江戸城 散策 [関東]
週末が穏やかに晴れるのは3週ぶりとなった11月4日の土曜日、久々に江戸城(皇居)を
散策してきました。
前々週末、前週末と2週連続で台風接近に伴う大雨でしたが、この週末、3連休は3日とも晴天。
この日は、先日に続いて都心の最高気温が21.8度と、少し歩いただけで汗ばむほどの陽気
でした(それから2週間後には最高気温が11度前後。気象の変化が激しいですね)。
地下鉄を九段下駅で降り、北の丸から三の丸、本丸、二の丸、西の丸と歩いて一回りして
きました。撮った写真は130枚を超えていため、今回は、石垣や堀は除き、建築物の写真だけ
を記事に載せてみました。
まずは北の丸にある、田安門。渡櫓は復原ですが、現存する門の1つです。武道館の入口に
あたり、24時間テレビのマラソンの際のゴール直前にランナーがくぐる門ですね。枡形門形式
で、写真は渡櫓門です。
こちらは田安門の高麗門です。
こちらは、同じ北の丸にある、清水門です。田安門と同様に枡形形式の門で、こちらも渡櫓は
復原されたものですが、門そのものは現存する遺構です。
清水門の高麗門です。
次に、三の丸の北側にやってきました。こちらは、三の丸正門だったという平河門です。
この門も渡櫓は復原されたものですが、現存する門です。枡形形式の門で、平川堀に沿って
細長い帯曲輪があるもの、平河門の特徴です。
平河門の高麗門です。
平河門の渡櫓門です。
平河門には枡形の中に、もう1つの高麗門がある特殊な構造をしています。この門は
不浄門と呼ばれ、江戸時代にはこの門から死者や罪人を城外に送り出しました。
ここで一旦、本丸に入ります。この門は本丸と北の丸を結ぶ北拮橋門です。かつては枡形門
でしたが、現在は高麗門のみ復元されています。
二の丸に復元された大番所。二の丸から本丸へと向かう中の門の内側にありました。
こちらも、二の丸にある百人番所。現存する遺構です。
そして同心番所。江戸時代後期の建物が修復されて現存しています。
これは、(三の丸)大手門。この門も、枡形門で、渡櫓門の上部は復原されたものですが、
現存する遺構です。
大手門の渡櫓門。
大手門の高麗門。
三の丸の東南隅にある、桜田巽櫓です。現存する櫓の1つです。奥に見えるのは、桔梗門
(内桜田門)です。
桔梗門です。この門も、枡形の門で現存する遺構の1つです。
西の丸の坂下門。かつては手前に高麗門があり、枡形門でしたが、明治18年に高麗門が撤去
され、明治20年に渡櫓門のみが角度を90度ずらして建て直されました。
その坂下門が珍しく開いた、と思ったら、白バイや黒塗りの車が次々と出てきました。
翌日にはトランプ大統領が来日しますし、この日はイバンカさんが二重橋とかに来てたみたい
ですし、警備を強化してたんでしょうね。
明治20年に掛けられた、めがね橋とも呼ばれる石橋。その奥が伏見櫓です。
西の丸大手門(皇居正門)。かつては、西の丸大手門の渡櫓門の前には高麗門もありましたが、
明治時代になって撤去されました。徳川家光の時代に建てられた門と言われています。
こちらは、外桜田門、通称桜田門です。この門も現存する枡形門です。
外桜田門の枡形の中から見る、高麗門と渡櫓門です。
このあと、皇居一般参観にも参加してきました。以前は事前受付のみの受付でしたが、昨年の
6月から当日受付も始まってたんですね。お昼ごろに行ったので、ちょうど午後1時からの参観
に参加できました。ちなみに、この日は、日本人が6割、外国人が4割、外国人の半分が中国系、
そんな感じでした。
ますは一般参観の入口になる桔梗門。内側から見た枡形門です。
そして、桔梗門の高麗門。
本丸の南にある、富士見櫓。万治2年(1659年)に建てられたという、とても古い三重櫓です。
伏見城から移築されたと言われる、伏見櫓です。
皇居側から見た、二重橋のめがね橋です。
最後はこちら。本丸の西側にある多聞櫓(富士見多聞)。一般参観に参加しないと、石垣の上に
建つ姿を見ることができない場所にあります。これも、万治2年(1659年)頃に再建したもの
と言われています。
多聞櫓の内部は、昨年の11月から公開されていました。
来月の2日から10日までは、昨年の3月以来の皇居乾通り一般公開もあります。
江戸城、来月も行くことになりそうです。
散策してきました。
前々週末、前週末と2週連続で台風接近に伴う大雨でしたが、この週末、3連休は3日とも晴天。
この日は、先日に続いて都心の最高気温が21.8度と、少し歩いただけで汗ばむほどの陽気
でした(それから2週間後には最高気温が11度前後。気象の変化が激しいですね)。
地下鉄を九段下駅で降り、北の丸から三の丸、本丸、二の丸、西の丸と歩いて一回りして
きました。撮った写真は130枚を超えていため、今回は、石垣や堀は除き、建築物の写真だけ
を記事に載せてみました。
まずは北の丸にある、田安門。渡櫓は復原ですが、現存する門の1つです。武道館の入口に
あたり、24時間テレビのマラソンの際のゴール直前にランナーがくぐる門ですね。枡形門形式
で、写真は渡櫓門です。
こちらは田安門の高麗門です。
こちらは、同じ北の丸にある、清水門です。田安門と同様に枡形形式の門で、こちらも渡櫓は
復原されたものですが、門そのものは現存する遺構です。
清水門の高麗門です。
次に、三の丸の北側にやってきました。こちらは、三の丸正門だったという平河門です。
この門も渡櫓は復原されたものですが、現存する門です。枡形形式の門で、平川堀に沿って
細長い帯曲輪があるもの、平河門の特徴です。
平河門の高麗門です。
平河門の渡櫓門です。
平河門には枡形の中に、もう1つの高麗門がある特殊な構造をしています。この門は
不浄門と呼ばれ、江戸時代にはこの門から死者や罪人を城外に送り出しました。
ここで一旦、本丸に入ります。この門は本丸と北の丸を結ぶ北拮橋門です。かつては枡形門
でしたが、現在は高麗門のみ復元されています。
二の丸に復元された大番所。二の丸から本丸へと向かう中の門の内側にありました。
こちらも、二の丸にある百人番所。現存する遺構です。
そして同心番所。江戸時代後期の建物が修復されて現存しています。
これは、(三の丸)大手門。この門も、枡形門で、渡櫓門の上部は復原されたものですが、
現存する遺構です。
大手門の渡櫓門。
大手門の高麗門。
三の丸の東南隅にある、桜田巽櫓です。現存する櫓の1つです。奥に見えるのは、桔梗門
(内桜田門)です。
桔梗門です。この門も、枡形の門で現存する遺構の1つです。
西の丸の坂下門。かつては手前に高麗門があり、枡形門でしたが、明治18年に高麗門が撤去
され、明治20年に渡櫓門のみが角度を90度ずらして建て直されました。
その坂下門が珍しく開いた、と思ったら、白バイや黒塗りの車が次々と出てきました。
翌日にはトランプ大統領が来日しますし、この日はイバンカさんが二重橋とかに来てたみたい
ですし、警備を強化してたんでしょうね。
明治20年に掛けられた、めがね橋とも呼ばれる石橋。その奥が伏見櫓です。
西の丸大手門(皇居正門)。かつては、西の丸大手門の渡櫓門の前には高麗門もありましたが、
明治時代になって撤去されました。徳川家光の時代に建てられた門と言われています。
こちらは、外桜田門、通称桜田門です。この門も現存する枡形門です。
外桜田門の枡形の中から見る、高麗門と渡櫓門です。
このあと、皇居一般参観にも参加してきました。以前は事前受付のみの受付でしたが、昨年の
6月から当日受付も始まってたんですね。お昼ごろに行ったので、ちょうど午後1時からの参観
に参加できました。ちなみに、この日は、日本人が6割、外国人が4割、外国人の半分が中国系、
そんな感じでした。
ますは一般参観の入口になる桔梗門。内側から見た枡形門です。
そして、桔梗門の高麗門。
本丸の南にある、富士見櫓。万治2年(1659年)に建てられたという、とても古い三重櫓です。
伏見城から移築されたと言われる、伏見櫓です。
皇居側から見た、二重橋のめがね橋です。
最後はこちら。本丸の西側にある多聞櫓(富士見多聞)。一般参観に参加しないと、石垣の上に
建つ姿を見ることができない場所にあります。これも、万治2年(1659年)頃に再建したもの
と言われています。
多聞櫓の内部は、昨年の11月から公開されていました。
来月の2日から10日までは、昨年の3月以来の皇居乾通り一般公開もあります。
江戸城、来月も行くことになりそうです。