八王子城と津久井城 [関東]
先日(あの大雪の前日の1月13日)、小田原北条氏の時代の城址である、八王子城と津久井城
に行ってきました。
八王子城は日本100名城にも選ばれておりますし、近年に石垣や曳橋などが整備されたことで、
訪れる人も増えたようです。昨年10月には展示解説スペースのほか、休憩・レクチャースペースが
ありガイダンス施設がオープン。八王子城の歴史や意義などを理解しやすくなりました。
この八王子城、中央本線や中央高速を挟んで、高尾山の向かい側にあります。パンフレットの
記述をそのまま転記しますと、「八王子城は、小田原に本拠をおいた後北条氏の、三代目氏康の
三男、北条氏照(?-1590)が築いた山城です。天正年間(1573-1592)に築城が開始され、天正
12年から15年(1584-1587)の間に、氏照が滝山城(八王子市丹木町)から拠点を移したとされ
ます。豊臣秀吉の関東制圧の一環で、天保18年(1590)6月23日、前田利家・上杉景勝軍に攻められ
て落城しました。」ということで、関東屈指の山城です。かなり険しい山に築かれていて、標高460m
にある本丸跡(山頂)までガイダンス施設の辺りから約40分、それなりに山登り気分を味わえます。
まずは金子曲輪。金子三郎右衛門家重が守備したと言われます。
本丸跡。横地監物吉信が守備したと言われます。
本丸跡に建つ城址碑。
小宮曲輪の下からの眺望。遠く東京都心部まで見渡せます。よく晴れた日には筑波山や房総半島
までも見えるそうです。
居館地区にある曳橋。古道から御主殿へ渡るための橋です。
虎口の石垣。
御主殿入口。冠木門が復元されてます。
御主殿跡。建物の礎石などの位置が分かるように、現在、復元整備が行われています。
落城時に北条方の婦女子や家来が滝の上流で自刃して、次々に身を投げたと伝えられる御主殿
の滝。
曳橋付近の石垣。野面積の高い石垣はかなり迫力があります。
八王子城址を後にし、次に向かったのは神奈川県相模原市にある津久井城址。津久井湖に隣接
する標高375mの城山に築かれた山城です。八王子城と同様に、かなりの険しい山の上にあり、
麓の根小屋地区にあるパークセンターから頂上(本丸)まで歩いて30~60分ほどかかります。
逆光で映りはよくありませんが、これが城址のある城山です。手前が津久井湖です。
現地でもらったパンフレットによれば、「城山はその昔、津久井城と呼ばれていました。築城の頃は
定かではありませんが、戦国時代、16世紀には小田原北条氏の家臣、内藤氏が城を治めていました。
根小屋式山城である津久井城は麓の根小屋部に城主、家臣が居住し、いざ戦になったら山の上で
最終防御する形態の城で、山全体が城として機能していました。天正18(1590)年に、豊臣秀吉の
小田原攻めにともなって落城し、江戸時代初頭に廃城になりました。城山には今も当時の痕跡が
良好に残されています。」ということです。
山頂に行くには、途中、こういった険しい道を通る必要がありますので、多少の山登りを覚悟して
おいた方がよさそうです。
根小屋地区にある御屋敷跡。今は保存して埋められていますが、発掘調査では堀や半地下式の蔵
など多くの遺構が見つかったそうです。
太鼓曲輪跡。
太鼓曲輪と本城曲輪(本丸)との間にある堀切。ここには引き橋が架けられていたそうです。
本城曲輪にある、築井古城記碑。1816年に建てられた、非常に歴史的価値ある石碑です。
本城曲輪。
本城曲輪の土塁。わかりにくいかもしれませんが、右手から奥へと続く土手がそうです。
本城曲輪からの眺望。津久井湖が良く見えます。
本城曲輪の周囲に広がる米曲輪。
飯縄曲輪に建つ飯縄神社。
飯縄曲輪のすぐ下にある宝ヶ池。城兵がここで刀を研いだと伝えられているそうです。
飯縄曲輪と太鼓曲輪の間にある堀切。
山の中腹にある城址碑。
このほか、津久井城の一つの特長として、本城曲輪や太鼓曲輪の周囲には何か所も竪堀が
あるということですが、樹木が生い茂っている現在、ちょっと見ただけではどこにあるのか
よく分かりませんでした。
八王子城と津久井城、車で移動すれば30分程度の距離にあります。
手軽に山登りや景色をを楽しむ目的で行くのが良いかもしれませんが、運動不足の私には、かなり
きつかったです。
に行ってきました。
八王子城は日本100名城にも選ばれておりますし、近年に石垣や曳橋などが整備されたことで、
訪れる人も増えたようです。昨年10月には展示解説スペースのほか、休憩・レクチャースペースが
ありガイダンス施設がオープン。八王子城の歴史や意義などを理解しやすくなりました。
この八王子城、中央本線や中央高速を挟んで、高尾山の向かい側にあります。パンフレットの
記述をそのまま転記しますと、「八王子城は、小田原に本拠をおいた後北条氏の、三代目氏康の
三男、北条氏照(?-1590)が築いた山城です。天正年間(1573-1592)に築城が開始され、天正
12年から15年(1584-1587)の間に、氏照が滝山城(八王子市丹木町)から拠点を移したとされ
ます。豊臣秀吉の関東制圧の一環で、天保18年(1590)6月23日、前田利家・上杉景勝軍に攻められ
て落城しました。」ということで、関東屈指の山城です。かなり険しい山に築かれていて、標高460m
にある本丸跡(山頂)までガイダンス施設の辺りから約40分、それなりに山登り気分を味わえます。
まずは金子曲輪。金子三郎右衛門家重が守備したと言われます。
本丸跡。横地監物吉信が守備したと言われます。
本丸跡に建つ城址碑。
小宮曲輪の下からの眺望。遠く東京都心部まで見渡せます。よく晴れた日には筑波山や房総半島
までも見えるそうです。
居館地区にある曳橋。古道から御主殿へ渡るための橋です。
虎口の石垣。
御主殿入口。冠木門が復元されてます。
御主殿跡。建物の礎石などの位置が分かるように、現在、復元整備が行われています。
落城時に北条方の婦女子や家来が滝の上流で自刃して、次々に身を投げたと伝えられる御主殿
の滝。
曳橋付近の石垣。野面積の高い石垣はかなり迫力があります。
八王子城址を後にし、次に向かったのは神奈川県相模原市にある津久井城址。津久井湖に隣接
する標高375mの城山に築かれた山城です。八王子城と同様に、かなりの険しい山の上にあり、
麓の根小屋地区にあるパークセンターから頂上(本丸)まで歩いて30~60分ほどかかります。
逆光で映りはよくありませんが、これが城址のある城山です。手前が津久井湖です。
現地でもらったパンフレットによれば、「城山はその昔、津久井城と呼ばれていました。築城の頃は
定かではありませんが、戦国時代、16世紀には小田原北条氏の家臣、内藤氏が城を治めていました。
根小屋式山城である津久井城は麓の根小屋部に城主、家臣が居住し、いざ戦になったら山の上で
最終防御する形態の城で、山全体が城として機能していました。天正18(1590)年に、豊臣秀吉の
小田原攻めにともなって落城し、江戸時代初頭に廃城になりました。城山には今も当時の痕跡が
良好に残されています。」ということです。
山頂に行くには、途中、こういった険しい道を通る必要がありますので、多少の山登りを覚悟して
おいた方がよさそうです。
根小屋地区にある御屋敷跡。今は保存して埋められていますが、発掘調査では堀や半地下式の蔵
など多くの遺構が見つかったそうです。
太鼓曲輪跡。
太鼓曲輪と本城曲輪(本丸)との間にある堀切。ここには引き橋が架けられていたそうです。
本城曲輪にある、築井古城記碑。1816年に建てられた、非常に歴史的価値ある石碑です。
本城曲輪。
本城曲輪の土塁。わかりにくいかもしれませんが、右手から奥へと続く土手がそうです。
本城曲輪からの眺望。津久井湖が良く見えます。
本城曲輪の周囲に広がる米曲輪。
飯縄曲輪に建つ飯縄神社。
飯縄曲輪のすぐ下にある宝ヶ池。城兵がここで刀を研いだと伝えられているそうです。
飯縄曲輪と太鼓曲輪の間にある堀切。
山の中腹にある城址碑。
このほか、津久井城の一つの特長として、本城曲輪や太鼓曲輪の周囲には何か所も竪堀が
あるということですが、樹木が生い茂っている現在、ちょっと見ただけではどこにあるのか
よく分かりませんでした。
八王子城と津久井城、車で移動すれば30分程度の距離にあります。
手軽に山登りや景色をを楽しむ目的で行くのが良いかもしれませんが、運動不足の私には、かなり
きつかったです。
津久井湖城kらの眺望がいいですね。
落城には、多くの悲劇が伴います。
by kohtyan (2013-01-30 09:43)
共に関東を代表する山城でしたね。素晴らしい城です。
by ねじまき鳥 (2013-02-03 12:18)
山登りお疲れ様でした。それがしは暑い季節に八王子城登りましたが、今がいい季節かもしれないですね。
by ノリパ (2013-02-03 16:05)