(続日本100名城)菅谷館 [関東]
今月初め、埼玉県の嵐山町にある菅谷館跡に行ってきました。
ここは続日本100名城の一つで、鎌倉時代の武士、畠山重忠の居館跡と言われています。
それで今でも「菅谷館」と呼ばれていますが、現在みられる姿は、15世紀後半に山内上杉氏
が築いた菅谷城です。曲輪や空堀は当時のまま残っていますが、築城時期や落城時期などの
詳しいことは調査でもわかっていないようです。
下の写真は、二ノ郭の土塁です。
まずは、菅谷館の縄張図をご覧ください。
駐車場の近く、三ノ郭の北東にある搦手門跡です。
搦手門脇の土塁。
搦手門脇の二重土塁。写真では分かりにくいと思いますが、左に低い土塁があり、真ん中に
空堀、そして右側に三ノ郭の周囲を囲む高い土塁があります。
また、左側の土塁の外の、現在は道路となっている場所は、自然の谷を利用した沼田堀でした。
三ノ郭。この城址の特徴の1つが、ひとつ一つの郭が非常に広いことですが、その中でも
最も広い郭が三の郭で、東西約260m、南北約130mの長方形をしています。
三ノ郭の東側に建つ博物館の庭には、建物跡の柱が復元されていました。
三ノ郭の西ノ郭側にある、「蔀(しとみ)土塁」。西ノ郭から三ノ郭内部を直接見通せないように
造られた土塁です。
三ノ郭(写真奥)と西ノ郭(写真手前)の間に復元された木橋。木橋を渡ったところには、
正拈門(しょうてんもん)という、幅9mの門があったそうです。
三ノ郭と西ノ郭との間の空堀。写真では分かりにくいのですが、畝堀のように、堀の底が
複雑な形状をしています。
西ノ郭。
西ノ郭を囲む土塁。
二ノ郭の北東側、三ノ郭から二ノ郭に向かうところに残る、水堀。
これも、同じ水堀です。
こちらは、二ノ郭の東側、三ノ郭との間にある、空堀道。三ノ郭から二ノ郭に通じる連絡路
だったそうです。
二ノ郭。三ノ郭とは堀と高さ3.5~6mある土塁で隔てられています。
二ノ郭の土塁上にある、畠山重忠像。
二ノ郭の、三ノ郭側の土塁。
二ノ郭の本郭側に突き出した土塁。横矢が掛かってようです。
二ノ郭の南側にある、南郭。他の郭より一段低いところにあり、どのように利用されて
いたのかは、分かっていないそうです。
二ノ郭から本郭に入る虎口。
本郭。
本郭の北側にある、出枡形土塁。
虎口付近から見た本郭の土塁と空堀。
本郭の南西側の土塁と空堀。
とまぁ、こんな感じでした。
戦国末期から江戸時代にかけて築かれた近世城郭も良いですけど、先に訪問した本佐倉城、
杉山城、そして今回の菅谷館といった、中世城郭の方が、想像力を掻き立てられる感じで、
楽しいですね。
続日本100名城を訪ねるのが、なお一層、楽しみになりました。
ここは続日本100名城の一つで、鎌倉時代の武士、畠山重忠の居館跡と言われています。
それで今でも「菅谷館」と呼ばれていますが、現在みられる姿は、15世紀後半に山内上杉氏
が築いた菅谷城です。曲輪や空堀は当時のまま残っていますが、築城時期や落城時期などの
詳しいことは調査でもわかっていないようです。
下の写真は、二ノ郭の土塁です。
まずは、菅谷館の縄張図をご覧ください。
駐車場の近く、三ノ郭の北東にある搦手門跡です。
搦手門脇の土塁。
搦手門脇の二重土塁。写真では分かりにくいと思いますが、左に低い土塁があり、真ん中に
空堀、そして右側に三ノ郭の周囲を囲む高い土塁があります。
また、左側の土塁の外の、現在は道路となっている場所は、自然の谷を利用した沼田堀でした。
三ノ郭。この城址の特徴の1つが、ひとつ一つの郭が非常に広いことですが、その中でも
最も広い郭が三の郭で、東西約260m、南北約130mの長方形をしています。
三ノ郭の東側に建つ博物館の庭には、建物跡の柱が復元されていました。
三ノ郭の西ノ郭側にある、「蔀(しとみ)土塁」。西ノ郭から三ノ郭内部を直接見通せないように
造られた土塁です。
三ノ郭(写真奥)と西ノ郭(写真手前)の間に復元された木橋。木橋を渡ったところには、
正拈門(しょうてんもん)という、幅9mの門があったそうです。
三ノ郭と西ノ郭との間の空堀。写真では分かりにくいのですが、畝堀のように、堀の底が
複雑な形状をしています。
西ノ郭。
西ノ郭を囲む土塁。
二ノ郭の北東側、三ノ郭から二ノ郭に向かうところに残る、水堀。
これも、同じ水堀です。
こちらは、二ノ郭の東側、三ノ郭との間にある、空堀道。三ノ郭から二ノ郭に通じる連絡路
だったそうです。
二ノ郭。三ノ郭とは堀と高さ3.5~6mある土塁で隔てられています。
二ノ郭の土塁上にある、畠山重忠像。
二ノ郭の、三ノ郭側の土塁。
二ノ郭の本郭側に突き出した土塁。横矢が掛かってようです。
二ノ郭の南側にある、南郭。他の郭より一段低いところにあり、どのように利用されて
いたのかは、分かっていないそうです。
二ノ郭から本郭に入る虎口。
本郭。
本郭の北側にある、出枡形土塁。
虎口付近から見た本郭の土塁と空堀。
本郭の南西側の土塁と空堀。
とまぁ、こんな感じでした。
戦国末期から江戸時代にかけて築かれた近世城郭も良いですけど、先に訪問した本佐倉城、
杉山城、そして今回の菅谷館といった、中世城郭の方が、想像力を掻き立てられる感じで、
楽しいですね。
続日本100名城を訪ねるのが、なお一層、楽しみになりました。
おはようございます。
私もセットで立ち寄りました・・・中途半端な改修工事止めて欲しいです。
by YUTAじい (2018-05-28 06:25)
ありえないほどの派手な天守を下手に建てるのではなくて、かつての城郭の跡がわかるように丁寧に整備して残してくれているようですね。
こういうほうが、いろいろと想像できて楽しいと思います。
by skekhtehuacso (2018-05-28 21:39)
YUTAじいさん、こんばんは。
中途半端な改修・復元工事は不要ですね。土塁などがよくわかる
ように、木を切るとかに、とどめて欲しいです。
by takechan (2018-05-28 22:29)
skekhtehuacsoさん、同感です。
今回の続日本100名城に多く選出された中世城郭の方が
当時のまま放置されてたものも多く、土塁や空堀の木を一部
伐採するとか、曲輪の雑草を刈るとかにして欲しいです。
by takechan (2018-05-28 22:31)