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盛岡城 (日本100名城 in 盛岡) 前編 [東北]

まだ、3月15日の記事が続きます。秋田からE6系こまち号に乗り、途中盛岡で下車して、駅から徒歩10分
ほどのところにある盛岡城址に寄ってみました。

盛岡城は、秋田の久保田城をはじめ、土塁の多い東北地方の城の中では珍しく、本格的な、しかもスケール
の大きな石垣で囲まれた城です。白い花崗岩を「打込みはぎ」の石垣は東北随一の美しさと言われ、その
ほかにも野面積みなど、様々な工法で築かれています。

築城時の城主は南部信直。戦国時代、南部氏は一族内で対立していましたが、その中で三戸南部氏が
豊臣秀吉から南部宗家として認められ、初代の信直が1598年頃に築城に着手。以来、3代約40年の歳月
をかけて、1633年にようやく全域が完成したそうです。その後、他家に譲ることなく、南部氏による治世が
続き、維新を迎えました。
明治になってほとんどの建物が解体されたため、現存する建物は御彦蔵だけですが、本丸や二の丸、
三の丸、淡路丸、腰曲輪などの曲輪とそれを囲む石垣は、今も当時の様子をよく伝えていて、見ごたえ
充分です。想像以上に見どころがあり、写真をたくさん撮ってきましたので、前編、後編の2回に分けて
その様子をレポートしたいと思います。では、連郭式平城「盛岡城」をご覧ください。
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こちらが、盛岡城の地図です。これを見てただくと、この後の写真の位置関係が分かりやすいと思います。
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まずこちらは、二の丸の西側の石垣です。雪がかなり残ってましたので、美しいと言われる石垣が
あまり見えませんね。上の地図の現在地の表示の左のトイレのあたりから撮った写真です。
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三の丸の北側の亀ケ池(内堀跡)と土塁です。写真手前(私が立っていた場所)に枡形門があった
そうです。池はすっかり凍ってました。
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下曲輪の西側の亀ケ池(内堀跡)です。
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下曲輪の北側に広がる内丸緑地。この付近には御新丸という曲輪があったようです。
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下曲輪(内丸)時鐘。1679年に鋳造され、元々は外堀の土塁上にありましたが、明治時代にこの地に
移され、昭和30年頃まで時刻を知らせていたそうです。
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下曲輪の東側にある鶴ケ池。これも内堀の遺構です。
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三の丸の東側に続く鶴ケ池。
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下曲輪から三の丸に向かう位置にある、瓦門跡。枡形の門です。
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三の丸。晴天ですが、この通り、雪がかなり残ってました。
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二の丸。大書院などがありました。
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二の丸の石垣(左)と、本丸の石垣(右)の間の空堀跡。
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二の丸と本丸の間に架けられた渡雲橋。かつては、御廊下橋という、屋根のある橋が架けられて
いたそうです。
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二の丸、三の丸の東側にある、御台所屋敷跡。
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本丸の南側にある、腰曲輪跡。
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本丸の東側にある、淡路丸跡。
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本丸東側、御末門跡の石垣。
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本丸から腰曲輪へと降りる石段。
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本丸東側の石垣。築城当時の石垣です。
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最後に本丸跡。かつては四つの隅に櫓がありました。
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中途半端な終わり方になりますが、美しい石垣などは後編に掲載したいと思います。
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コメント 3

takenoko

月末にはここも桜が咲くでしょうね。
by takenoko (2014-04-05 08:13) 

ノリパ

お堀が凍っているのは今まで見たことないです、寒いんでしょうね。秋田と盛岡は近いんですね。参考になりました、ありがとうございます。
by ノリパ (2014-04-06 11:02) 

ぐす

一面雪と氷ですね。
昨年、ここへ行きましたが桜綺麗でしたよ(^ ^)

by ぐす (2014-04-06 23:16) 

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