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上野の山 (幕末の激戦の地) [関東]

上野、というと、自分の中では、東北・上信越方面への出発地である上野駅、
上野動物公園、博物館や美術館、アメ横、そして上野公園の夜桜、といったイメージ
ばかりです。幕末に上野で戦争があった、という史実は本で読んだことがあるものの、
これまで史跡、として訪ねたことはなく、また、どういう遺構などがあるのかも全く知りません
でした。長年、東京・埼玉で暮らしていながら。お恥ずかしい限りで。。。

ところが、改めて本で調べると、上野の山(といっても、山がある、ということも知りません
でしたが)は、わずか140年前でしかない幕末の世、江戸城明け渡しに不満を持った旧幕府軍が
新政府軍に対して戦いを挑み、激戦を繰り広げた、いわゆる上野戦争の地で、今もその痕跡
を随所に残す、ということです。
そうと知れば、一度は見ておくしかありません。そこで今回、初めて、上野を史跡、として
訪ねてみました。

幕末の時期、上野戦争の舞台となった上野の山は、徳川家の菩提寺である寛永時の寺領
で、当時は上野駅の東口あたりから、今の上野公園一帯、そして鶯谷から日暮里あたりまで
もが、その寛永寺の領内だったそうです。

まずは、当時もその寛永寺の寺領だった不忍池へ。当時の池は今よりも広く、根津駅のあたり
まであったそうです。そして、その池の中島に浮かぶように建てられたのが弁天堂。寛永時建立
の際に、琵琶湖の竹生島を模して造られたそうです。この日は逆光で、裏側からのショットに
なりました。
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不忍池は今は弁天堂を中心に3つの区画に区切られ、その1つはカップルなどにはボート
で有名ですね。
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上野駅よりの“区画”は、水面をハスの葉が覆っていて、夏になると池いっぴに葉が生い茂り
そして美しい花が咲きます。その様子は、江戸時代から評判の景色だったとか。この日は、
咲いてる花はまだ多くはありませんでしたが、雰囲気は十分ありましたね。
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上野公園に戻って、京成上野駅のある正面の入口(当時の黒門跡)の階段を上った右手には、
愛犬を連れた姿で有名な、当時の新政府軍の参謀、西郷隆盛の像があります。明治31年の
建立です。
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その背後にあるのが、上野彰義隊墓所。上野戦争時、上野の山にたてこもった彰義隊を中心
とする旧幕府軍は1500人。うち300人もの戦死者が出ましたが、その遺体は、見せしめのために
長くのざらしにされたとか。これを見かねた円通寺(荒川区南千住)の住職がこの場で火葬した
そうです。「上野彰義隊墓所」とありますが、実際には火葬した場所であって墓ではなく、墓所は
円通寺にあります。なお、上野寛永寺の正門であった「黒門」は現在はこの円通寺に移されて
いて、今も弾痕が数多く残っているそうです。
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ちょっと先に進むと、左手に朱塗りの建物が見えてきます。これは、清水観音堂といって、京都の
清水寺にならって1631年に建立された舞台造りの堂です。今では木が生い茂っていてよく見えま
せんが、かつてはここの舞台から不忍池が望めたそうです。上野戦争でも焼けずに残った希少な
遺構の1つです。
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更に、上野動物園の入口近くまで進むと、左手に徳川家康、そして吉宗、慶喜を祀った上野
東照宮への参道が見えてきます。この東照宮、最初は1627年に藤堂高虎と天海僧正によって
藤堂家の上野の屋敷地内に建立され、その後3代家光の時代の1651年に現在のように大規模
に建て替えられたもので、現存する社殿、唐門、透塀などの重要文化財に指定された遺構が
数多く存在します。
ただ、この日(この時期)は改修中で、その荘厳な姿を見ることはできませんでした。
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(ご覧の通り、です。残念)

参道の両側には、200基以上の石灯籠と48基の銅灯籠があり、多くは、1651年に全国の諸大名
から奉納されたもので、銅灯籠は重要文化財に指定されています。
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(銅灯籠)

この中には、1632年に佐久間勝之に奉納された高さ6.8mもの高さの石灯籠があり、「お化け
灯籠」と呼ばれています。日本三大石灯籠の1つ、ということです。
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この東照宮の脇には、旧寛永寺五重塔があります。1639年に再建されたものです。ただ、
残念なことに、この五重塔は(なぜか)上野動物園の敷地内にあるため、この日は見学を
省略しました。東照宮の敷地から見た写真だけ、ご覧ください。
09.jpg

上野公園の中央に戻ると、国立科学博物館の前にある噴水のあたりが、寛永寺の中堂、
そして国立博物館のあたりが寛永寺の本堂があった場所です。いずれも、上野戦争の際に
焼失・破壊されてしまいました。この本堂の前に建っていたのが表門。この門は現存していて
一時期は国立博物館の正門にもなっていましたが、今はその隣にある輪王寺に移築されて
います。
11.jpg

国立博物館の敷地内には、旧丸の内大名小路(現在の丸の内3丁目)にあった鳥取藩池田家
江戸上屋敷の正門だったという、旧因州池田屋敷表門が移築され現存しています。
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国立博物館の裏手(鶯谷駅側)は、現在の上野公園から移された、寛永寺の境内が広がって
います。
ここに、4代将軍家綱の霊廟にあった勅額門が保存されています。家綱の霊廟は一部が維新後に
解体され、その後の第二次大戦で焼失した中で現存する貴重な遺構です。
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さあ、どうですか、上野の山は。清水寺を模したお堂とか、五重塔とか、こうした貴重な
建築物が多く残っている、歴史的価値の高い公園だとは本当に知りませんでしたが、
こうして行ってみると、非常に感動させられます。
行ったことのない方、是非一度お試しください。
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コメント 13

manamana

いつも乗り換えか待ち合わせだけで、
歴史散歩するなんて視線で歩いたことが無かったですね。
江戸からの歴史が残っているんですね。
by manamana (2009-08-02 18:19) 

yogawa55はやぶさ

勉強不足を実感しました。
西郷どんの銅像は東京にもあるのですね。
by yogawa55はやぶさ (2009-08-02 18:26) 

ノリパ

立派な門が今もその姿を見せてくれているんですね。全然知らなかったです。
上野ってアメ横くらいしか行ったことないかも。あっ、動物園に1回行ったこと
あるか。これは、イロイロ見どころ満載ですね。行きたいですね。
by ノリパ (2009-08-02 18:43) 

なりか

旧寛永寺五重塔は
寛永8年に上野東照宮の一部として建立。
後に明治の神仏分離により寛永寺の帰属となり
昭和33年東京都に寄付されたため
東京都立上野動物園内に在る というのが理由です。
ちなみに寛永16年に花見客の失火で焼失しているため(同年に再建)
今は塔内に自動消化装置&塔の周辺の堀に水を張り
災害時の消火用水として使うよう徹底している所がイイです。
by なりか (2009-08-02 19:00) 

take

なりかさん、詳しい説明ありがとうございます。
今度、近くで見てきます。
by take (2009-08-02 21:58) 

hiro78

上野周辺はお寺や神社が多いですよね。
車で通っているととても気になります!
ゆっくり散策してみたいと思っているのですが・・・

ちょっと怖いけど当時にタイムスリップして見たい感じです!

by hiro78 (2009-08-03 21:32) 

なりか

>take様
生意気にも長文コメントを寄せてしまい恐縮です。
それにも係わらず間違えました。
×東京都立上野動物園
○東京都恩賜上野動物園
大変失礼いたしましたm_ _;m
by なりか (2009-08-04 09:14) 

haru

上野公園の蓮池のまわりで開かれている骨董市には
ちょくちょく足を運びます。でもこんなに蓮の花がきれいに
咲いているところを見たことがありませんっ^^;
動物園からパンダがいなくなってしまったことがとても哀しいデス
by haru (2009-08-04 16:34) 

しおつ

けっこう貴重な史跡が残っているのですね。
幕末というと新選組関連の話ばかり読んでいました。
いちおう日野市出身なので。
by しおつ (2009-08-04 21:50) 

とり

まったく知らない話でした。
勉強になりました。φ(.. )メモメモ
by とり (2009-08-05 07:34) 

kohtyan

上野は、見どころが多いですね。
五重塔が、なぜ動物園内にあるのか、不思議です。
by kohtyan (2009-08-05 22:48) 

Morimo

確かに史跡として見たこと無いですね。私にとっては美術館とアメ横の町のイメージしかないです。新鮮だ。
by Morimo (2009-08-06 22:46) 

あーちゃん&父

~~~ヾ(^▽^)おはよう♪
歴史のお勉強はどうも苦手です(^_^;)
by あーちゃん&父 (2009-08-08 09:54) 

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