土浦城址 & 鹿島鉄道廃線跡 [関東]
今日(8月11日)は暑かったですね。昨日も暑かったけど、今日は更に暑かった。
全国927地点のうち、35℃以上を記録したのが297地点もあったとか(昨日は295地点)。
更に、今年最高の気温を記録したのが296地点、その地の観測史上最高を記録した場所も47地点も
あり、まさに記録ずくめの猛暑の一日でした。
そんな中、(何も今日でなくても良いのに)茨城県土浦市にある、土浦城址に行ってきました。
土浦城は、江戸初期に松平信一によって築かれ、その後西尾氏、朽木氏、そして中期以降は譜代大名
土屋氏が藩主となり幕末を迎えました。土屋氏の時代の所領は9万5千石。常陸国では水戸藩に次いで
大きな領地だったそうです。
土浦城の遺構で最も貴重なのが、二の丸から本丸に向かう途中にある、櫓門(太鼓門)。本丸にある櫓門
としては関東地方では唯一現存するものだそうです。
こちらは、二の丸から見た、堀と櫓門と本丸土塀です。
櫓門(太鼓門)は、明暦2年(1656年)の改築と伝えられ、茨城県の指定文化財になっています。
こちらは霞門。こちらも江戸時代から現存する建築物で茨城県指定文化財です。
霞門を出たあたり、本丸東側の水濠。
旧前川口門。江戸時代末期に建築された高麗門で、武家屋敷と町屋を仕切る門だったのを、
昭和56年に二之門のあったこの場所に移築したものです。
旧前川門を出たところ、二の丸の南側に広がっていた外丸跡。
二の丸跡。
西櫓。昭和24年の台風の被害を受け解体されましたが、平成3年に復元完成されました。
本丸跡。
太鼓門脇に復元された本丸土塀。
土浦市立博物館の付属展示館として、平成10年に復元された東櫓。
本丸北側の水濠。
市立博物館前に残された、櫓門の礎石。
土浦第一中学校の通用門。元々は城内にあった土浦藩の藩校、郁文館の正門で、城内から
天保10年(1839年)に移築されました。
ここから、少しだけ、鉄分。かつて石岡~鉾田間を走っていて、2007年4月1日に廃止となった
旧鹿島鉄道線の廃線跡をちょっと見てきました。
廃線跡の一部はバス専用道となっていますが、一部にはこのように線路や築堤が今も残っています。
こちらは、常陸小川~小川高校下の線路跡です。
そして、トウモロコシ畑の中に今も残る小川高校下駅のホーム。
今にも電車が来そう。。。というよりは、たった5年でこんなに廃れてしまうのかなって、思いますね。
みんなで存続を応援してた頃の絵でしょうか。
ホームには今も当時のままの料金表が。ローカル線の悲哀を物語っているように見えました。
しかし暑い。明日も今日ほどではないけど、35℃とか。35℃って、今日よりは3℃低い、とかいう
水準ではないですよね。十分、猛暑日です。明日も水分補給を怠らないようにします。
ではまた、次回。
全国927地点のうち、35℃以上を記録したのが297地点もあったとか(昨日は295地点)。
更に、今年最高の気温を記録したのが296地点、その地の観測史上最高を記録した場所も47地点も
あり、まさに記録ずくめの猛暑の一日でした。
そんな中、(何も今日でなくても良いのに)茨城県土浦市にある、土浦城址に行ってきました。
土浦城は、江戸初期に松平信一によって築かれ、その後西尾氏、朽木氏、そして中期以降は譜代大名
土屋氏が藩主となり幕末を迎えました。土屋氏の時代の所領は9万5千石。常陸国では水戸藩に次いで
大きな領地だったそうです。
土浦城の遺構で最も貴重なのが、二の丸から本丸に向かう途中にある、櫓門(太鼓門)。本丸にある櫓門
としては関東地方では唯一現存するものだそうです。
こちらは、二の丸から見た、堀と櫓門と本丸土塀です。
櫓門(太鼓門)は、明暦2年(1656年)の改築と伝えられ、茨城県の指定文化財になっています。
こちらは霞門。こちらも江戸時代から現存する建築物で茨城県指定文化財です。
霞門を出たあたり、本丸東側の水濠。
旧前川口門。江戸時代末期に建築された高麗門で、武家屋敷と町屋を仕切る門だったのを、
昭和56年に二之門のあったこの場所に移築したものです。
旧前川門を出たところ、二の丸の南側に広がっていた外丸跡。
二の丸跡。
西櫓。昭和24年の台風の被害を受け解体されましたが、平成3年に復元完成されました。
本丸跡。
太鼓門脇に復元された本丸土塀。
土浦市立博物館の付属展示館として、平成10年に復元された東櫓。
本丸北側の水濠。
市立博物館前に残された、櫓門の礎石。
土浦第一中学校の通用門。元々は城内にあった土浦藩の藩校、郁文館の正門で、城内から
天保10年(1839年)に移築されました。
ここから、少しだけ、鉄分。かつて石岡~鉾田間を走っていて、2007年4月1日に廃止となった
旧鹿島鉄道線の廃線跡をちょっと見てきました。
廃線跡の一部はバス専用道となっていますが、一部にはこのように線路や築堤が今も残っています。
こちらは、常陸小川~小川高校下の線路跡です。
そして、トウモロコシ畑の中に今も残る小川高校下駅のホーム。
今にも電車が来そう。。。というよりは、たった5年でこんなに廃れてしまうのかなって、思いますね。
みんなで存続を応援してた頃の絵でしょうか。
ホームには今も当時のままの料金表が。ローカル線の悲哀を物語っているように見えました。
しかし暑い。明日も今日ほどではないけど、35℃とか。35℃って、今日よりは3℃低い、とかいう
水準ではないですよね。十分、猛暑日です。明日も水分補給を怠らないようにします。
ではまた、次回。
暑い中お疲れ様でした。土浦ならいつでも行けるのに、と思うのは他人事だから??
by takenoko (2013-08-12 08:54)
5年ですか・・・
毎日のように訪問していた鹿島鉄道、廃線後はあまり行っていませんでした。
近々行ってみたいと思いました。
by ひでほ (2013-08-12 09:21)
鹿島鉄道の廃線跡、
夏草に埋もれるホームが切なくも、なんだかいい雰囲気ですね〜。
廃線となってから5年経った今でも、常磐線で石岡を通ると、
つい鹿島鉄道のホームがあった場所を眺めてしまいます…。
by あおたけ (2013-08-12 09:46)
土浦城址ってよさそうですね。
これは一度行ってみたいです。
by たかぼん (2013-08-14 08:13)
廃線になった小川高校駅は、線路跡からの5枚組写真ですね。
物語を感じます。
by kohtyan (2013-08-14 14:57)