(日本100名城)佐賀城へ [九州]
訪問してから、すっかり時間が経過してしまいましたが、ちょうど1か月前の8月17日、佐賀県
佐賀市にある、日本100名城の1つ、佐賀城に行ってきました。
佐賀城は、関ケ原後の慶長13年(1608年)、鍋島直茂・勝茂父子が、龍造氏の居城・村中城を
拡張して整備した城で、慶長16年(1611年)に完成しました。
その後、二度の火災に遭い、一度目の享保11年(1726年)の火災では天守閣をはじめ、本丸、
二の丸、三の丸が焼失。二年後に二の丸が完成しましたが、二度目の天保6年(1835年)の火災
ではその二の丸が焼失。天保9年に本丸御殿が再建されましたが、昭和32年までにその大半が
解体されてしまいました。
写真は、数少ない現存遺構である、鯱の門です。
本丸側から見た、鯱の門です。
本丸北西側の石垣と門跡です。
天守台の石垣。高さ9m、南北31m、東西27mの大きな天守台です。
本丸西側の石垣。
本丸の西側の空堀。
本丸西側の石垣を潜る水路。本丸内に飲み水等を運ぶ施設だったようです。
復元された南西隅櫓の石垣。
こちらも、南西隅櫓の石垣です。切り石による「亀甲乱積」という手法で積まれています。
佐賀城本丸歴史資料館として復元された本丸御殿の御玄関です。
本丸御殿の外御書院。
鍋島直正の居室だった御座の間。昭和33年(1958年)に水ヶ江大木公園に南水会館として移築
され、現存していましたが、佐賀城本丸歴史館の建設時に本丸内に再び移築されたものです。
こちらも、御座の間です。
御座の間の中の様子です。
南濠。幅が約70mもあります。
東濠。
毎年8月上旬には花火大会も開催される佐賀城。
現存する遺構は少ないですけど、鯱の門や復元された本丸御殿、大きな堀など、見どころは
十分です。
佐賀市にある、日本100名城の1つ、佐賀城に行ってきました。
佐賀城は、関ケ原後の慶長13年(1608年)、鍋島直茂・勝茂父子が、龍造氏の居城・村中城を
拡張して整備した城で、慶長16年(1611年)に完成しました。
その後、二度の火災に遭い、一度目の享保11年(1726年)の火災では天守閣をはじめ、本丸、
二の丸、三の丸が焼失。二年後に二の丸が完成しましたが、二度目の天保6年(1835年)の火災
ではその二の丸が焼失。天保9年に本丸御殿が再建されましたが、昭和32年までにその大半が
解体されてしまいました。
写真は、数少ない現存遺構である、鯱の門です。
本丸側から見た、鯱の門です。
本丸北西側の石垣と門跡です。
天守台の石垣。高さ9m、南北31m、東西27mの大きな天守台です。
本丸西側の石垣。
本丸の西側の空堀。
本丸西側の石垣を潜る水路。本丸内に飲み水等を運ぶ施設だったようです。
復元された南西隅櫓の石垣。
こちらも、南西隅櫓の石垣です。切り石による「亀甲乱積」という手法で積まれています。
佐賀城本丸歴史資料館として復元された本丸御殿の御玄関です。
本丸御殿の外御書院。
鍋島直正の居室だった御座の間。昭和33年(1958年)に水ヶ江大木公園に南水会館として移築
され、現存していましたが、佐賀城本丸歴史館の建設時に本丸内に再び移築されたものです。
こちらも、御座の間です。
御座の間の中の様子です。
南濠。幅が約70mもあります。
東濠。
毎年8月上旬には花火大会も開催される佐賀城。
現存する遺構は少ないですけど、鯱の門や復元された本丸御殿、大きな堀など、見どころは
十分です。
鯱の門大きいですね。
二階とは珍しい。
by ねじまき鳥 (2017-09-17 23:57)