in 高松 [四国]
18日、仕事で高松に行く機会に恵まれました。
高松に、いや四国の地に降り立つのは2008年以来ですので、6年振りということになります。
高松空港に着いたのが13時25分。そして、次の目的地の広島に向けて高松駅を出たのが17時10分
でしたので、仕事をしていた時間やバスでの移動時間を含めて、わずか3時間半強の滞在でしたが、
その、わずかな時間の合間を使って、高松城址に行ってみました。入城料200円を支払っての訪問
でしたが、在城時間、なんと15分。あっという間ではありましたが、それでも、十分に堪能出来ました。
高松城は、またの名を玉藻城と言います。築城は1587年。秀吉の命により入府した生駒親正が築城
しました。生駒氏による治世は4代続き、その後常陸の下館藩主だった松平頼重が入城。そして、松平氏
の治世が11代続いて維新を迎えることになります。
その高松城は瀬戸内の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだ構造から、日本三大水城の一つと言われて
いるそうです。
こちらは、実質的な大手門として使われていた旭門です。
南東にあった旧太鼓櫓跡に建つ艮櫓。完成は1677年とのこと。元々は北東の隅にあった艮櫓を
昭和40年に現在の場所に移築したそうです。国の重要文化財に指定されています。
その艮櫓を桜の馬場側から。
旭門の前に架かる旭橋から望む中堀。
旭門をくぐったところには大きな枡形があり、その北側には埋門があります。石垣をトンネル状に
組んで造った珍しい構造の門だそうです。
こちらが、枡形です。
本丸を囲む内堀。
三の丸には、松平の時代にもこの場所に披雲閣と呼ばれる建物があったそうですが、老朽化により
維新後に解体。その後大正6年に現在の披雲閣が建てられました。これも重文です。
水門。潮の干潮による水位調節のために設けられたそうです。堀は完全に海水で、タイやスズキの稚魚
がこの門を通って堀に入り、堀で成長することもあるとか。
三の丸にある月見櫓、水手御門、渡櫓。いずれも重文です。かつては前が海で、この門から船で城内に
入ることができたそうです。月見櫓は1676年頃の完成です。
本丸と二の丸を結ぶ鞘橋。
天守閣跡の石垣。昨年、平成17年から続けられた修復工事が完了したばかりです。
これも天守閣跡の石垣です。
簾櫓跡。
西門の石垣。
ここで15分経過。急いで高松駅へと向かいます。ここでは、出発までのわずかな時間を使って、JR四国の
車輛たちを撮影。まずは、平成18年にデビューした1500型(一次車)。
N2000系の特急「うずしお」。
5000系の快速「マリンライナー」の高松方に連結されるグリーン車5100型。この日は、この車輛に乗って
岡山経由で広島に行きました。
カレーパンマンやアンパンマンのラッピングの2000系特急「いしづち」。
同じく2000系。岡山方の車輛はロールパンナちゃんのラッピング塗装でした。
121系。
7000系。
最後に5000系。JR西日本の快速「マリンライナー」223系2両に併結されています。
そんなことで、短い滞在時間ではありましたが、お城と鉄道をそれなりに堪能し、自分にとっては貴重な
写真を撮って、高松を後にしました。
次回は広島です。
高松に、いや四国の地に降り立つのは2008年以来ですので、6年振りということになります。
高松空港に着いたのが13時25分。そして、次の目的地の広島に向けて高松駅を出たのが17時10分
でしたので、仕事をしていた時間やバスでの移動時間を含めて、わずか3時間半強の滞在でしたが、
その、わずかな時間の合間を使って、高松城址に行ってみました。入城料200円を支払っての訪問
でしたが、在城時間、なんと15分。あっという間ではありましたが、それでも、十分に堪能出来ました。
高松城は、またの名を玉藻城と言います。築城は1587年。秀吉の命により入府した生駒親正が築城
しました。生駒氏による治世は4代続き、その後常陸の下館藩主だった松平頼重が入城。そして、松平氏
の治世が11代続いて維新を迎えることになります。
その高松城は瀬戸内の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだ構造から、日本三大水城の一つと言われて
いるそうです。
こちらは、実質的な大手門として使われていた旭門です。
南東にあった旧太鼓櫓跡に建つ艮櫓。完成は1677年とのこと。元々は北東の隅にあった艮櫓を
昭和40年に現在の場所に移築したそうです。国の重要文化財に指定されています。
その艮櫓を桜の馬場側から。
旭門の前に架かる旭橋から望む中堀。
旭門をくぐったところには大きな枡形があり、その北側には埋門があります。石垣をトンネル状に
組んで造った珍しい構造の門だそうです。
こちらが、枡形です。
本丸を囲む内堀。
三の丸には、松平の時代にもこの場所に披雲閣と呼ばれる建物があったそうですが、老朽化により
維新後に解体。その後大正6年に現在の披雲閣が建てられました。これも重文です。
水門。潮の干潮による水位調節のために設けられたそうです。堀は完全に海水で、タイやスズキの稚魚
がこの門を通って堀に入り、堀で成長することもあるとか。
三の丸にある月見櫓、水手御門、渡櫓。いずれも重文です。かつては前が海で、この門から船で城内に
入ることができたそうです。月見櫓は1676年頃の完成です。
本丸と二の丸を結ぶ鞘橋。
天守閣跡の石垣。昨年、平成17年から続けられた修復工事が完了したばかりです。
これも天守閣跡の石垣です。
簾櫓跡。
西門の石垣。
ここで15分経過。急いで高松駅へと向かいます。ここでは、出発までのわずかな時間を使って、JR四国の
車輛たちを撮影。まずは、平成18年にデビューした1500型(一次車)。
N2000系の特急「うずしお」。
5000系の快速「マリンライナー」の高松方に連結されるグリーン車5100型。この日は、この車輛に乗って
岡山経由で広島に行きました。
カレーパンマンやアンパンマンのラッピングの2000系特急「いしづち」。
同じく2000系。岡山方の車輛はロールパンナちゃんのラッピング塗装でした。
121系。
7000系。
最後に5000系。JR西日本の快速「マリンライナー」223系2両に併結されています。
そんなことで、短い滞在時間ではありましたが、お城と鉄道をそれなりに堪能し、自分にとっては貴重な
写真を撮って、高松を後にしました。
次回は広島です。
つかの間の時間をフルに利用されましたね。若いからできますね。うらやましい
by takenoko (2014-02-23 05:58)
出張の合間の時間をうまく利用して、
お城や、鉄道写真を堪能されましたね~(^^)
こういう時間があるのも地方出張の楽しみですし、
それが仕事への活力にもなったりしますよね。
私が言うのもなんですが・・・(^^;)
by あおたけ (2014-02-23 19:10)
出張合間に文化財見学とはラッキーでしたね。
このお濠の一部は海水で、確か丸々と太った鯛が住んでいるんじゃなかったかな。
by やまびこ3 (2014-02-28 22:13)
天守の石垣の修復終わったんですか。それがしもまた行きたいです。慌ただしくも充実の高松でしたね。
by ノリパ (2014-03-02 20:59)