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東京 (またまた江戸城跡 ①) [関東]

昨日(29日)、また、江戸城跡を散策してきました。今度は、外堀沿いに。

まずは11時過ぎに、総武線の浅草橋駅に到着。
駅の南側を流れる神田川がかつての江戸城の外堀で、浅草橋には、
浅草観音や奥州街道に向かう人を警護したという浅草橋門がありました。
今では、橋の脇に小さな案内板と、「浅草見附跡」の碑があるのみで、
枡形門があった痕跡は全く残っていませんでした。
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(当時の地図)

ただ、この付近には、多くの屋形船が停泊していて、それはそれで、
江戸の雰囲気を伝える、情緒ある風景かもしれません。
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浅草橋の南西付近は、農民などの訴訟を取り扱ったという「御郡代屋敷」が
あったところで、今もそのことが記されています。
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次に秋葉原へ向かいます。
この辺りには、中山道からの入口にあたる、筋違門がありました。
今の昌平橋と万世橋の中間あたりです。筋違門は、1636年加賀金沢藩前田利常の
建造の枡形門でしたが、明治になって取り壊され、その石垣の石を利用して、万世橋
を造った、ということです。

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(万世橋から昌平橋を見る)
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(昌平橋から万世橋を見る)

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(当時の地図)

昌平橋を過ぎ、御茶ノ水方面へ外堀通りを進むと、右側に湯島聖堂が見えてきます。
この湯島聖堂は、5代将軍綱吉が漢学の学問所として建設させたもので、その後幕府の
正式な学校となってからは、直臣や大名の優秀な子弟が集まったそうです。
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(湯島聖堂の仰高門と孔子銅像)

この後、江戸城跡は全く関係がありませんが、御茶ノ水駅付近に着いたところで
ちょうど、中央線201系の上り電車が通りました。残り少なくなった201系。
いつまでも現役で走り続けてほしいですね。
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御茶ノ水から水道橋に向かって外堀通りを歩いて行くと、水道橋のちょっと手前のあたりに
「神田上水懸樋跡」の碑があります。ここは、神田上水の水を江戸城方面に供給するため
木製の樋を神田川に通していた、という場所で、江戸時代から明治34年まで利用されて
いたそうです。
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(光が入ってしまいました。その後ろには、今度は下りの201系が走ってます)

そして、水道橋駅から少し飯田橋駅寄りに行ったところが、小石川門跡。
今では、ここも、小さな案内板があるのみです。
小石川門は、1636年備前岡山藩主池田光政によって築かれたということで、
その後渡櫓は1792年に消失し、枡形の石垣も1873年に取り壊されたそうです。

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(現在の小石川橋)

この日の散策は更に続くのですが、長くなったので、また次回に続く、
ということにします。
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コメント 4

ソニックマイヅル

東京視察を思い出します。
こんなところもあるんですね。^^;
by ソニックマイヅル (2008-12-01 21:39) 

schnitzer

いつも何気なく通っているところにいろいろな見所があったんですね。
このような散歩良いですね。
by schnitzer (2008-12-03 00:45) 

Morimo

じっくり読んじゃいますね。わりとなじみのあるところなんで。
by Morimo (2008-12-03 01:59) 

ノリパ

江戸城の縄張りの広さはすごいですね。昔を想像しながら町歩き、
あこがれます。
by ノリパ (2008-12-03 23:45) 

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