久保田城 (日本100名城 in秋田) [東北]
まだまだ、秋田の記事が続きます。
秋田駅付近で、最後の下り「あけぼの」を撮った後は、「鉄」モードを「歴」モードに切り替えて、雪の
舞う中を、市内にある久保田城(別名:秋田城)へと向かいました。
久保田城は、関ヶ原の戦いの後、常陸国から出羽秋田へと転封になった佐竹義宣が慶長9年(1604年)
に築きました。当時の大大名の1人ですし、関ヶ原後の築城ではありますが、石垣をほとんど用いず、
櫓台や曲輪の周囲は土塁で囲まれています。その土塁、今も本丸や二の丸を中心に、当時の面影を
良く残したまま、今に至っています。
佐竹氏は、徳川家に配慮して天守や3層の櫓を設けず、また石垣を用いなかったのも、その配慮があった
から、という説もあるそうですが、結果として、佐竹家は幕末まで久保田藩主として残ることとなります。
まずは、大手門跡から。ここからが、三の丸だったようです。
大手門付近から見た三の丸を囲んだ南外堀(大手門堀)です。
こちらは、二の丸の東側の内堀(東堀)です。
二の丸の東側にある、黒門跡。少しだけ、石垣が用いられてます。
二の丸。この時期は観光客もまばらで、15~20cmほどの雪で覆われたままでした。
二の丸から本丸へと向かうところにあった長坂門(二ノ門)跡。
久保田城では唯一の現存する建築物、御物頭御番所。二の門の脇にあって、二の門の開閉及び
城下の警備を担当する御物頭がここに詰めていました。18世紀後半、1760~70年代に建てられた
そうです。
表門(一ノ門)。2001年に再建されました。構造は木造2階建て瓦葺櫓門です。
一ノ門を超えると、そこには本丸跡が広がってます。
本丸の西側にある、埋門跡。本丸には、表門・裏門・帯曲輪門・埋門・切戸口という5箇所の出入口が
設けられていました。
多聞長屋跡。本丸の周囲にある土塁上には、多聞長屋と板塀が設けられていました。
秋田市政100周年を記念して1989年に復元された御隅櫓。3重4階の構造ですが、江戸時代には
2重の櫓が建っていました。
本丸の土塁。
裏門跡。
帯曲輪門跡。
本丸の北側にある、帯曲輪。雪国ですね。当時は大変だったでしょうね。
本丸の南西部にある、出し書院跡。
二の丸にある、胡月池。池は凍ってて、分かりにくいですね。
もう1枚、二の丸。二の丸には、松下門・黒門・厩門(不浄門)・土門(北御門)という4箇所の出入口が
設けらていました。
厩門(不浄門)跡。
土門(北御門)跡。
二の丸の南側に残る内堀。
三の丸の南西側に残る、穴門堀(西兵具蔵外堀の一部)。
三の丸の南東側に残る、大手門堀(南外堀の一部)。大手門堀と穴門堀の間にあったのが、
中土橋門です。
大手門堀をもう1枚。ここも凍ってます。
ということで、雪の久保田城でした。なお、3月までは、隅櫓などは冬季閉鎖期間中で、100名城の
スタンプもゲットできません。冬場のお城も風情がありますが、スタンプを集めている方は、冬場は避けて
下さい。
次回は、同じく日本100名城の盛岡城を記事にしたいと思います。
秋田駅付近で、最後の下り「あけぼの」を撮った後は、「鉄」モードを「歴」モードに切り替えて、雪の
舞う中を、市内にある久保田城(別名:秋田城)へと向かいました。
久保田城は、関ヶ原の戦いの後、常陸国から出羽秋田へと転封になった佐竹義宣が慶長9年(1604年)
に築きました。当時の大大名の1人ですし、関ヶ原後の築城ではありますが、石垣をほとんど用いず、
櫓台や曲輪の周囲は土塁で囲まれています。その土塁、今も本丸や二の丸を中心に、当時の面影を
良く残したまま、今に至っています。
佐竹氏は、徳川家に配慮して天守や3層の櫓を設けず、また石垣を用いなかったのも、その配慮があった
から、という説もあるそうですが、結果として、佐竹家は幕末まで久保田藩主として残ることとなります。
まずは、大手門跡から。ここからが、三の丸だったようです。
大手門付近から見た三の丸を囲んだ南外堀(大手門堀)です。
こちらは、二の丸の東側の内堀(東堀)です。
二の丸の東側にある、黒門跡。少しだけ、石垣が用いられてます。
二の丸。この時期は観光客もまばらで、15~20cmほどの雪で覆われたままでした。
二の丸から本丸へと向かうところにあった長坂門(二ノ門)跡。
久保田城では唯一の現存する建築物、御物頭御番所。二の門の脇にあって、二の門の開閉及び
城下の警備を担当する御物頭がここに詰めていました。18世紀後半、1760~70年代に建てられた
そうです。
表門(一ノ門)。2001年に再建されました。構造は木造2階建て瓦葺櫓門です。
一ノ門を超えると、そこには本丸跡が広がってます。
本丸の西側にある、埋門跡。本丸には、表門・裏門・帯曲輪門・埋門・切戸口という5箇所の出入口が
設けられていました。
多聞長屋跡。本丸の周囲にある土塁上には、多聞長屋と板塀が設けられていました。
秋田市政100周年を記念して1989年に復元された御隅櫓。3重4階の構造ですが、江戸時代には
2重の櫓が建っていました。
本丸の土塁。
裏門跡。
帯曲輪門跡。
本丸の北側にある、帯曲輪。雪国ですね。当時は大変だったでしょうね。
本丸の南西部にある、出し書院跡。
二の丸にある、胡月池。池は凍ってて、分かりにくいですね。
もう1枚、二の丸。二の丸には、松下門・黒門・厩門(不浄門)・土門(北御門)という4箇所の出入口が
設けらていました。
厩門(不浄門)跡。
土門(北御門)跡。
二の丸の南側に残る内堀。
三の丸の南西側に残る、穴門堀(西兵具蔵外堀の一部)。
三の丸の南東側に残る、大手門堀(南外堀の一部)。大手門堀と穴門堀の間にあったのが、
中土橋門です。
大手門堀をもう1枚。ここも凍ってます。
ということで、雪の久保田城でした。なお、3月までは、隅櫓などは冬季閉鎖期間中で、100名城の
スタンプもゲットできません。冬場のお城も風情がありますが、スタンプを集めている方は、冬場は避けて
下さい。
次回は、同じく日本100名城の盛岡城を記事にしたいと思います。
takechanさんはいろいろなモードがあるんですね。
by takenoko (2014-03-31 07:11)
秋田城と云わずに久保田城というのですか。
勇壮なお城ですね。
by kohtyan (2014-04-04 14:21)
雪景色のお城最高ですね。それがしも秋田行きたいですっ!でも遠くて、遠くて、妄想しているだけです、この数年。
by ノリパ (2014-04-06 10:57)