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金山城へ (日本100名城) [関東]

先月の下旬、群馬県太田市にある金山城址に行ってきました。

この城は、文明元年(1469年)に、新田氏の一族の岩松家純によって築城され、その後、岩松氏の家臣の
由良氏、そして後北条氏と受け継がれ、1590年の豊臣秀吉による小田原攻めの際に落城し、そのまま
廃城となりました。
この城の見所は、この時代の関東の山城としては極めて珍しく、城址全域が石垣、石敷きだということに
あります。この時期の関東の山城には本格的な石垣はない、という定説を覆した城、とも言われています。
言葉ではうまく言えませんので、とにかく写真をご覧ください。
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西矢倉台の下堀切。
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そして、馬場曲輪下の石敷きに向かう土橋と門です。
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こちらが石敷きの通路。立派な石敷きが見事に復元されてます、
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石敷き通路の南側にある土塁石垣。
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石敷き通路を登ったところにある、建物跡。
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馬場下石敷き通路の上部にある物見台。今も目の前に絶景が広がります。
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馬場曲輪の石垣。
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馬場曲輪下にある、月の池。
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大手虎口付近の石垣。
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大手虎口曲輪の、何段にも重なる石垣。見事ですね。
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大手虎口曲輪にある、井戸跡。
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南上段曲輪です。武器庫を兼ねた、兵の詰所があったそうです。建物が復元されてます。
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南曲輪と御台所曲輪の間にある、日の池。山の上ではまれな大池で、生活用水を貯水する場所ではなく、
戦勝や雨乞いを祈願する儀式を行った場所と考えられているそうです。
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天主曲輪(本丸)。実城(みじょう)とも言います。こちらには現在、新田神社が建ってます。
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本丸下の石垣。金山城最大の、野面積みの石垣です。
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最後に、調査中の様子も。大手虎口から、大手門方面に向かう斜面。
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そして、大手門付近。いずれも、石垣等の発掘調査中のようです。
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こうした調査が進み、更に大規模な、石垣で囲まれた山城の全貌が明らかになる日が楽しみです。
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コメント 5

manamana

壮大な山城だったのに、
廃墟となった姿を見ると、
なんとも言えない虚さをかんじます。
by manamana (2011-09-11 21:29) 

gardenwalker

こんばんは
とても立派なものだったようですね~
by gardenwalker (2011-09-12 23:05) 

kohtyan

立派な石垣を見ると、当時の豪壮なお城が想像できます。
月の池に日の池とは風流ですね。
by kohtyan (2011-09-13 13:41) 

ケンケン

日の池は、どんな儀式をやっていたか、当時の様子をいろいろと想像します。
by ケンケン (2011-09-13 23:06) 

ノリパ

ココはもう1回いって見たいお城の一つです。下からハイキングで登りたいですね。
日の池が神秘的だったのを思い出してます。いいところですよね。
by ノリパ (2011-09-14 23:54) 

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