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東京 (またまた江戸城跡 ②) [関東]

懲りずにしつこく、江戸城跡の外堀の記事パート2です。

小石川御門跡の次に向かったのが、牛込御門跡。JR飯田橋駅の西口を出て
右側にある、外堀に架かる橋が牛込橋。牛込御門は駅を出てすぐ左手に
ありました。今も、神楽坂通りの両側に、枡形の石垣の一部が、明らかに
それと分かる形で残ってます。
ここは、知ってる方も多いでしょうね。

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(駅を出てすぐ左側の石垣)
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(その向かい側の石垣)

牛込御門は1636年、阿波徳島藩主蜂須賀忠英によって造られたそうです。

牛込御門からは、市ヶ谷に向かって、外堀・中央線に沿って、塁壁の土塁が赤坂まで
続きます。この付近の堀は巨大で、とても人為的に造ったとは思えないですね。

飯田橋駅・牛込橋から新見附橋までを牛込濠、と言います。南側の一部が
埋め立てられてJRの線路となってますが、それでもかなりの幅があります。

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(牛込濠)

新見附橋から市ヶ谷橋までの堀が新見附濠です。南側のJRの線路沿いは今は
工事中でした。
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(新見附濠)

市ヶ谷橋の南側には、市ヶ谷御門がありました。現在その痕跡はほとんど残っていません
が、外濠公園の隅に、石垣の一部の石が数個残っています。寂しく。
この市ヶ谷門御門の建設は、美作津山藩森長継が担当したそうです。
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また、場所は変わりますが、市ヶ谷御門の石垣の一部が、日比谷公会堂の前の
保存されています。日比谷公園の、日比谷公会堂側の入口(幸門)にある交番の
すぐ裏に。烏帽子石、と言われる、ドデカイ石です。
ここで立ち止まって見ている人はほとんど見かけませんが。
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市ヶ谷橋から四ツ谷方面に続く堀が、市谷濠です。ここの堀は、途中までは水面が残っています
が、四ツ谷側は埋め立てられて、南側がJRの線路や駅、北側が外濠公園などどなっています。
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(新見附橋から見た市谷濠)

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(四ツ谷付近は埋め立てられ、四ッ谷駅になっています)

四ツ谷には、甲州街道からの入口となる、四谷御門がありました。
今もその石垣の一部が、JR四谷駅から少し飯田橋方面に出たところに
残ってます。
この四谷御門の工事は、長州藩主毛利秀就が担当したそうです。
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とまぁ、こんな感じで、この日は、浅草橋から四谷まで、門・見附跡や橋、堀、そして
それに関連する史蹟などを見て歩きました。時間にして約3時間、距離にして10kmくらい
でしょうか。
あとはいよいよ、赤坂御門と虎ノ御門を残すのみ、というところです。
中途半端ではありますが、その2箇所は、また別の機会に訪問してみたいと
思います。

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コメント 6

燕っ子

毎日乗っている総武線が埋立地だったなんて知りませんでした。今度途中下車して見に行って見たいと思います。
by 燕っ子 (2008-12-03 23:21) 

schnitzer

このあたりは以前の通勤経路でしたので知ってました。
今ではオフィスが移転してしまったため、飯田橋は通過駅になってしまいました。
by schnitzer (2008-12-03 23:35) 

ノリパ

意外と、というか探せば探すほど見つかるものですね、かつての遺構は。
誰もが立ち止まらないところで、歴史を発見する。あこがれます。
マネしよう。
by ノリパ (2008-12-03 23:48) 

今造ROWINGTEAM

こんばんわ。
船よりも更に大きいお城はどこも魅力いっぱいですね!我が町今治にも今治城があります。江戸城に比べたら、全然ちーっさいですが(^^;)
by 今造ROWINGTEAM (2008-12-04 23:35) 

sak

こうして教えていただくと
江戸城ってすごく広かったんだなぁ...って改めて思いました。
by sak (2008-12-08 08:30) 

アテンザ23Z

私のブログへの訪問ありがとうございました。
日比谷公園の烏帽子石という巨岩は知りませんでした。
私も参考にさせて頂きます。
by アテンザ23Z (2009-07-28 19:19) 

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