SSブログ

丸岡~小松 (小さな古城を訪ねて) [北陸]

14日、今度は福井へ。

この日は、11時10分に小松空港に到着するANA753便に搭乗。
帰りが15時45分小松空港発のANA756便。福井での打合せが13~14時。
いつもなら、小松空港から路線バスでJR小松に行き、そこから特急列車に乗って
福井に出るか、空港から福井駅に向かう高速バスに乗るのだけど、今回は
非常に時間がタイトだった。というのも、福井から戻って、18時から磯子でのお通夜に
出席する必要があったため。

で、今回は小松空港でレンタカーを借りることに。レンタカーなら、空港から福井市内
まで、45~50分もあれば着ける。また、レンタカーだと、電車やバスと違って、行動範囲
が拡がる。
ということで、行きは、時間のない中で、高速を1つ手前の丸岡ICで降り、丸岡城跡に
ちょっとだけ立ち寄ることにした。

この丸岡城、福井県坂井市丸岡町の小高い丘の上にある、こじんまりとしたお城で、
現存する天守閣では最古のものという。戦国時代中期の1576年に築城されたもので、
戦国末期~江戸初期に建築された豪華絢爛な天守閣とは趣きの異なる、戦闘のみを
意識して作られたシンプルな構造の天守閣、という感じがした。
よくぞ、この小さな町の小さな城が、400年以上もの間、大雨・地震や火事や戦争の
被害に遭わず、明治維新後の様々な制度変更の影響を受けることなく、その姿を
現代にまで伝えることができたものだと、つくづく感心してしまう(厳密には、昭和23年
の福井大地震で倒壊し、その後修復されているが)。
この丸岡城、天守閣とその周辺の石垣以外に残る遺構はなく、見所まさに天守閣のみ
で、見学するのにそう時間はかからなかった。

丸岡城.jpg
(丸岡城天守閣)

丸岡城2.jpg
(別の角度からもう一枚)

丸岡城3.jpg
(屋根の上のしゃちほこ)

帰りは、ガソリンを入れ、レンタカーを返却する時間を考えると、行きより更に
時間がなかったのに加えて、雨が強くなってきたので、そのまま空港に戻る
つもりだったけど、小松ICを降りたところで、カーナビの地図に表示された
「小松城」の文字が目に入り、これがどうしても気になって、本当にちょっとだけ
寄ってみることにした。

小松城は、かなり古い時代からあったものを、前田家の隠居城として、17世紀
半ばに改修され、それが、明治維新まで残ったという。当時は、金沢城の倍近い
56万㎡に及ぶ広大な敷地と、その30%を占める水堀があって、「小松の水城」
と呼ばれていたそうである。ただ、明治以降、土地の売却や埋め立てが進み、
今では、わずかに残った本丸櫓台の石垣と、二の丸外周の石塁の一部が、
往時を物語るのみである。おそらく、地元の人すらもほとんど見向きもしない、
忘れられてしまったような存在ではないか、そんな気のする、淋しい城跡だった。

小松城1.jpg
(小松城本丸の石垣)

小松城2.jpg
(同上)

おそらく、ここで時間を要したのは10分程度。もちろん、帰りの飛行機には
十分間に合った。

このところ、出張に行くと、城跡ばかり訪ねている。次の機会には、もうJ少し
景色の良い場所や、美味しいものを食べられる店などに寄ってみよう、などと
考えながら、小松空港を後にした。

nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

福井 (福井城の現状と新幹線建設) [北陸]

18日から19日にかけて、福井を訪問した。
この日の福井市内は、前週末に降った、今年一番の大雪によって、どこへ行っても
雪景色という、そんな「風情ある」状況。北陸地方を訪れるには、“らしい”情景を見ることが
できる、ちょうどいいタイミングだったかもしれない。

とはいえ、今回も仕事での訪問であり、かつ今回は、私の勤務先の社長に同行する、という
全く自由のきかない出張であったことから、いつものように市内を散策して回る、という時間は
非常に限られてしまった。

そんな中、街の中心部にあり、また、その日宿泊する予定のホテルから近い福井城跡には
2回ほど足を運ぶことができた。

この福井城、もともと徳川家康の次子結城秀康の時代、越前68万石に相応しい居城として
建てられた城で、当時は5重の堀と石垣、十基の櫓、43棟の城門、そして姫路城にも劣らぬ
偉容をもった雄大な天守閣を構える、北陸きっての大規模な城郭だったという。
ただ、残念ながら現在では、本丸の石垣とそれを囲む水掘がかろうじてその面影を残す
のみで、かつ、本丸内には福井県庁舎と福井県警本部が建てられていて、景観としては
非常に淋しく、全国にある有名な城郭の中でも、保存状態の悪い筆頭ではないかと思われる。
加えて、昭和23年に発生した大地震により崩壊。それを昭和58年度に修復した際にも
城郭の特異な工法を無視した修復がなされ、文化的価値が半減したという。
そんな中で、本丸西側にかかる御廊下橋復元事業が行われているが、これもいかにも
中途半端。見た目には、お城を復元した、というより、県警本部への入口を立派なものに
した、としか映らない。全国の城跡を訪ねるのが好きな私としては、県庁舎を移設の上、
謎の多い北の庄城跡の発掘調査と共に、もう少し当時の様子を再現するための思い切った
展開を期待したいものである。

(本丸北側の石垣。雪化粧した石垣が堀に写る)

続きを読む


nice!(5)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

福井 (柴田勝家と謎の銅像) [北陸]

17日から18日で、福井と金沢に行ってきた。

福井では、仕事の間でかなり時間が空いてしまった。天気が良ければ、永平寺か東尋坊、と思ったけど、あいにくの天気だったので、駅周辺をのんびり散策することに。
で、まず目にしたのが、織田信長の家臣として羽柴秀吉と最後に争った柴田勝家の居城「北の庄城跡」。街中に小さくひっそりとたたずんでる感じで、ちょっとした石垣と柴田勝家像と柴田勝家を祀った柴田神社があるだけ。これが有名な柴田勝家の城?って言いたくなるような侘しさだった。よほどの戦国史ファンでないと訪れないかもしれない。
(北の庄城跡)

その後、駅から続く道を歩いていて、福井銀行本店の前あたりで目に入ったのが、奇妙なベンチ。重いかばんを持って歩いてたし、疲れてきてたので、遠くから見えたときは「おっ、あそこにベンチがある」って思ったけど、近くに来てみたら「なんじゃこれ~!」って思わず声を出しそうになった。ベンチには笛を吹く婦人の銅像が腰をかけてて、ほとんど座るスペースなし!これじゃ、ベンチの意味ないだろっ!と思ったね。ベンチも、誰かに座ってもらう為でなく、それ自体もオブジェなのかな、なんて考えたりもしたけど。

てなことを考えながら、道路の反対側に目をやると、なんとそこにも似たような銅像が。思わず、道路を横断し、反対側の銅像も写真を撮ってきた。こっちはサックス(でしょうか)を持って椅子に腰掛ける男性の像。この二つを見たら、もっとあるかと気になって、周辺を捜したけど、他には見つからなかった。これって、何を意味するものなのかな。どなたかご存知だったら、教えて下さい!

そうこうしているうちに時間もなくなってきたので、駅に向かったんだけど、その途中で気になった路面電車が1両あった。もちろん、普通の路面電車なんだけど、よく見ると、バンパー(って言うのかな)がかなりへこんでいるではないか。自動車とぶつかったのか、柱か何かにぶつかったのか分からないけど、ぶつけてへこんだ傷をそのままにしている鉄道って、珍しいのでは。そう思って一応、写真を撮っておきました。運転手さん、安全運転でお願いします。

そうそう、それと福井の中心部しか歩いてないけど、やたらに多いのが、そば屋とソースカツ丼屋。ソースカツ丼は福井が発祥の名物だそうです。ごはんの上にとんかつだけが乗ってて、専用のソースがかかってる。味はまぁまぁです。一度は賞味する価値はありますよ。


nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。