東京 (再び江戸城跡巡り ②) [関東]
前回の続きです。
数寄屋橋門跡を確認した後は、晴海通りを西にそのまま行ったところに
ある日比谷公園へ。この日比谷公園の有楽門を入ってすぐ左手に見える
石垣が、かつての日比谷門(日比谷見附)の遺構なんです。
そして、その先に広がる心字池、これはなんと、かつての外堀の一部をその
まま池として整備したものなんです。前回と同様に、この付近の古地図を見ると
位置関係がわかると思います。地図上「日比谷御門」と書いてあるあたりの堀が
池になったんです。
これがその堀を活かして作ったという心字池です。池の脇に石垣が続きます。
天気のいい日、この日比谷公園に平日の昼頃に行くと、お弁当を食べる、あるいは
食後の休憩中のサラリーマンやOLで賑わってます。緑が溢れ、池や噴水があり、
まさに都会のオアシスだな、なんて思いますね。
この日は日曜だったので、いつもとか違う光景でしたが、池ではこんな鳥が休息して
ました。なんていう鳥なのか分かりませんが。
日比谷公園を出た後に向かったのが、馬場先門跡。ここも石垣が残るのみですが、
東京駅から二重橋に向かう途中にあたるせいか、観光客が大勢いました。
(馬場先門付近の石垣)
(馬場先門後を示す表示)
ここから大手門に周り、今回は皇居東御苑を見学させていただいたのですが、
そこで見たものは次回に触れることにして、東御苑を出た後の行程を続けます。
東御苑をグルリと一周し、最後は平川門から外に出ました。
平川門からちょっと北に行くと、かつての外堀、現在の日本橋川が首都高速の下を
ひっそりと流れています。このあたりには、上流から順に、雉子橋門、一橋門、神田橋門、
そして常盤橋門、呉服橋門、鍛冶橋門、数寄屋橋門と、門があり外堀が流れていた
んです。
下の古地図で、雉子橋~神田橋と、平川門などの位置関係がわかります。
そこで、その雉子橋門のあたりに行ってみました。
(雉子橋門の北側の袂に立つ、案内板)
雉子橋の南側、住友商事の旧本社の敷地の脇には、雉子橋門の遺構と思われる石垣
の一部が、なぜか残されています。
このあたり、日本橋川の南側には、石垣がそのまま残ってます。
雉子橋から一ツ橋にかけてのあたりに。
次に、一橋門。
ここも、橋の南側の脇に、堀と、枡形門の一部と思われる石垣が残ってます。
但し、道路に面する側は、崩れかかってますが。是非、修復・保存をしてほしい
ものです。
この一橋門から神田橋門にかけての外堀の内側、現在の丸紅本社、気象庁、
大手町合同庁舎3号館のあたりは、一橋徳川家の屋敷のあったところです。
今も、丸紅本社前には、それを示す碑が立っています。
この日の最後に向かったのが神田橋です。
橋の北側には、かろうじて、案内板がありますが、残念ながら、ここでは何の遺構も
ないようでした。
と諦めかけたその時、見付けました、石垣の残骸を。それも首都高速神田橋入口から
本線に向かう途中、料金所の下あたり、対岸からも、屈みこんで見ないと気が付かない
ような場所に。
う~ん、これも何とか、江戸時代の遺構として、日の目を浴びせてほしいものです。
(わかりますか?)
(更にもう一枚)
また、橋の北西側には、かつてここに、物揚げ場があったという記念碑も。
神田橋は何の遺構もないと聞いていたので期待はしていなかった分、逆に
ちょっとした発見があり、得した気分になれました。
そしてこの日は、JR神田駅まで歩いて、そして電車で帰ったのですが、
新橋駅前に降り立ったのが10時前。神田駅に着いたのが13時半。ということは
3時間半、ほぼ歩きっぱなし。う~ん、これはメタボ対策にはかなり効き目が
あったかもしれません。
ただ、さすがに、足が棒のようでしたけどね...
数寄屋橋門跡を確認した後は、晴海通りを西にそのまま行ったところに
ある日比谷公園へ。この日比谷公園の有楽門を入ってすぐ左手に見える
石垣が、かつての日比谷門(日比谷見附)の遺構なんです。
そして、その先に広がる心字池、これはなんと、かつての外堀の一部をその
まま池として整備したものなんです。前回と同様に、この付近の古地図を見ると
位置関係がわかると思います。地図上「日比谷御門」と書いてあるあたりの堀が
池になったんです。
これがその堀を活かして作ったという心字池です。池の脇に石垣が続きます。
天気のいい日、この日比谷公園に平日の昼頃に行くと、お弁当を食べる、あるいは
食後の休憩中のサラリーマンやOLで賑わってます。緑が溢れ、池や噴水があり、
まさに都会のオアシスだな、なんて思いますね。
この日は日曜だったので、いつもとか違う光景でしたが、池ではこんな鳥が休息して
ました。なんていう鳥なのか分かりませんが。
日比谷公園を出た後に向かったのが、馬場先門跡。ここも石垣が残るのみですが、
東京駅から二重橋に向かう途中にあたるせいか、観光客が大勢いました。
(馬場先門付近の石垣)
(馬場先門後を示す表示)
ここから大手門に周り、今回は皇居東御苑を見学させていただいたのですが、
そこで見たものは次回に触れることにして、東御苑を出た後の行程を続けます。
東御苑をグルリと一周し、最後は平川門から外に出ました。
平川門からちょっと北に行くと、かつての外堀、現在の日本橋川が首都高速の下を
ひっそりと流れています。このあたりには、上流から順に、雉子橋門、一橋門、神田橋門、
そして常盤橋門、呉服橋門、鍛冶橋門、数寄屋橋門と、門があり外堀が流れていた
んです。
下の古地図で、雉子橋~神田橋と、平川門などの位置関係がわかります。
そこで、その雉子橋門のあたりに行ってみました。
(雉子橋門の北側の袂に立つ、案内板)
雉子橋の南側、住友商事の旧本社の敷地の脇には、雉子橋門の遺構と思われる石垣
の一部が、なぜか残されています。
このあたり、日本橋川の南側には、石垣がそのまま残ってます。
雉子橋から一ツ橋にかけてのあたりに。
次に、一橋門。
ここも、橋の南側の脇に、堀と、枡形門の一部と思われる石垣が残ってます。
但し、道路に面する側は、崩れかかってますが。是非、修復・保存をしてほしい
ものです。
この一橋門から神田橋門にかけての外堀の内側、現在の丸紅本社、気象庁、
大手町合同庁舎3号館のあたりは、一橋徳川家の屋敷のあったところです。
今も、丸紅本社前には、それを示す碑が立っています。
この日の最後に向かったのが神田橋です。
橋の北側には、かろうじて、案内板がありますが、残念ながら、ここでは何の遺構も
ないようでした。
と諦めかけたその時、見付けました、石垣の残骸を。それも首都高速神田橋入口から
本線に向かう途中、料金所の下あたり、対岸からも、屈みこんで見ないと気が付かない
ような場所に。
う~ん、これも何とか、江戸時代の遺構として、日の目を浴びせてほしいものです。
(わかりますか?)
(更にもう一枚)
また、橋の北西側には、かつてここに、物揚げ場があったという記念碑も。
神田橋は何の遺構もないと聞いていたので期待はしていなかった分、逆に
ちょっとした発見があり、得した気分になれました。
そしてこの日は、JR神田駅まで歩いて、そして電車で帰ったのですが、
新橋駅前に降り立ったのが10時前。神田駅に着いたのが13時半。ということは
3時間半、ほぼ歩きっぱなし。う~ん、これはメタボ対策にはかなり効き目が
あったかもしれません。
ただ、さすがに、足が棒のようでしたけどね...
なるほど~、勉強になります。^^;
by ソニックマイヅル (2008-11-09 17:41)
タモリ倶楽部のネタになりそうですね。じっくり読んじゃいました。
by Morimo (2008-11-09 22:53)
随分と残っているものですね。
車で通過するだけでは分からないですよね。
とても興味深いです!
by hiro78 (2008-11-10 13:10)
いろんな所に遺構が残っていますね。
都会のど真ん中にある数百年前の遺構を探すって、いいですね。
by ノリパ (2008-11-10 19:14)
先日は御来訪ありがとうございます^^
blog、とても面白かったです!
私は駆け足で東御苑を観ただけでしたが
じっくり見るとこれだけの遺構が残っているのですね。
うちも夫が江戸時代の様子がわかる地図を皇居の売店で購入しました。
これを見ると、今このビルがあるところにこの人のお屋敷が~とか
なかなか興味深くて、takeさんのようにじっくり見て回ったら
とても面白そうですね。
つぎの東御苑の記事も楽しみにしています^^
by 虹子 (2008-11-10 20:05)
古地図との検証。興味深いです。良い記事ですね。
そういう回り方もあったのかと… (拍手)
残っている石垣に、歴史を感じます。
by 元気 (2008-11-11 00:45)
東京、ゆっくり歩くといろんな歴史に会うことができるのですね
見落としてしまうところ、今度はゆっくり歩いてみます♪
by sak (2008-11-11 07:20)
お久さしぶりです!
江戸城、篤姫の世界ですね。
東京にいたころ日比谷公園にはよく行きましたが、江戸城と思われる所には行かず仕舞いでした。残念。
by サットン (2008-11-11 09:36)
私ダメだ。日比谷公園のそんな所に行かなかった。
東京で遺構を回ろうと思ったら、結構広い範囲ですよね。
せっかくなんで、今度のんびり回ります!
by keroro (2008-11-14 23:42)