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二本松城 (後編) [東北]

前回に続いて、二本松城の写真をご覧ください。

まずこちらが、本丸にある天守台の石垣です。
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(日本100名城)二本松城 〔前編〕 [東北]

7月下旬、福島県二本松市にある、日本100名城の1つ、二本松城址に行ってきました。
二本松城は1440年代に畠山満泰が築いた城で、その後、伊達氏、蒲生氏と城主が変わります。
蒲生氏の時代に石垣を用いた城に改修され、寛永4年(1627年)に入った加藤氏により近代
城郭へと大改修され、更に寛永20年(1643年)に丹羽光重が入封すると、三の丸御殿や箕輪門
を作り、城下を整備した、とのことです。
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二本松駅から歩いて城址に向かって歩き始めると、まず最初にあるのが、この大手門跡です。
奥州道中に面した、堀をともなった大手門で、通称「坂下門」と言われたそうです。
天保3年(1832年)、幕府の許可を得て建造した本格的な櫓門でしたが、戊辰戦争の兵火に
より焼失してしまったそうです。
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タグ: 石垣 空堀
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紅葉の弘前城(後編) [東北]

しつこくなりましたが、日本100名城 弘前城の後編です。
最終回の今回は、中濠と外濠周辺、三の丸や四の丸の様子をお伝えしたいと思います。
まずは、東内門を出て、三の丸に向かうところで見た、中濠の紅葉です。どこまでも真っ赤です。
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紅葉の弘前城(中編) [東北]

紅葉に包まれた弘前城、今回は二の丸と本丸の様子をお伝えしたいと思います。
(1つの城址を3回にわけて記事にすることにしました)

こちらは、前編でも掲載しました二の丸辰巳櫓を、二の丸内から見た様子です。
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紅葉の弘前城(前編) [東北]

11月8日の土曜日、日帰りで急きょ、日本100名城の1つで、現存天守の残る12城の1つでもある
弘前城へと行ってきました。

弘前城は、関東~東北では唯一の現存天守閣のある城。もっと早くに行くべきでしたが、実は
2007年に青森出張のついでに寄ったことがあるのですが、閉館の5分前に着いたにも関わらず、
天守閣は既に閉まっていてスタンプも押せず。そのお役所仕事ぶりに憤慨し、二度と来るものか、
と誓ったのですが、今夏に、ノリパさんの訪問記を読んで、秋から10年がかりの工事に入る
ことを知って以来、とっても気になってました。そして改めてHPで確認すると、11/24をもって
天守への入館が出来なくなり、11/25から工事が本格化するというではありませんか。
そうなってくれば、7年前の誓いも忘れ、急いで行くしかない、ということで、先日行くに至った
という経緯があります。

当日は、コストを抑えるためANAマイレージクラブで貯めたマイルを使っていきましたが、残念
ながらANAは青森便がありません。やむなく、秋田県の大館能代空港へ向かい、そこから
レンタカーで弘前に行くという何とも非効率な行程となってしまいました。羽田~大館能代は
1日に2往復しかなく、かなり時間もタイトではありましたが、前回記事にした撮り鉄とあわせ、
かなり充実した日帰り旅行でした。しかも、紅葉のピークの時期に重なり、大満足でした。

前置きが長くなりましたが、それでは、弘前城の写真をご覧ください。なお、あまり立派な城、
素晴らしい紅葉・景色だったため、大量に写真を撮り、
その中から記事に載せる写真を絞り込めなかったため、
2回ないし3回に分けて、ご紹介させて頂きたいと思います。
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盛岡城 (日本100名城 in 盛岡) 後編 [東北]

盛岡城址の後編です。
本丸跡の様子をご覧ください。まずは、本丸の南西の角にあたる場所、御二階櫓跡の石垣です。
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盛岡城 (日本100名城 in 盛岡) 前編 [東北]

まだ、3月15日の記事が続きます。秋田からE6系こまち号に乗り、途中盛岡で下車して、駅から徒歩10分
ほどのところにある盛岡城址に寄ってみました。

盛岡城は、秋田の久保田城をはじめ、土塁の多い東北地方の城の中では珍しく、本格的な、しかもスケール
の大きな石垣で囲まれた城です。白い花崗岩を「打込みはぎ」の石垣は東北随一の美しさと言われ、その
ほかにも野面積みなど、様々な工法で築かれています。

築城時の城主は南部信直。戦国時代、南部氏は一族内で対立していましたが、その中で三戸南部氏が
豊臣秀吉から南部宗家として認められ、初代の信直が1598年頃に築城に着手。以来、3代約40年の歳月
をかけて、1633年にようやく全域が完成したそうです。その後、他家に譲ることなく、南部氏による治世が
続き、維新を迎えました。
明治になってほとんどの建物が解体されたため、現存する建物は御彦蔵だけですが、本丸や二の丸、
三の丸、淡路丸、腰曲輪などの曲輪とそれを囲む石垣は、今も当時の様子をよく伝えていて、見ごたえ
充分です。想像以上に見どころがあり、写真をたくさん撮ってきましたので、前編、後編の2回に分けて
その様子をレポートしたいと思います。では、連郭式平城「盛岡城」をご覧ください。
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久保田城 (日本100名城 in秋田) [東北]

まだまだ、秋田の記事が続きます。
秋田駅付近で、最後の下り「あけぼの」を撮った後は、「鉄」モードを「歴」モードに切り替えて、雪の
舞う中を、市内にある久保田城(別名:秋田城)へと向かいました。

久保田城は、関ヶ原の戦いの後、常陸国から出羽秋田へと転封になった佐竹義宣が慶長9年(1604年)
に築きました。当時の大大名の1人ですし、関ヶ原後の築城ではありますが、石垣をほとんど用いず、
櫓台や曲輪の周囲は土塁で囲まれています。その土塁、今も本丸や二の丸を中心に、当時の面影を
良く残したまま、今に至っています。
佐竹氏は、徳川家に配慮して天守や3層の櫓を設けず、また石垣を用いなかったのも、その配慮があった
から、という説もあるそうですが、結果として、佐竹家は幕末まで久保田藩主として残ることとなります。
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in 秋田 (さようならE3系こまち など) [東北]

先日、14日から15日にかけて秋田で見た「あけぼの」について伝えさせて頂きましたが、同じ14日、
秋田でもう1つの引退がありました。
そう、皆さまご存知の通り、1997年の秋田新幹線開業に向けて登場したE3系による「こまち」号の運転が、
14日の17時56分東京発秋田行き「こまち45号」をもって終了しました。

当日の秋田新幹線の11番ホームには、「あけぼの」到着時ほどではありませんでしたが、最後の最後を
出迎えようというファンや報道陣が大勢駆けつけてました。

こちらが、秋田駅に進入する「こまち45号」です。定刻より2分ほど遅れての到着でした。
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仙台~松島へ (「がんばろう東北!」後編) [東北]

かなり間が開いてしまいましたが、仙台~松島の旅の後編です。

五大堂のあとは、松島港周辺を散策。こちらは、福浦島と、そこへ続く福浦橋。島の様子が気にはなり
ましたが、橋を渡るのは有料だったので、橋の手前で景色を見て、おしまいにしました。
でも、ここからでも、十分に良い眺めです。
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