幼い頃の記憶 [関東]
幼い頃、もう少し具体的に言うと、昭和40年頃から昭和47年1月まで、昭和39年生まれの私に
とっては、小学校1年の1月まで、東京都足立区の花畑団地という所に住んでました。
もちろん、今まで、そのことを忘れることはないにせよ、と言って、今住む蕨市からは比較的近い
にも関わらず、その後、一度も行くことはありませんでした。
そんなある日、2月11日に、子供のサッカーの手伝いで東武線の谷塚駅に近いグランドに行った際に、
カーナビに「花畑」の文字を見つけ、思わず懐かしくなって行ってみたんです。
そして、行ってみて、今も忘れぬ公園の様子や、すっかり忘れてた周囲の風景を見て、なんだか
不思議な感覚に、自分がその当時に、子供の頃に戻ったかのような気分になりました。
まず、こちらが、その花畑団地です。昭和40年代には、みなの憧れの住宅でもあったという、
まさに、団地っていうやつです。それが、今もほとんど当時のままに、建ち並んでました。
どこまでも、同じ色、同じ形の建物が並ぶ、そういう場所です。
これは行くまで忘れてました。そして見て思い出しました。時々、小ぶりな建物もあったのを。
そんな中で、幼い私が、両親とともに約7年間生活したのが、この24号棟です。数年前に、親からは、
この団地一帯が建て替えになるらしい、って話も聞いたのですが、実際には何も変わらず当時のまま
でした。強いて言えば、外壁とかドアを塗りなおした程度の修繕はあったのでしょうけど。
24号棟を南側から。この建物の左側の方に住んでました。
下から見上げます。何度も上り下りした階段も、ゴミ捨て場も、自転車置き場も、とても懐かしいです。
わずか数段の階段を、近所の仲間たちと一緒に、競って飛び降りて、自分は強いと自慢しあってた
ことも思い出しました。
この扉。新聞受け。右手に見える、確か配達の人が牛乳瓶を置く場所。40年前の記憶が少しずつ
呼び起されていきます。
自分の住む棟のすぐ北側には公園がありました。そこには、3つの山が。これだけははっきりと覚えて
ました。左に隠れて見えるのが雲取山、そして富士山とエベレスト山。当時、エベレスト山はとても高く
感じ、みんなで必死になってつかまり、頂上まで登った記憶があるのですが、今こうして目の前に
立ってみてビックリ。自分の背丈ほどしかありませんでした。
この、3つの山の周囲には砂場とかがあったと思ってましたが、今は、遊歩道のような公園になってます。
きっと、私がここを出て行った後に公園を整備したんでしょうね。その時に、この3つの思い出の山だけは
そのまま残したんでしょう。有難いことです。この山が無かったら、きっとショックを受けてました。
少し南側には、大きな公園がありましたが、今は、工事中でした。
懐かしさに浸りながら、団地内を歩いていて思ったのですが、さっきの24号棟やその周囲の団地には
階段しかありませんでしたが、この棟には立派なエレベータが設置されてます。
また、こちらの棟にもエレベータがありますが、なぜか、2階と4階はスキップする構造のようでした。
まさか、自費で設置したんですかね。そんな訳ないか。。。
ちなみにこの川は、団地の北側、足立区と埼玉県草加市との境に流れる毛長川という川です。住んでた
頃は、ものすごく川幅のある、大きな川、だと思ってました。子供たちの間では、反対側に渡ったら、
二度とこっち側には戻ってこれない、と恐れられてましたし。今見ると、小さな川ですが。
川の反対側から、花畑団地側を望みます。
この記事には、私以外の方には、全く見る価値のない内容ではありますが、自分にとっては思い出の、
40年間、記憶の中にしまわれていた、故郷とも言うべき、そういう場所への訪問でしたので、記事に
させて頂きました。
皆様にも、そういう、生まれ育った、でも何年も年十年も行ってない、そんな地がありますでしょうか。
とっては、小学校1年の1月まで、東京都足立区の花畑団地という所に住んでました。
もちろん、今まで、そのことを忘れることはないにせよ、と言って、今住む蕨市からは比較的近い
にも関わらず、その後、一度も行くことはありませんでした。
そんなある日、2月11日に、子供のサッカーの手伝いで東武線の谷塚駅に近いグランドに行った際に、
カーナビに「花畑」の文字を見つけ、思わず懐かしくなって行ってみたんです。
そして、行ってみて、今も忘れぬ公園の様子や、すっかり忘れてた周囲の風景を見て、なんだか
不思議な感覚に、自分がその当時に、子供の頃に戻ったかのような気分になりました。
まず、こちらが、その花畑団地です。昭和40年代には、みなの憧れの住宅でもあったという、
まさに、団地っていうやつです。それが、今もほとんど当時のままに、建ち並んでました。
どこまでも、同じ色、同じ形の建物が並ぶ、そういう場所です。
これは行くまで忘れてました。そして見て思い出しました。時々、小ぶりな建物もあったのを。
そんな中で、幼い私が、両親とともに約7年間生活したのが、この24号棟です。数年前に、親からは、
この団地一帯が建て替えになるらしい、って話も聞いたのですが、実際には何も変わらず当時のまま
でした。強いて言えば、外壁とかドアを塗りなおした程度の修繕はあったのでしょうけど。
24号棟を南側から。この建物の左側の方に住んでました。
下から見上げます。何度も上り下りした階段も、ゴミ捨て場も、自転車置き場も、とても懐かしいです。
わずか数段の階段を、近所の仲間たちと一緒に、競って飛び降りて、自分は強いと自慢しあってた
ことも思い出しました。
この扉。新聞受け。右手に見える、確か配達の人が牛乳瓶を置く場所。40年前の記憶が少しずつ
呼び起されていきます。
自分の住む棟のすぐ北側には公園がありました。そこには、3つの山が。これだけははっきりと覚えて
ました。左に隠れて見えるのが雲取山、そして富士山とエベレスト山。当時、エベレスト山はとても高く
感じ、みんなで必死になってつかまり、頂上まで登った記憶があるのですが、今こうして目の前に
立ってみてビックリ。自分の背丈ほどしかありませんでした。
この、3つの山の周囲には砂場とかがあったと思ってましたが、今は、遊歩道のような公園になってます。
きっと、私がここを出て行った後に公園を整備したんでしょうね。その時に、この3つの思い出の山だけは
そのまま残したんでしょう。有難いことです。この山が無かったら、きっとショックを受けてました。
少し南側には、大きな公園がありましたが、今は、工事中でした。
懐かしさに浸りながら、団地内を歩いていて思ったのですが、さっきの24号棟やその周囲の団地には
階段しかありませんでしたが、この棟には立派なエレベータが設置されてます。
また、こちらの棟にもエレベータがありますが、なぜか、2階と4階はスキップする構造のようでした。
まさか、自費で設置したんですかね。そんな訳ないか。。。
ちなみにこの川は、団地の北側、足立区と埼玉県草加市との境に流れる毛長川という川です。住んでた
頃は、ものすごく川幅のある、大きな川、だと思ってました。子供たちの間では、反対側に渡ったら、
二度とこっち側には戻ってこれない、と恐れられてましたし。今見ると、小さな川ですが。
川の反対側から、花畑団地側を望みます。
この記事には、私以外の方には、全く見る価値のない内容ではありますが、自分にとっては思い出の、
40年間、記憶の中にしまわれていた、故郷とも言うべき、そういう場所への訪問でしたので、記事に
させて頂きました。
皆様にも、そういう、生まれ育った、でも何年も年十年も行ってない、そんな地がありますでしょうか。
おはようございます。
小さい頃の記憶確認できましたね、山・川に象徴されますね。
心温まる記事拝見出来ました。
by YUTAじい (2012-02-25 06:55)
こんばんは
懐かしい風景に出会えたときの
ほのぼとした雰囲気を感じました
私は千葉県の松戸市に住んでいましたが
常盤平団地というマンモス団地がありました
昨年、通りかかりましたが人影がまったく
なかったのを覚えています。
私が子供の頃はそれこそ子供が日が暮れるまで
付近で遊んでいたのですが・・・
by gardenwalker (2012-02-25 10:20)
おはようございます。
良いですね。自分の育った環境がほぼそのままの状態で残っているのは♪
37年生まれの私には、心の中の遠い記憶でしか残っていません。懐かしさに浸る為に今のレイアウトを作っているのかもしれません。
by JR浜松 (2012-02-25 10:59)
思い出が蘇って本当によかったですね。それがしにはそんな素敵な思い出あるかな… なさそうです。
by ノリパ (2012-02-25 14:30)
私の子供時代にも同じような団地があって、
その中を通って小学校に通ったり、
何号館の友だちの家に遊びに行ったりしたものです。
時間の隔たりから記憶が一気に甦って、不思議な気持ちになりますよね。
それにしても5階まで階段、毎日大変です。
by manamana (2012-02-26 06:06)
小生も子供のころ住んでいた懐かしい場所にふと訪れたくなって足をのばすことがあります。昔と変わっていない風景があると、それだけでほのぼのとして心が満たされます。もう一度あのころにもどりたいなんて思うことがしばしばです。
by ひでほ (2012-02-26 12:36)
花畑団地、街歩きで訪れたことがあります。
確か、「はなはた」でしたよね。
埼玉県が近くて、住みやすそうな印象を持ちました。
by つぼっち (2012-02-29 22:40)