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波多野城と源実朝公首塚 [関東]

先日、神奈川県秦野市にある波多野城址と、その近くにある源実朝公の首塚に行ってきました。
ここは、知名度はかなり低いと思うのですが、それでも行ってみた理由を先に、書きたいと思い
ます。
実は、「ネットの電話帳」というサイトでは、苗字と地域を入えると、対象地域にお住いの方が
検索できるんです。これを知った私は、ブログのニックネームのとおり、武のつく苗字のため、
武で始まる苗字がどこに多いか、見てみたんです。そこで分かったのが、競馬の武豊さんと同じ
「武」という苗字が、例えば埼玉県には30世帯程度なのに、神奈川県の秦野市だけで60世帯も
あり、更に秦野市寺山、という地域だけで31世帯もある、ということでした。
これは何か由来があるに違いない、と、さらにネットで調べてみると、何と、その起源は鎌倉時代にまで遡ることが分かったんです。
それは承久元年(1219年)、鶴岡八幡宮で若くして非業の死を遂げた三代将軍源実朝公の御首が
行方不明になりましたが、当時三浦郡武村(現在の横須賀市武川)の領主だった武 常晴がその
首を見つけ、波多野氏を頼ってこの地に葬り、そのまま寺山に移り住んだ、という歴史があるんだ
そうです。
それを知り、今回、波多野氏の居城だった波多野城址と、源実朝の首塚を見に行くことにしたん
です。
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波多野城址は、平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した波多野氏の居館があったところです。
正確な位置や範囲は不明のようですが、城址とされる位置には石碑が立っています。
この丘一帯が城址です。
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城址に立つ石碑です。
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城址と言われる場所は、今は畑になっています。
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秦野市立東小学校の脇から、城址を見下ろします。フェンスで囲まれた通路を抜けたところで、
さきほどの石碑があります。
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こちらは、源実朝公の御首塚です。
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首塚の左手の灯篭(??)には、こんな文字が刻まれていました。
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これは、波多野忠綱が、実朝の菩提を弔うために33回忌に建立したという、金剛寺です。
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これだけのことなので大した記事ではありませんが、自分の苗字のルーツを知ったような気に
なりました。

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コメント 4

takenoko

takechan さんは苗字に「武」ですか。私は名前に「竹」です。
by takenoko (2015-11-22 07:34) 

ノリパ

ルーツ探しの旅、いいですね。秋の散策は気持ちがいいですものね。
by ノリパ (2015-11-22 17:01) 

skekhtehuacso

武さんの名が、灯篭に彫られていますね。
まだ末裔がいらっしゃるかも。
by skekhtehuacso (2015-11-23 22:13) 

ねじまき鳥

波多野氏は愛知県にもいました。

by ねじまき鳥 (2015-11-24 19:35) 

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