所だそうです。
「主郭」です。
「主郭」にある正殿跡です。
主郭にある「今帰仁里主所火の神」と呼ばれる祠です。第二尚時代の北山堅守一族の火の神が祀られています。
「志慶真門郭」です。「しげまじょうかく」と読みます。城主に仕える人たちが住んだ場所です。
「志慶真門郭」と、その周囲を囲む石垣です。
「主郭」の石垣の上から見下ろす「志慶真門郭」の石垣です。
「志慶真門郭」から見る、「主郭」の石垣です。
こちらも、「志慶真門郭」から見る、「主郭」の石垣です。
「志慶真門郭」は、「主郭」とはかなり高低差のある、低い場所にあります。
石垣の崩れた部分が、志慶真門の跡です。志慶真門は、城の南にあった集落に通じる裏門だった
ようです。
これで、世界遺産に登録されている沖縄の5つのグスク(首里城、中城城跡、座喜味城跡、勝連城跡、今帰仁城跡)と
その関連遺産の4つの遺物(園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽)のうち、4つのグスクを訪ねたことに
なります。
次は沖縄の海を記事にする予定です(いつまでも、同じ旅行の記事が続いてすみません)。
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座喜味城跡(2泊3日の沖縄旅行③)
https://kyouichi.blog.ss-blog.jp/2019-12-07
勝連城跡の次に向かったのが座喜味城跡です。座喜味城は、琉球王国が、日本、中国、東南アジア諸国との交易を通して繁栄した15世紀の初頭に、築城の名人と言われた護佐丸によって築かれた城です。一の郭と二の郭で構成され、郭を囲む曲線状の城壁と、アーチの石門が特徴です。勝連城と同じく、世界文化遺産の1つであり、続日本100名城の一つでもあります。
沖縄
takechan
2019-12-07T18:04:42+09:00
座喜味城は、琉球王国が、日本、中国、東南アジア諸国との交易を通して繁栄した15世紀の初頭に、
築城の名人と言われた護佐丸によって築かれた城です。一の郭と二の郭で構成され、郭を囲む曲線状の城壁と、アーチの石門が特徴です。勝連城と同じく、世界文化遺産の1つであり、続日本100名城の
一つでもあります。
座喜味城は一の郭と二の郭が南北に並ぶ(一の郭の南に二の郭がある)という配置です。曲線状の城壁を含め、
うまく文章では表現できないので、Googleマップの画像を利用させて頂きました。
それでは、まずは二の郭の南側から城内へと向かいます。
二の郭に入るアーチ門です。城外とをつなぐ唯一の門です。
二の郭です。城壁(石垣)の曲がりくねった様子が分かりますでしょうか。門が城の南側、左奥の方が
城の東側になります。
二の郭の写真をもう1枚。曲線を描く石垣で囲まれています。
二の郭の西側は、一の郭の石垣と二の郭の石垣が接近していて、狭い通路のような構造です。
更に、狭くなったあたりの先に進むと、こんな構造になっていました。
二の郭から一の郭に入るアーチ門です。
一の郭の内側から撮った、一の郭のアーチ門です。その向こうに見えるのが二の郭の門です。
石垣の上から見た一の郭です。
一の郭には、建物の礎石が残っています。
これも、一の郭です。
城外に出ました。こちらは、二の郭の東側の石垣です。
こちらも、東側の石垣です。手前(右)が一の郭、奥(左)が二の郭です。
一の郭の北側の石垣です。
最後に、一の郭の西側の石垣です。この付近の石垣が最も高さがあるようです。
美しい曲線状の城壁(石垣)で囲まれた座喜味城、規模は大きくありませんが、なかなかの見ごたえ
でした。
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勝連城跡(2泊3日の沖縄旅行②)
https://kyouichi.blog.ss-blog.jp/2019-11-27
10月31日、中城城跡に次に訪ねたのは、世界文化遺産であり、続日本100名城の1つでもある勝連城跡です。中城城跡からは車で30分ほどで到着しました。勝連城は、15世紀、海外貿易により繁栄をもたらした阿麻和利が居城したことで有名な城で、一の曲輪から沖縄の青い海が一望できる有数の景勝地でもあります。
沖縄
takechan
2019-11-27T22:53:36+09:00
勝連城は、15世紀、海外貿易により繁栄をもたらした阿麻和利が居城したことで有名な城で、一の曲輪から沖縄の青い海が一望できる有数の景勝地でもあります。
勝連城跡休憩場の無料の駐車場に車を停めて、県道10号線を渡ったところに、勝連城跡が拡がっています。
四の曲輪へと向かう途中、左側に見えるのが「防御田地」です。「底なしの沼」と言われるほど水量豊富な
湿地帯だったそうです。
四の曲輪への入口にあたる西原御門跡の脇にある「門口のカー」。「カー」とは泉・井戸のことで、
西原御門から城内に入る際に、訪問者が手足を清めるために使用していたそうです。
四の曲輪です。
四の曲輪から三の曲輪方面を見上げます。
四の曲輪の石垣です。
こちらは、三の曲輪側から見下ろした四の曲輪の石垣です。この城跡も、特長の1つが曲線状の石垣です。
四の曲輪から三の曲輪へと続く石段です。勝連城跡のもう1つの特長は、各曲輪を結ぶ、城壁に沿うように
右側から旋回するような構造の石段です。
「ウタミシガー」です。毎年、旧暦元旦の初拝みの際に一年の豊作・凶作をここで占ったそうです。
三の曲輪の城門跡です。四脚門(藥医門)があったそうです。
三の曲輪側から見た城門跡です。
三の曲輪から一の曲輪へと続く、波を打つような形状の石垣です。
三の曲輪です。
三の曲輪と二の曲輪の間に石灰岩切石積で築かれた、二の曲輪の基壇です。
二の曲輪です。舎殿跡の礎石が残っています。舎殿は首里城の正殿のような柱の多い構造で、勝連城の城郭内で最も重要な建物だったと言われているそうです。
二の曲輪の舎殿跡の奥にある「ウシヌジガマ」です。危険が迫った際に逃げ込む場所だったそうです。
「ウシヌジガマ」の隣にある「ウミチムン」(火の神)です。ウミチムンとは「三顧のかまど石」を意味する
言葉で、琉球古来の信仰で火の神が祀られているそうです。
一の曲輪の西側、二の曲輪との間にある石垣です。
一の曲輪の階段です。敵が一挙に侵入できないように、登るにつれて階段の幅が徐々に狭くなるという構造
になっています。
一の曲輪です。一の曲輪には瓦ぶきの建物がありましたが、沖縄にある多くのグスクの中でも、瓦ぶきの
建物があったのは首里城、浦添城、そして勝連城くらいだそうです。
一の曲輪にある「玉ノミウジ御嶽」です。御嶽は、琉球の神話の神が存在または来訪する場所で、ここは、
勝連を守護する大きなご霊石をご神体とする御嶽です。
一の曲輪の北側の石垣です。見事なまでの曲線です。
一の曲輪のから、二の曲輪そして三の曲輪に伸びる石垣を見下ろします。
四の曲輪まで戻って、「仲間ヌウカー」です。この地域の鍛冶屋だった仲間家が使用していた泉があった、
ということです。
最後に、四の曲輪の東側、南風原御門跡付近から見た城跡です。
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中城城跡(2泊3日の沖縄旅行①)
https://kyouichi.blog.ss-blog.jp/2019-11-16
10月30日、首里城が燃えてしまった日、2泊3日の沖縄旅行のため、那覇空港に降り立ちました。首里城は今年4月に訪問していたので、今回は、首里城以外の世界遺産を見て周るつもりでいたのですが、とはいえ、これから沖縄に向かう、というタイミングで発生した火災に衝撃を受けるとともに、これも何かの縁なので、首里城復興のためにできることはやろう、などと勝手に決意をした次第です。今回の旅行は世界遺産、海、そして野球、という自分の中での三本柱のテーマがあり、レンタカーを借りて、以下のような行程で3日間を過ごしました。【1日目(10/31)】 ・ANA463便で10時30分に那覇空港到着 ・中城城跡 ・勝連城跡 ・海中道路 ・座喜味城跡 ・沖縄セルラースタジアム那覇(侍ジャパン対カナダ戦を観戦)【2日目(11/1)】 ・備瀬のフクギ並木 ・今帰仁城跡 ・古宇大橋、古宇利ビーチ ・北谷公園野球場(中日ドラゴンズの秋季キャンプを見学) ・沖縄セルラースタジアム那覇(侍ジャパン対カナダ戦を観戦)【3日目(11/2)】 ・首里城 ・富盛の石彫大獅子(勢理城跡) ・糸数城跡 ・玉城城跡 ・斎場御殿 ・知念岬公園 ・知念城跡 ・16時40分発ANA472便で羽田へそれではまず、最初の訪問地、中城城跡についてご紹介したいと思います。中城城跡は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の1つとして世界遺産に登録されていますし、日本100名城の1つでもあります。6つの郭で構成される山城で、石灰岩の切石で積まれた石垣は美しいとも言える見事な曲線で造られています。この城、14世紀後半に先中城按司によって主な部分が築かれ、その後1440年に座喜味城から移ってきた護佐丸によって北の郭、三の郭が増築されて、現在の姿になったそうです。
沖縄
takechan
2019-11-16T18:04:18+09:00
首里城は今年4月に訪問していたので、今回は、首里城以外の世界遺産を見て周るつもりでいたのですが、とはいえ、
これから沖縄に向かう、というタイミングで発生した火災に衝撃を受けるとともに、これも何かの縁なので、
首里城復興のためにできることはやろう、などと勝手に決意をした次第です。
今回の旅行は世界遺産、海、そして野球、という自分の中での三本柱のテーマがあり、レンタカーを借りて、
以下のような行程で3日間を過ごしました。
【1日目(10/31)】
・ANA463便で10時30分に那覇空港到着
・中城城跡
・勝連城跡
・海中道路
・座喜味城跡
・沖縄セルラースタジアム那覇(侍ジャパン対カナダ戦を観戦)
【2日目(11/1)】
・備瀬のフクギ並木
・今帰仁城跡
・古宇大橋、古宇利ビーチ
・北谷公園野球場(中日ドラゴンズの秋季キャンプを見学)
・沖縄セルラースタジアム那覇(侍ジャパン対カナダ戦を観戦)
【3日目(11/2)】
・首里城
・富盛の石彫大獅子(勢理城跡)
・糸数城跡
・玉城城跡
・斎場御殿
・知念岬公園
・知念城跡
・16時40分発ANA472便で羽田へ
それではまず、最初の訪問地、中城城跡についてご紹介したいと思います。中城城跡は「琉球王国のグスク
及び関連遺産群」の1つとして世界遺産に登録されていますし、日本100名城の1つでもあります。
6つの郭で構成される山城で、石灰岩の切石で積まれた石垣は美しいとも言える見事な曲線で造られています。
この城、14世紀後半に先中城按司によって主な部分が築かれ、その後1440年に座喜味城から移ってきた
護佐丸によって北の郭、三の郭が増築されて、現在の姿になったそうです。
中城城跡の縄張図です。
では、順路に沿って、中城城跡の遺構を見て頂こうと思います。
ますこちらは、南の郭の崖下にある「カンジャーガマ(鍛冶屋跡)」。
西の郭から城内に入ります。正面に見えるのが正門です。門の両側に石垣がせり出し、狭間が作られて
います。
正門(櫓門)の石垣です。
一の郭の北側、西の郭との間にある高石垣です。
西の郭にある拝所「カワヤグラノ御イベ」(通称「ミートゥガー(夫婦井戸)」)です。
西の郭から南の郭に登る石段です。
南の郭です。
南の郭にある拝所「雨乞イノ御嶽」。城内には8つの拝所があります。
南の郭から一の郭に入る門です。
一の郭です。
一の郭にある、拝所「中森ノ御イベ」です。
一の郭と二の郭との間にある門と石垣です。
二の郭です。
二の郭の南側の石垣です。
北の郭です。
北の郭にある大井戸です。
三の郭です。
こちらも三の郭です。
裏門です。
三の郭の東側の石垣です。
ペリー提督も称賛したという中城城。その見事なまでの石垣は琉球王国の技術の高さをよく表しています。
次回は、勝連城跡の記事にする予定です。
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初めての只見線撮影でしたが...
https://kyouichi.blog.ss-blog.jp/2019-11-04
紅葉の中を只見線が走る姿を一度カメラに収めてみたいと、かねがね思っていたのですが、今年はとうとう重い腰を上げて、有名な第一只見橋梁に初挑戦しました。観光情報誌などによれば、例年紅葉の見ごろを迎えるのが10月下旬から11月上旬とのことだったので、土日を避けつつ、見頃の真ん中あたりになる10月30日に行くことにしました。天気予報では雨ではないことを事前に確認し、前日の29日の仕事のあとに会津若松まで移動して前泊。当日は、会津若松駅前を7時30分に出発する「奥会津ぶらり旅」という名前の、会津宮下駅行きの路線バスで現地に向かいました。平日とは言え、紅葉の時期、バスも相当混むのかと心配していたのですが、実際には写真の通り、乗車したのは私だけでした。もちろん、現地にはマイカーなどで先に着いている人はいるでしょうけど、平日の朝だし、バスには誰もいないわけだし、これなら目指すビュースポットで撮れそうだな、などと考えたのですが、その考えが甘かったことが、現地に着いて分かります。
鉄道
takechan
2019-11-04T18:46:04+09:00
とうとう重い腰を上げて、有名な第一只見橋梁に初挑戦しました。
観光情報誌などによれば、例年紅葉の見ごろを迎えるのが10月下旬から11月上旬とのことだったので、
土日を避けつつ、見頃の真ん中あたりになる10月30日に行くことにしました。天気予報では雨ではないことを
事前に確認し、前日の29日の仕事のあとに会津若松まで移動して前泊。当日は、会津若松駅前を7時30分に
出発する「奥会津ぶらり旅」という名前の、会津宮下駅行きの路線バスで現地に向かいました。
平日とは言え、紅葉の時期、バスも相当混むのかと心配していたのですが、実際には写真の通り、乗車
したのは私だけでした。もちろん、現地にはマイカーなどで先に着いている人はいるでしょうけど、
平日の朝だし、バスには誰もいないわけだし、これなら目指すビュースポットで撮れそうだな、などと
考えたのですが、その考えが甘かったことが、現地に着いて分かります。
バスは8時40分に「道の駅 尾瀬街道みしま宿」に停車。ここで下車し、徒歩5分の「第一只見川橋梁」
に行ってみると、なんとご覧の通り、下から上まで、既に私が立つ場所がないほどの人、人、人。しかも、なんと驚いたことにこれはすべて中国人(台湾人)でした。一番有名なビュースポットは
一番高いところにあり、下の写真はそのスポットですが、他の2か所もすべて中国人で埋め尽くされて
いました。
大型の観光バスで50人ほどの中国人のツアー客が来ていたということでした。もちろん、先に来て待っている
彼らに非はないわけですが、時間とお金をかけてここまで来て、これかと思うとがっかりでした。
昨今、ここに限らず、日本のどこの観光地に行っても、中国人を始めとする多くの観光客があふれていて、
興醒めさせられることも少なくないわけですが、こんな遠いところにまで大挙して押し掛けてきて
るんですね。
おまけに、紅葉は見頃どころか、今年はかなり遅れている、ということでしたし、雨が予報より遅く、当日朝まで
降っていたため、足場が悪く、人のいない場所を求めてこれ以上高いところに上がることもできず、
三脚を立てる場所すらない中で、無理な態勢でかろうじて何とか撮った下り列車がこちらの写真です。
ビュースポットの目の前あたりだけがきれいに紅葉していましたが、中国人観光客の後方からしか撮れなかった
私は紅葉の時期には見えない写真になりました(泣)。
続いてやってくる上り列車は、下の写真(下り列車の写真をトリミングしたものです)のように望遠
レンズで、車両をアップ気味に撮るつもりだったのですが。。。
列車が通過する時にはご覧のような霧がかかり、何も見えませんでした...
あ~ぁ、なんだったんだろうなどと思いつつ、少し赤くなってきている場所を撮って、ほかには
どこにも寄ることなく、帰路につくことにしました。
中国人の団体はいつもいるんでしょうか。それとも運悪く、たまたま同じ日になっただけなんでしょうか(ちなみに、日本人は私の後から2人ほど来ましたが、この状況に驚いてました)。
今週末にリベンジしようかな、と思う一方で、週末に行けば、日本人がまず大勢来ているでしょうから、
どのみち良い場所は確保できないから、止めておくか、などとひとり悩んでます。
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「川越車両センターまつり」へ
https://kyouichi.blog.ss-blog.jp/2019-10-30
10月19日、川越市の南古谷駅の近くにある、JR東日本の川越車両センターで開催されたイベントに行ってきました。今回で3年連続の訪問となりましたが、今年の展示車両はE233系やりんかい線の70-000系、209系のMue-Trainなど、例年と同じものが多い中にあって、唯一、貴重だったのが相鉄線の12000系です。来月からの直通運転に先立ち、このイベントに「参加」してくれました。イベント会場の入口です。去年も一昨年も、開場前に並んで朝一番に撮影しましたが、今年は朝のうちが雨だったので、11時頃に到着しました。早速、展示車両のコーナーへ。右から事業用車143系、209系Mue-Train、りんかい線70-000系です。そして、E233系と、相鉄線の12000系です。いよいよ、11月30日から相鉄線とJRの直通運転が始まります。基本は、相鉄線から東海道貨物線、横須賀線を経由して埼京線に乗り入れる列車の多くが新宿発着ですが、朝の列車には相鉄線の海老名から赤羽や大宮、川越まで直通するそうです。相鉄線12000系をもう1枚。展示車両を側面から。こちらは、事業用車と、展示車両ではなく、洗浄線通過体験用の209系。八高線全線開通85周年のヘッドマーク付きです。そして、休憩車両のE257系と、車掌放送体験&園児絵画展示用のE233系。E233系がもう1編成、停車してました。それぞれの車両を正面からアップで。こちらは、りんかい線の70-000系です。209系 Mue-Trainです。E257系です。相鉄線の12000系。この車両が埼京線内を走るって、なんか不思議ですね。八高線の209系。展示車両をもう1枚。これは、イベント参加の車両ではありませんが、車両センターに停車していた、「ぶらり川越号」のE653系と、「おさんぽ川越号」のE257系、そして「川越まつり号」の185系です。このイベントの1週間前に襲来した台風19号により、川越市内でも川が氾濫し、大きな被害がありましたが、この日、国指定重要無形民俗文化財である「川越まつり」、そして、そのタイミングでの臨時列車の運転や、「川越車両センターまつり」が予定通りに実施されて良かったです。ただ、この1週間後に今回氾濫した川の近くを車で通りましたが、復興・復旧はまだまだ、といった印象でした。今年は、雨や風による被害が各地に拡がっていますが、これ以上の被害が出ないことを祈ります。
鉄道
takechan
2019-10-30T22:56:12+09:00
行ってきました。
今回で3年連続の訪問となりましたが、今年の展示車両はE233系やりんかい線の70-000系、209系の
Mue-Trainなど、例年と同じものが多い中にあって、唯一、貴重だったのが相鉄線の12000系です。
来月からの直通運転に先立ち、このイベントに「参加」してくれました。
イベント会場の入口です。去年も一昨年も、開場前に並んで朝一番に撮影しましたが、今年は朝のうちが
雨だったので、11時頃に到着しました。
早速、展示車両のコーナーへ。右から事業用車143系、209系Mue-Train、りんかい線70-000系です。
そして、E233系と、相鉄線の12000系です。いよいよ、11月30日から相鉄線とJRの直通運転が始まります。
基本は、相鉄線から東海道貨物線、横須賀線を経由して埼京線に乗り入れる列車の多くが新宿発着ですが、
朝の列車には相鉄線の海老名から赤羽や大宮、川越まで直通するそうです。
相鉄線12000系をもう1枚。
展示車両を側面から。
こちらは、事業用車と、展示車両ではなく、洗浄線通過体験用の209系。八高線全線開通85周年の
ヘッドマーク付きです。
そして、休憩車両のE257系と、車掌放送体験&園児絵画展示用のE233系。
E233系がもう1編成、停車してました。
それぞれの車両を正面からアップで。こちらは、りんかい線の70-000系です。
209系 Mue-Trainです。
E257系です。
相鉄線の12000系。この車両が埼京線内を走るって、なんか不思議ですね。
八高線の209系。
展示車両をもう1枚。
これは、イベント参加の車両ではありませんが、車両センターに停車していた、「ぶらり川越号」の
E653系と、「おさんぽ川越号」のE257系、そして「川越まつり号」の185系です。
このイベントの1週間前に襲来した台風19号により、川越市内でも川が氾濫し、大きな被害がありました
が、この日、国指定重要無形民俗文化財である「川越まつり」、そして、そのタイミングでの臨時列車の
運転や、「川越車両センターまつり」が予定通りに実施されて良かったです。
ただ、この1週間後に今回氾濫した川の近くを車で通りましたが、復興・復旧はまだまだ、といった
印象でした。
今年は、雨や風による被害が各地に拡がっていますが、これ以上の被害が出ないことを祈ります。
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大宮駅でE4系新幹線など
https://kyouichi.blog.ss-blog.jp/2019-10-20
10月5日(土)、大宮駅の新幹線ホームで、20年度末までに引退するというE4系新幹線を撮ってきました。まずは、Maxとき356号の8両編成です。次に、Maxとき316号+Maxたにがわ316号の16両編成。そして、Maxとき358号。8両編成です。最後に、Maxたにがわ410号。この日は、臨時列車を含めて、12時3分発、19分発、35分発と、わずかの間に3本のE4系が通過していきました。この時点では、20年度末の引退ということになっていましたが、その1週間後の台風19号による浸水被害を受けて、E7系の上越新幹線への投入時期が遅れ、結果としてE4系の引退時期が1年から2年程度遅れることもあるのかな、などと勝手に思ってます。ここからは、E4系以外の新幹線も。こちらは、E3系のつばさ76号。つばさ号はE2系との併結が多い中で、この列車は単独での運転なので、撮影に向いてます。E2系のやまびこ132号。後部につばさ132号を併結しています。おなじくE2系のたにがわ408号です。続いて、E5系のなすの272号です。E3系0番台を併結しています。E3系0番台です。こまち号に使用されていた頃が懐かしいですね。E5系をもう1本。はやぶさ48号です。そして、E6系のこまち48号です。ここからは、E7系とW7系です。まずは、E7系F16編成のかがやき524号です。このF16編成は、この1週間後の台風19号により長野新幹線車両センターで水没してしまった編成の1つのようです。次に、W7系はくたか558号です。最後に、W7系のかがやき526号です。この日は朝からきれいに晴れていたし、特に予定もなかったので、久しぶりに新幹線を撮りにいったわけですが、まさかその1週間後に、この日に撮った車両が台風で大きな被害を受けることになるなんて思ってもみないですよね。記事とは関係ありませんが、北陸新幹線をはじめ、今回の台風で被害を受けた鉄道の1日も早い復旧と、被災された方々の生活が元に戻ることを祈るばかりです。
鉄道
takechan
2019-10-20T18:07:39+09:00
まずは、Maxとき356号の8両編成です。
次に、Maxとき316号+Maxたにがわ316号の16両編成。
そして、Maxとき358号。8両編成です。
最後に、Maxたにがわ410号。この日は、臨時列車を含めて、12時3分発、19分発、35分発と、わずかの間に
3本のE4系が通過していきました。
この時点では、20年度末の引退ということになっていましたが、その1週間後の台風19号による
浸水被害を受けて、E7系の上越新幹線への投入時期が遅れ、結果としてE4系の引退時期が1年から
2年程度遅れることもあるのかな、などと勝手に思ってます。
ここからは、E4系以外の新幹線も。こちらは、E3系のつばさ76号。つばさ号はE2系との併結が多い中で、
この列車は単独での運転なので、撮影に向いてます。
E2系のやまびこ132号。後部につばさ132号を併結しています。
おなじくE2系のたにがわ408号です。
続いて、E5系のなすの272号です。E3系0番台を併結しています。
E3系0番台です。こまち号に使用されていた頃が懐かしいですね。
E5系をもう1本。はやぶさ48号です。
そして、E6系のこまち48号です。
ここからは、E7系とW7系です。まずは、E7系F16編成のかがやき524号です。このF16編成
は、この1週間後の台風19号により長野新幹線車両センターで水没してしまった編成の1つの
ようです。
次に、W7系はくたか558号です。
最後に、W7系のかがやき526号です。
この日は朝からきれいに晴れていたし、特に予定もなかったので、久しぶりに新幹線を撮りにいった
わけですが、まさかその1週間後に、この日に撮った車両が台風で大きな被害を受けることになるなんて
思ってもみないですよね。
記事とは関係ありませんが、北陸新幹線をはじめ、今回の台風で被害を受けた鉄道の1日も早い復旧と、
被災された方々の生活が元に戻ることを祈るばかりです。
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大阪の201系
https://kyouichi.blog.ss-blog.jp/2019-10-15
8月末のことですが、仕事で大阪に出張する機会があり、その時に、首都圏では2011年に姿を消してしまった201系を久しぶりに見てきました。大阪での201系は首都圏にはなかったウグイス色。それが大和路線とおおさか東線を走っている、ということで、まずは天王寺駅へ。難波に向かう列車が駅に入ってきたところで1枚。少し、駅の先端方面に移動してもう1枚。更に、2編成が並んだところでも、1枚。ここで、おおさか東線の放出駅に移動。決して、撮りやすい駅とは言えない駅ですが、それでも3本(4枚)の列車を、ホームの中をあちこち移動しながら、撮ってきました。そして、鴫野駅でも。この日は、201系以外も撮りましたので、そのうちの一部も。こちらは、野田駅で撮った281系。同じく野田駅で、大阪環状線を走る323系。6月までは201系も走っていたんですよね。もう少し早く、来るべきでした。放出駅で、片町線を走る207系。最後に、大正駅で221系。大阪、関西に行くと、関東では見ることができない車両ばかりが走っていて、見てるだけでもわくわくしますね。一度、関西転勤を希望してみようかな笑。
鉄道
takechan
2019-10-15T20:50:28+09:00
201系を久しぶりに見てきました。
大阪での201系は首都圏にはなかったウグイス色。それが大和路線とおおさか東線を走っている、という
ことで、まずは天王寺駅へ。難波に向かう列車が駅に入ってきたところで1枚。
少し、駅の先端方面に移動してもう1枚。
更に、2編成が並んだところでも、1枚。
ここで、おおさか東線の放出駅に移動。決して、撮りやすい駅とは言えない駅ですが、それでも3本(4枚)の
列車を、ホームの中をあちこち移動しながら、撮ってきました。
そして、鴫野駅でも。
この日は、201系以外も撮りましたので、そのうちの一部も。こちらは、野田駅で撮った281系。
同じく野田駅で、大阪環状線を走る323系。6月までは201系も走っていたんですよね。
もう少し早く、来るべきでした。
放出駅で、片町線を走る207系。
最後に、大正駅で221系。
大阪、関西に行くと、関東では見ることができない車両ばかりが走っていて、見てるだけでも
わくわくしますね。
一度、関西転勤を希望してみようかな笑。
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2泊3日の北海道旅行④
https://kyouichi.blog.ss-blog.jp/2019-09-29
既に行ってから2か月近くになりますが、記事が中途半端に終わっているので、8/11~13に家族四人で行った北海道旅行の続きについて書いてみます。2日目、美瑛を出てからは、雨の降る中、かなりの距離を一気に移動し、定山渓温泉に行きました。その日はここの温泉で宿泊です。定山渓にはかっぱ伝説があり、あちこちにかっぱの像がありました。夕方、渓谷を散策してみました。翌日、旅行の最終日は、支笏湖へ。支笏湖は千歳市にある湖で、湖の周囲は約40kmと、山手線一周と同じくらいの広さがあり、屈斜路湖に次いで日本で2番目に大きいカルデラ湖だそうです。また、日本最北の不凍湖、透明度は摩周湖とともに世界屈指、水深は田沢湖に次ぐ国内2位、貯水量は琵琶湖に次ぐ国内2位、など数々の「記録」を持っている湖です。確かに、こうしてみると、まるで海岸線に立っているみたいですね。湖の周りには、いくつかの活火山があります。場所を変えながら、支笏湖を撮ってみました。この赤い鉄橋は、湖畔に残る「山線鉄橋」です。北海道に残る最古の鉄橋で、元々は北海道官設鉄道上川線(現在のJR函館本線)の砂川~妹背牛間に明治32年に架けられました。その後、大正13年に王子製紙に払い下げられて、「湖畔橋」として現在の位置に移設され、当時の王子軽便鉄道(通称「山線」)の鉄橋として、昭和26年まで使われていたそうです。更に、支笏湖の写真を何枚か。この後、飛行機までかなり時間があったので、千歳水族館に行ってみました。25歳の長男と、19歳の二男を連れて四人で水族館、というのもおかしなもんですね。とは言え、こちらの水族館はなかなのもので、淡水では日本最大級の水槽だというし、千歳川の水中を直接見ることのできる日本初の施設「水中観察ゾーン」では、秋には千歳川を遡上するサケの群れを見ることができるそうです。水族館を出た後は、近くにあったアウトレットモールに立ち寄り、そして夕方の飛行機で羽田へと向かいました。2泊3日、しかも移動の時間が長く、あっと言う間に終わってしまった感がありましたが、それでも普段はほとんど声を交わすことのない子供達とゆっくり過ごせた、という意味では充実していました。最終日の水族館では快晴でしたが、それ以外はほとんど曇り空だったのが残念なのと、富良野まで行きながら、今日、ラストランを迎えた「クリスタルエクスプレス」を見なかったのが心残りではあります。さて、来年もまた家族4人で旅行す..
家族旅行
takechan
2019-09-29T22:36:43+09:00
四人で行った北海道旅行の続きについて書いてみます。
2日目、美瑛を出てからは、雨の降る中、かなりの距離を一気に移動し、定山渓温泉に行きました。
その日はここの温泉で宿泊です。
定山渓にはかっぱ伝説があり、あちこちにかっぱの像がありました。
夕方、渓谷を散策してみました。
翌日、旅行の最終日は、支笏湖へ。
支笏湖は千歳市にある湖で、湖の周囲は約40kmと、山手線一周と同じくらいの広さがあり、屈斜路湖に
次いで日本で2番目に大きいカルデラ湖だそうです。
また、日本最北の不凍湖、透明度は摩周湖とともに世界屈指、水深は田沢湖に次ぐ国内2位、貯水量は
琵琶湖に次ぐ国内2位、など数々の「記録」を持っている湖です。
確かに、こうしてみると、まるで海岸線に立っているみたいですね。
湖の周りには、いくつかの活火山があります。
場所を変えながら、支笏湖を撮ってみました。
この赤い鉄橋は、湖畔に残る「山線鉄橋」です。北海道に残る最古の鉄橋で、元々は北海道官設鉄道上川線(現在のJR函館本線)の砂川~妹背牛間に明治32年に架けられました。その後、大正13年に
王子製紙に払い下げられて、「湖畔橋」として現在の位置に移設され、当時の王子軽便鉄道(通称
「山線」)の鉄橋として、昭和26年まで使われていたそうです。
更に、支笏湖の写真を何枚か。
この後、飛行機までかなり時間があったので、千歳水族館に行ってみました。25歳の長男と、19歳の二男
を連れて四人で水族館、というのもおかしなもんですね。
とは言え、こちらの水族館はなかなのもので、淡水では日本最大級の水槽だというし、千歳川の水中を
直接見ることのできる日本初の施設「水中観察ゾーン」では、秋には千歳川を遡上するサケの群れを
見ることができるそうです。
水族館を出た後は、近くにあったアウトレットモールに立ち寄り、そして夕方の飛行機で羽田へと
向かいました。
2泊3日、しかも移動の時間が長く、あっと言う間に終わってしまった感がありましたが、それでも
普段はほとんど声を交わすことのない子供達とゆっくり過ごせた、という意味では充実していました。
最終日の水族館では快晴でしたが、それ以外はほとんど曇り空だったのが残念なのと、富良野まで
行きながら、今日、ラストランを迎えた「クリスタルエクスプレス」を見なかったのが心残りでは
あります。
さて、来年もまた家族4人で旅行することができるでしょうか。
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「丘のまち 美瑛」へ(2泊3日の家族旅行③)
https://kyouichi.blog.ss-blog.jp/2019-09-18
8月12日、北海道旅行の2日目、ホテル思惟林を後にした私たちは美瑛の街へと向かいました。美瑛と言えば、美しい丘の風景。幾重にも連なるなだらかな波状の丘陵地帯にどこまでも畑が拡がっていて、「パッチワークの丘」とも言われています。そんな美瑛の観光スポットの一部に行ってきました。最初に訪れたのは「ぜるぶの丘」です。。ラベンダーの季節は終わってましたが、雄大な自然を背景に、広大な敷地にはヒマワリやポピーなどが咲き誇っていました。次に向かったのは、「ケンとメリーの木」。40年以上前に放映された日産スカイラインのCMのロケ地になって以来観光スポットとなった1本のポプラの木です。私はそのCMを見た世代なので今も懐かしさがありますが、ここにも多くの中国人観光客が(日本人以上に)大勢いました。あのCMを知らなければ、単なるポプラの木、でしかないと思うのですが。。パーチワークの路を走っていると、こんな景色が見えてきます。続いては、「セブンスターの木」。1976年にセブンスターのパッケージに採用されたという、丘陵地帯にポツンと立つカシワの木です。セブンスターの木のすぐ近くにある白樺並木も、撮影スポットの1つのようです。美瑛の最後は「北西の丘展望公園」。ピラミッド型の展望台から臨む360度の大パノラマ。まさに美瑛、これぞ北海道、という景色でした。この日は朝からあいにくの曇天。晴れていれば、もっと景色を楽しむことができたでしょうし、写真もきれいに撮れたのでしょうけど、それでも、家族4人、雄大な風景を十分に堪能することができました。
家族旅行
takechan
2019-09-18T22:41:53+09:00
美瑛と言えば、美しい丘の風景。幾重にも連なるなだらかな波状の丘陵地帯にどこまでも畑が
拡がっていて、「パッチワークの丘」とも言われています。そんな美瑛の観光スポットの一部
に行ってきました。
最初に訪れたのは「ぜるぶの丘」です。。
ラベンダーの季節は終わってましたが、雄大な自然を背景に、広大な敷地にはヒマワリやポピーなどが
咲き誇っていました。
次に向かったのは、「ケンとメリーの木」。40年以上前に放映された日産スカイラインのCMの
ロケ地になって以来観光スポットとなった1本のポプラの木です。私はそのCMを見た世代なので
今も懐かしさがありますが、ここにも多くの中国人観光客が(日本人以上に)大勢いました。
あのCMを知らなければ、単なるポプラの木、でしかないと思うのですが。。
パーチワークの路を走っていると、こんな景色が見えてきます。
続いては、「セブンスターの木」。1976年にセブンスターのパッケージに採用されたという、丘陵
地帯にポツンと立つカシワの木です。
セブンスターの木のすぐ近くにある白樺並木も、撮影スポットの1つのようです。
美瑛の最後は「北西の丘展望公園」。ピラミッド型の展望台から臨む360度の大パノラマ。
まさに美瑛、これぞ北海道、という景色でした。
この日は朝からあいにくの曇天。
晴れていれば、もっと景色を楽しむことができたでしょうし、写真もきれいに撮れたのでしょうけど、
それでも、家族4人、雄大な風景を十分に堪能することができました。
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十勝岳温泉のホテル「富良野 思惟林」へ(2泊3日の家族旅行②)
https://kyouichi.blog.ss-blog.jp/2019-09-01
8月11日に泊まった温泉旅館「ホテル富良野 思惟林」について紹介させていただきます。「ホテル富良野 思惟林」は、十勝岳の中腹、標高1,000mにあるホテルで、周囲は白樺などの樹木に囲まれていて、大自然の中にある秘境のようなところです。11室しかなく、源泉掛け流しの温泉があり、非常に魅力的なホテルでした。外観はこんな感じです。周囲には建物も電灯もなく、夜は暗闇の中に、このホテルだけが見えている感じです。ホテルから見える夕暮れの十勝岳です。今回宿泊したお部屋は1室だけあるスイートルームです。楽天トラベルの1000円のクーポンを利用して税込68,000円でした。高いと言えば高いのですが、8月のお盆の3連休に大人4人で利用してのこの価格、決して割高ではないです。こちらは部屋のリビングです。ちなみに部屋の広さは43畳です。ベッドルームです。和室です。そして、キッチン&バーカウンターです。ここにあるお酒、リキュールと、冷蔵庫にあるコーラやウーロン茶はすべて飲み放題です。夕食は、道産牛と、地元富良野・美瑛の食材をできる限り使ったというコース料理です。まず前菜。海の幸のカルパッチョです。甘えび、ホッキ、サーモン、ホタテ、イクラなど、贅沢な具材が使われてました。十勝産のコーンスープです。続いて、魚料理です。白ワインソースで味付けしたさわらのソテーです。ライ麦パンもついてました。そして肉料理は道産牛のステーキです。赤ワインソースがかかってます。デザートは富良野メロンです。過去の口コミを見ると、厳しいコメントの人も少なくないのですが、味も雰囲気も、そしてスタッフの方々の接客も、とても良かったですよ。写真は撮れませんでしたが、露天風呂もあるお風呂は、部屋数は11と少ないこともあって、いつ行っても独占状態でした。長距離の移動で疲れた身体を癒すには最適のお風呂です。この夜は曇っていて、星空を鑑賞できなかったのが残念でした。翌朝。朝食はバイキング形式です。北海道産の食材をふんだんに使った贅沢な朝食を楽しめました。朝の十勝岳です。今回はホテルのPRだけになってしまいました。どういう宿に泊まりたいかって、人それぞれ考え方があると思いますが、私はこのホテル、是非また泊まってみたいホテルの1つです。
家族旅行
takechan
2019-09-01T22:26:54+09:00
「ホテル富良野 思惟林」は、十勝岳の中腹、標高1,000mにあるホテルで、周囲は白樺などの樹木に
囲まれていて、大自然の中にある秘境のようなところです。11室しかなく、源泉掛け流しの温泉が
あり、非常に魅力的なホテルでした。
外観はこんな感じです。
周囲には建物も電灯もなく、夜は暗闇の中に、このホテルだけが見えている感じです。
ホテルから見える夕暮れの十勝岳です。
今回宿泊したお部屋は1室だけあるスイートルームです。楽天トラベルの1000円のクーポンを利用して
税込68,000円でした。高いと言えば高いのですが、8月のお盆の3連休に大人4人で利用してのこの価格、
決して割高ではないです。
こちらは部屋のリビングです。ちなみに部屋の広さは43畳です。
ベッドルームです。
和室です。
そして、キッチン&バーカウンターです。
ここにあるお酒、リキュールと、冷蔵庫にあるコーラやウーロン茶はすべて飲み放題です。
夕食は、道産牛と、地元富良野・美瑛の食材をできる限り使ったというコース料理です。
まず前菜。海の幸のカルパッチョです。甘えび、ホッキ、サーモン、ホタテ、イクラなど、贅沢な
具材が使われてました。
十勝産のコーンスープです。
続いて、魚料理です。白ワインソースで味付けしたさわらのソテーです。ライ麦パンもついてました。
そして肉料理は道産牛のステーキです。赤ワインソースがかかってます。
デザートは富良野メロンです。
過去の口コミを見ると、厳しいコメントの人も少なくないのですが、味も雰囲気も、そしてスタッフの
方々の接客も、とても良かったですよ。
写真は撮れませんでしたが、露天風呂もあるお風呂は、部屋数は11と少ないこともあって、いつ行っても
独占状態でした。長距離の移動で疲れた身体を癒すには最適のお風呂です。
この夜は曇っていて、星空を鑑賞できなかったのが残念でした。
翌朝。朝食はバイキング形式です。北海道産の食材をふんだんに使った贅沢な朝食を楽しめました。
朝の十勝岳です。
今回はホテルのPRだけになってしまいました。
どういう宿に泊まりたいかって、人それぞれ考え方があると思いますが、私はこのホテル、是非
また泊まってみたいホテルの1つです。
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2泊3日の北海道旅行①
https://kyouichi.blog.ss-blog.jp/2019-08-19
バタバタしていて、実に二か月ぶりの更新になりました。先日(8/11~13)、家族とともに2泊3日の(やや)強行スケジュールで北海道を旅行してきました。行程は、新千歳空港でレンタカーを借りて富良野に行き、1日目は十勝岳温泉で宿泊。2日目は美瑛に行き、そこから一気に定山渓温泉まで移動して宿泊。3日目は支笏湖に行き、そして千歳周辺をぶらぶらして帰路へ、という移動距離ばかりで立ち寄った観光スポットはわずか、というものでしたが、それでも、25歳の長男と19歳の二男もついてきてくれましたので、久しぶりに家族4人でのんびり過ごすことができました。では早速、富良野の写真を。富良野駅近くでラーメンを食べたあと、ラベンダーの季節が過ぎ、やや物足りなさのあるファーム富田に行ってみました。ラベンダーが咲く時期は丘全体が花に包まれてますが、それを過ぎると、この通り、一部の畑にのみ色とりどりの花が咲いています。それでも、遠くに十勝岳を望みながらのこの景色、あぁ、北海道だなぁ、という気分になりました。次に訪れたのが、美瑛町の白金温泉の近くにある、「青い池」。水面が青く見える不思議な池ということで、どんなに青いのか、と思いながら行ってみたところ、確かに青い!この青い池は、元々自然あった池ではなく、また意図して造られた溜池や貯水池でもなく、十勝岳の堆積物による火山泥流災害を防ぐため、美瑛川に造られた堰堤のひとつに水が溜まって偶発的に池になったんだとか。その割には、池に突き刺さったかのように見える白樺などの樹木と青い水面とでとても幻想的な景色を見せてくれています。青くなるのは、水に水酸化アルミニウムが混ざるためだとか。池の横を流れる美瑛川も、この通り、青く見えます。ここで初日の観光は終わり。次回はこの日泊まった温泉旅館「ホテル富良野 思惟林」について記事にしてみたいと思います。
家族旅行
takechan
2019-08-19T22:42:22+09:00
先日(8/11~13)、家族とともに2泊3日の(やや)強行スケジュールで北海道を旅行してきました。
行程は、新千歳空港でレンタカーを借りて富良野に行き、1日目は十勝岳温泉で宿泊。2日目は美瑛
に行き、そこから一気に定山渓温泉まで移動して宿泊。3日目は支笏湖に行き、そして千歳周辺を
ぶらぶらして帰路へ、という移動距離ばかりで立ち寄った観光スポットはわずか、というもので
したが、それでも、25歳の長男と19歳の二男もついてきてくれましたので、久しぶりに家族4人で
のんびり過ごすことができました。
では早速、富良野の写真を。富良野駅近くでラーメンを食べたあと、ラベンダーの季節が過ぎ、やや
物足りなさのあるファーム富田に行ってみました。
ラベンダーが咲く時期は丘全体が花に包まれてますが、それを過ぎると、この通り、一部の畑にのみ
色とりどりの花が咲いています。それでも、遠くに十勝岳を望みながらのこの景色、あぁ、北海道
だなぁ、という気分になりました。
次に訪れたのが、美瑛町の白金温泉の近くにある、「青い池」。水面が青く見える不思議な池という
ことで、どんなに青いのか、と思いながら行ってみたところ、確かに青い!
この青い池は、元々自然あった池ではなく、また意図して造られた溜池や貯水池でもなく、十勝岳の
堆積物による火山泥流災害を防ぐため、美瑛川に造られた堰堤のひとつに水が溜まって偶発的に池に
なったんだとか。その割には、池に突き刺さったかのように見える白樺などの樹木と青い水面とで
とても幻想的な景色を見せてくれています。
青くなるのは、水に水酸化アルミニウムが混ざるためだとか。池の横を流れる美瑛川も、
この通り、青く見えます。
ここで初日の観光は終わり。次回はこの日泊まった温泉旅館「ホテル富良野 思惟林」について
記事にしてみたいと思います。
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5月26日 「高崎鉄道ふれあいデー」へ
https://kyouichi.blog.ss-blog.jp/2019-06-22
5月26日、JR東日本とJR貨物により開催された「高崎鉄道ふれあいデー」に行ってきました。今回から会場が変更になり、そのため開場待ちの長い列が陽の当たる路上にできることになり、しかもこの日は非常に暑かったこともあって、入場する前にすっかり疲れてしまいました。今年は、第一会場が鉄道各社等のブースが並ぶスペースと新幹線の保守基地、第二会場が車両展示のある高崎車両センター高崎支所とJR 貨物高崎機関区で、第二会場に入るには第一会場で入場券を受け取る必要がありました。今回は、まず、第一会場で入場券と、新幹線保守基地を見学するための整理券を確保したうえで、徒歩10分ほどの場所にある第二会場に向かいました。第二会場でまず来場者を出迎えてくれるのがC61 20です。「ゆうづる」のヘッドマーク付きでした。そして、電気機関車が3両。左から、「あけぼの」のヘッドマークを付けたEF64 37、「出羽」のヘッドマークを付けたEF64 1001、そして、「鳥海」のヘッドマークのEF81 97です。逆側からも一枚。こちら側はヘッドマークなしでした。横から、希少な並びを撮ってみます。国鉄色のEF64が2両。そして、EF64とEF81です。こっちも珍しい組み合わせ。左からEH500とEH200とHD300ですが、いずれも試作機の901号機。初めてカメラに収めることができました。EH500とEH200。(電信柱が邪魔ですが)HD300です。この3両の901号機の向こうには気になる存在が。。。今回のイベントの展示車両ではありませんが、EF65 501でした。展示車両ではないと言えば、こちらも。第二会場に向かう途中で見かけた茶釜のDE10 1075です。マニ50 2185は、車内見学用に展示されていました。ここからは第一会場②の新幹線保守基地です。こちらは、トンネル内の検査・修繕を行う、トンネル・メンテンナンス・ワゴン(TMW)です。軌道モーターカーです。新型の確認車R600です。こちらも確認車のGA100です。軌陸型道床掘削作業機です。線路の道床(バラスト)を交換する車両です。最後に、軌道モーターカーをもう1枚。その近くをE7系が通過していきました。ということで、今回も普段はなかなか見ることのない車両などを見学・撮影することができました。来年も是非、行こうと思います。
鉄道
takechan
2019-06-22T22:40:56+09:00
会場が変更になり、そのため開場待ちの長い列が陽の当たる路上にできることになり、しかもこの日は
非常に暑かったこともあって、入場する前にすっかり疲れてしまいました。
今年は、第一会場が鉄道各社等のブースが並ぶスペースと新幹線の保守基地、第二会場が車両展示のある
高崎車両センター高崎支所とJR 貨物高崎機関区で、第二会場に入るには第一会場で入場券を受け取る必要がありました。今回は、まず、第一会場で入場券と、新幹線保守基地を見学するための整理券を確保
したうえで、徒歩10分ほどの場所にある第二会場に向かいました。
第二会場でまず来場者を出迎えてくれるのがC61 20です。
「ゆうづる」のヘッドマーク付きでした。
そして、電気機関車が3両。左から、「あけぼの」のヘッドマークを付けたEF64 37、「出羽」のヘッド
マークを付けたEF64 1001、そして、「鳥海」のヘッドマークのEF81 97です。
逆側からも一枚。こちら側はヘッドマークなしでした。
横から、希少な並びを撮ってみます。
国鉄色のEF64が2両。
そして、EF64とEF81です。
こっちも珍しい組み合わせ。左からEH500とEH200とHD300ですが、いずれも試作機の901号機。
初めてカメラに収めることができました。
EH500とEH200。
(電信柱が邪魔ですが)HD300です。
この3両の901号機の向こうには気になる存在が。。。
今回のイベントの展示車両ではありませんが、EF65 501でした。
展示車両ではないと言えば、こちらも。第二会場に向かう途中で見かけた茶釜のDE10 1075です。
マニ50 2185は、車内見学用に展示されていました。
ここからは第一会場②の新幹線保守基地です。
こちらは、トンネル内の検査・修繕を行う、トンネル・メンテンナンス・ワゴン(TMW)です。
軌道モーターカーです。
新型の確認車R600です。
こちらも確認車のGA100です。
軌陸型道床掘削作業機です。線路の道床(バラスト)を交換する車両です。
最後に、軌道モーターカーをもう1枚。その近くをE7系が通過していきました。
ということで、今回も普段はなかなか見ることのない車両などを見学・撮影することができました。
来年も是非、行こうと思います。
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「鉄道のまち大宮 鉄道ふれあいフェア」へ
https://kyouichi.blog.ss-blog.jp/2019-06-10
また、久しぶりの更新になりました。5月25日の土曜日、夏のような暑さの中で開催された、恒例の「鉄道のまち大宮 鉄道ふれあいフェア」に行ってきました。9時半開場にもかかわらず、8時20分に行ってみたところ、既に長蛇の列。毎年、来年はもっと早く行こう、と思うのですが、1時間以上も早めに行ってもこれだと、遅い時間に行った方が良いのかもしれないですね。今回の展示の目玉はこちら。JR貨物のEF65-2101とJR東日本のEF65-1102のツーショットです。開場直後は、EF65-2101の前面に影が映ってましたので、時間を変えてもう1枚。反対側からも1枚。私が滞在している間は、EF65-2101のヘッドマークは「津軽」と「あけぼの」。EF65-1101のヘッドマークは「さくら」と「みずほ」でした。こちらも展示車両です。カヤ27-501と、EF81-139。赤いEF81も、EF65に負けず劣らずで、カッコいいですね。「カシオペア」のヘッドマークが似合います。EF81の横から、カヤとEF65を眺めてみました。ED300-4も展示されてました。今年の試乗会は185系「踊り子号」でした。カヤの横を行く185系。そして、EF65の脇を通り過ぎる185系です。JR貨物大宮車両所の構内です。EH500-22がいました。運転室公開のコーナーで使用されたのはEH500-2でした。EF65-2089もいました。車体載せ実演のコーナーで使用されたのは国鉄色に変更されたEF64-1037です。反対側にもヘッドマークが。車掌体験コーナーには鶴見線の205系が使われました。プラレールのコーナーにはE259系の先頭車両が停まっていました。次回は、高崎でのイベントの様子をお伝えました。
鉄道
takechan
2019-06-10T22:45:00+09:00
5月25日の土曜日、夏のような暑さの中で開催された、恒例の「鉄道のまち大宮 鉄道ふれあいフェア」に
行ってきました。9時半開場にもかかわらず、8時20分に行ってみたところ、既に長蛇の列。毎年、来年は
もっと早く行こう、と思うのですが、1時間以上も早めに行ってもこれだと、遅い時間に行った方が
良いのかもしれないですね。
今回の展示の目玉はこちら。JR貨物のEF65-2101とJR東日本のEF65-1102のツーショットです。
開場直後は、EF65-2101の前面に影が映ってましたので、時間を変えてもう1枚。
反対側からも1枚。
私が滞在している間は、EF65-2101のヘッドマークは「津軽」と「あけぼの」。
EF65-1101のヘッドマークは「さくら」と「みずほ」でした。
こちらも展示車両です。カヤ27-501と、EF81-139。
赤いEF81も、EF65に負けず劣らずで、カッコいいですね。
「カシオペア」のヘッドマークが似合います。
EF81の横から、カヤとEF65を眺めてみました。
ED300-4も展示されてました。
今年の試乗会は185系「踊り子号」でした。
カヤの横を行く185系。
そして、EF65の脇を通り過ぎる185系です。
JR貨物大宮車両所の構内です。EH500-22がいました。
運転室公開のコーナーで使用されたのはEH500-2でした。
EF65-2089もいました。
車体載せ実演のコーナーで使用されたのは国鉄色に変更されたEF64-1037です。
反対側にもヘッドマークが。
車掌体験コーナーには鶴見線の205系が使われました。
プラレールのコーナーにはE259系の先頭車両が停まっていました。
次回は、高崎でのイベントの様子をお伝えました。
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「青い花畑」ひたち海浜公園へ
https://kyouichi.blog.ss-blog.jp/2019-05-19
10連休の7日目に、450万本のネモフィラが見頃を迎えている「ひたち海浜公園」に行ってきました。連休の初めでもなく、終盤でもない7日目なら、道路もそれほど混雑しないのでは、などと根拠のない予想に基づき、是非1度見たいと思っていた「ひたち海浜公園」を目指したのですが、6時半に自宅を車で出た直後から読みが甘かったことを知らされました。同公園までは約120km。順調に行けば2時間で到着できると思っていたのですが、まず外環道が渋滞。そして常磐道も渋滞。更には駐車場の入口でも大渋滞。結局、駐車場に車を停めることができたのが10時半。4時間もかかってしまいました。ただ、それでも、行って後悔はなかったです。いつも鉄道やお城ばかりを撮影している私ですが、その名の通りの「青い花畑」の幻想的な風景にはとても感動させられました。ネモフィラの咲く「みはらしの丘」は、同園のみはらしエリアにありますが、みはらしエリアではナノハナも満開でした。これが有名なみはらしの丘のネモフィラです。人が異常なくらいに多いのがネックではありますが、きれいな写真を撮れました。ネモフィラの青と空の青がよく調和しています。丘の上からは海も見えます。オレンジ色の花が目立つ場所もあります。下から見上げる景色も最高ですが、丘の上から見下ろす眺めも良いですね。ナノハナの奥には古民家があり、鯉のぼりが海からの風を受けて、気持ちよさそうに泳いでました。この時期は、ネモフィラに加えて、「たまごの森 フラワーガーデン」のエリアでは、約25万本あるという、色とりどりのチューリップも見頃を迎えます。なんと、230品種もあるんだそうです。これだけの花を毎日手入れする係の方のご苦労も大変でしょうね、などと考えつつ、久しぶりに春の花畑に心を癒されました。
関東
takechan
2019-05-19T18:11:32+09:00
連休の初めでもなく、終盤でもない7日目なら、道路もそれほど混雑しないのでは、などと根拠のない
予想に基づき、是非1度見たいと思っていた「ひたち海浜公園」を目指したのですが、6時半に自宅を
車で出た直後から読みが甘かったことを知らされました。同公園までは約120km。順調に行けば2時間で
到着できると思っていたのですが、まず外環道が渋滞。そして常磐道も渋滞。更には駐車場の入口でも
大渋滞。結局、駐車場に車を停めることができたのが10時半。4時間もかかってしまいました。
ただ、それでも、行って後悔はなかったです。いつも鉄道やお城ばかりを撮影している私ですが、その名の
通りの「青い花畑」の幻想的な風景にはとても感動させられました。
ネモフィラの咲く「みはらしの丘」は、同園のみはらしエリアにありますが、みはらしエリアでは
ナノハナも満開でした。
これが有名なみはらしの丘のネモフィラです。人が異常なくらいに多いのがネックではありますが、
きれいな写真を撮れました。ネモフィラの青と空の青がよく調和しています。
丘の上からは海も見えます。
オレンジ色の花が目立つ場所もあります。
下から見上げる景色も最高ですが、丘の上から見下ろす眺めも良いですね。
ナノハナの奥には古民家があり、鯉のぼりが海からの風を受けて、気持ちよさそうに泳いでました。
この時期は、ネモフィラに加えて、「たまごの森 フラワーガーデン」のエリアでは、約25万本あると
いう、色とりどりのチューリップも見頃を迎えます。なんと、230品種もあるんだそうです。
これだけの花を毎日手入れする係の方のご苦労も大変でしょうね、などと考えつつ、久しぶりに
春の花畑に心を癒されました。
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能登の海景色
https://kyouichi.blog.ss-blog.jp/2019-05-07
訪問してから2か月以上になりますが、3月に訪れた能登半島で見た海や海岸の景色です。まずは、金沢市内から石川県の日本海側の海岸に沿いを通る、6年前までは有料道路だった「のと里山海道」を走りました。こちらは、途中、高松SA付近の砂浜です。続いては、「のと里山海道」の更に海沿いにある、「千里浜なぎさドライブウェイ」付近の海岸です。ここは日本で唯一、一般の自動車やバスで海岸線の波打ち際を走行できる道路として有名ですね。私はここを実に25年ぶりに走りました。これは、この日の宿、和倉温泉の某旅館の部屋から見た七尾湾の海です。翌朝、同じ場所で撮った七尾湾です。朝日が差し込む海面がとても美しかったです。そして輪島へ移動。日本初の世界農業遺産である「能登の里山里海」の代表的な棚田、白米千枚田です。海沿いの斜面に1004枚もの棚田があるんだとか。まさに絶景です。田植えが終わったころに、再び行ってみたいですね。こちらは、荒波により岩の真ん中に2mの穴が開いた奇岩、「窓岩」です。ここを含め、朝市で有名な輪島市街から海岸線の沿って走る国道249号線、別名「奥能登絶景街道」からの眺めは、本当に素晴らしいものがありました。これは、道の駅赤神で撮った日本海です。真っ青な海、良いですね。そして、険しい断崖と荒波が作り出した奇岩が続く「能登金剛」の景勝地の1つ、「ヤセの断崖」付近の絶壁です。高いところが苦手な私には、これでも恐怖感と戦いながらの撮影です。ヤセの断崖の近くにある、「義経の舟隠し」です。源義経が奥州に逃亡する際、48隻もの船を隠したと伝えられている入り江です。最後に、能登金剛を代表する存在の「巌門」にやってきました。これは「巌門」付近の岩場です。そして、「巌門」。海に突き出た岩盤にある、浸食によってあいた洞門です。能登の海は、夏には海水浴を楽しめる砂浜あり、断崖絶壁や奇岩あり、と行く場所行く場所で豊かな表情を見せてくれますね。うまく表現できませんが、数々の絶景、とても堪能させてもらいました。
北陸
takechan
2019-05-07T23:13:34+09:00
まずは、金沢市内から石川県の日本海側の海岸に沿いを通る、6年前までは有料道路だった「のと
里山海道」を走りました。こちらは、途中、高松SA付近の砂浜です。
続いては、「のと里山海道」の更に海沿いにある、「千里浜なぎさドライブウェイ」付近の海岸です。
ここは日本で唯一、一般の自動車やバスで海岸線の波打ち際を走行できる道路として有名ですね。
私はここを実に25年ぶりに走りました。
これは、この日の宿、和倉温泉の某旅館の部屋から見た七尾湾の海です。
翌朝、同じ場所で撮った七尾湾です。朝日が差し込む海面がとても美しかったです。
そして輪島へ移動。日本初の世界農業遺産である「能登の里山里海」の代表的な棚田、白米千枚田です。
海沿いの斜面に1004枚もの棚田があるんだとか。まさに絶景です。田植えが終わったころに、再び行って
みたいですね。
こちらは、荒波により岩の真ん中に2mの穴が開いた奇岩、「窓岩」です。ここを含め、朝市で有名な
輪島市街から海岸線の沿って走る国道249号線、別名「奥能登絶景街道」からの眺めは、本当に素晴らしいものが
ありました。
これは、道の駅赤神で撮った日本海です。真っ青な海、良いですね。
そして、険しい断崖と荒波が作り出した奇岩が続く「能登金剛」の景勝地の1つ、「ヤセの断崖」付近の
絶壁です。高いところが苦手な私には、これでも恐怖感と戦いながらの撮影です。
ヤセの断崖の近くにある、「義経の舟隠し」です。源義経が奥州に逃亡する際、48隻もの船を
隠したと伝えられている入り江です。
最後に、能登金剛を代表する存在の「巌門」にやってきました。これは「巌門」付近の岩場です。
そして、「巌門」。海に突き出た岩盤にある、浸食によってあいた洞門です。
能登の海は、夏には海水浴を楽しめる砂浜あり、断崖絶壁や奇岩あり、と行く場所行く場所で豊かな
表情を見せてくれますね。
うまく表現できませんが、数々の絶景、とても堪能させてもらいました。
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能登の古刹
https://kyouichi.blog.ss-blog.jp/2019-04-27
三月上旬、金沢市内を巡ったあとは、レンタカーを借りて能登半島を旅行しました。その中で、1つ、記憶に焼き付いたのが2つの古刹、羽咋市にある妙成寺と輪島市門前町にある総持寺です。まずは、その妙成寺です。妙成寺は加賀前田家のゆかりの寺として有名です。今から700年ほど前に、日蓮聖人の孫弟子・日像上人によって建立された歴史あるお寺ですが、その後、江戸時代になり、前田利家の寵愛を受け三代藩主前田利常を生んだ寿福院によって、多くの建造物が建立され、数々の仏像や経巻などが寄進されるに至ったそうです。その当時の建物の多くが現存していて境内には10棟の国指定重要文化財があるんです、ではその建物のいくつかをご覧ください。こちらは、寛永2年(1625年)建立の二王門です。
北陸
takechan
2019-04-27T21:27:35+09:00
その中で、1つ、記憶に焼き付いたのが2つの古刹、羽咋市にある妙成寺と輪島市門前町にある
総持寺です。
まずは、その妙成寺です。妙成寺は加賀前田家のゆかりの寺として有名です。
今から700年ほど前に、日蓮聖人の孫弟子・日像上人によって建立された歴史あるお寺ですが、その後、
江戸時代になり、前田利家の寵愛を受け三代藩主前田利常を生んだ寿福院によって、多くの建造物が
建立され、数々の仏像や経巻などが寄進されるに至ったそうです。その当時の建物の多くが現存していて
境内には10棟の国指定重要文化財があるんです、
ではその建物のいくつかをご覧ください。こちらは、寛永2年(1625年)建立の二王門です。
元和4年(1618年)建立された、北陸唯一の五重塔。赤や金を散りばめたような派手さはなく、素朴でありますが、
重厚感が漂います。
寛永2年(1625年)建立の鐘楼です。珍しく、かつ優美な形状をしていて、袴腰と呼ばれる裾が広がった
ような板囲いは、入母屋の屋根と均整を保っているそうです。
寛文10年(1670年)建立の経堂です。
慶長19年(1614年)建立の本堂です。
寛永元年(1624年)建立と伝えられる祖師堂です。その建築様式から慶長年間の建立とも言われて
いるそうです。
万治2年(1659年)建立の書院です。
文禄2年(1593年)建立と伝える庫裡です。妙成寺では最古の建物です。
もう1つのお寺が、総持寺祖院です。元享元年(1321年)に創建され、、その後、日本曹洞宗の中心道場
として発展するも、明治31年(1898年)の大火により多くの堂宇を消失したため、明治44年(1911年)に
神奈川県の鶴見に本山が移転。その後大正、昭和にかけて堂宇が再興され、能登の祖院として現在に至って
いるんだそうです。
こちらは、総持寺の山門です。国の登録有形文化財です。
これは、寛保3年(1743年)に建立されたという経蔵です。
伝燈院の前にある門です。
元禄6年(1693年)建立の伝燈院です。
放光堂(納骨堂)です。これも登録有形文化財です。
法堂(大祖堂)です。これも登録有形文化財です。
大正元年(1912年)に再建された仏殿です。これも登録有形文化財です。
ということで、能登半島にある、歴史ある2つのお寺を見てきました。次回は、能登半島の海を
記事にしたいと思います。
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金沢の街を散策
https://kyouichi.blog.ss-blog.jp/2019-04-14
3月初旬、3年前から金沢市内に住む長男と金沢駅で合流して、1泊2日で金沢の街と能登半島を旅行してきました。旅の初めは、やはり兼六園です。言わずと知れた日本三名園の1つで、加賀百万石前田家の大名庭園です。3月初旬なら雪の徽軫灯籠を見ることができるかな、と期待もしていたのですが、今年の冬は雪が少なく、特にこの日の天気は晴れで、最高気温は12.5度と、冬というよりは春、という陽気でした。
北陸
takechan
2019-04-14T22:14:52+09:00
旅行してきました。
旅の初めは、やはり兼六園です。言わずと知れた日本三名園の1つで、加賀百万石前田家の大名庭園
です。3月初旬なら雪の徽軫灯籠を見ることができるかな、と期待もしていたのですが、今年の冬は
雪が少なく、特にこの日の天気は晴れで、最高気温は12.5度と、冬というよりは春、という陽気でした。
雁行橋。11枚の赤戸室石を使って、雁が列をなして飛んでいる姿に作られているそうです。
兼六園と言えば、徽軫灯籠と並び有名なのが、苔ですね。私は、苔に関する知識は一切ありませんが、
こういう風景を見ると、きれいだなって思います。
梅林では、梅が見頃を迎えつつありました。
栄螺山から霞ヶ池を見下ろします。
兼六園の次に訪ねたのは、兼六園のすぐ隣にある金沢城。こちらは、白壁が美しいことで有名な
石川門です。東大(加賀藩屋敷)の赤門に対し、白門とも呼ばれてました。
河北門、そしてその向こうに見えるのが菱櫓です。
五十間長屋、そして左が橋爪門です。
玉泉院丸の色紙短冊積石垣。
玉泉院丸の庭園です。
前田利家公を祀る尾山神社の拝殿。
尾山神社の神門。和漢洋の三様式を混用した異色の門として有名です。
江戸時代にタイムスリップしたかのような風情ある街並みで知られる、ひがし茶屋街です。
こちらも、風情ある土塀とこも掛けの景色が続く、長町武家屋敷跡です。
ランチは、近江町市場へ。
いつも行列が出来てる「もりもり寿司」で、北陸のネタを使ったおいしいお寿司を食べてきました。
長男の的確なアドバイスのおかげもあって、金沢市内の有名どころをぐるりと廻り、近江町市場で
昼食をとって、時間にして3時間半。充実した金沢の街巡りでした。
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