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(日本100名城)名護屋城址へ [九州]

8月16日、佐賀県唐津市にある名護屋城址に行ってきました。

名護屋城は、豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)という、愚かな企てを実行するための
拠点として、天正20年(1592年)に築かれた城です。城の広さは17万㎡に及び、大阪城に
次ぐ大規模なものでした。
秀吉が亡くなるとともに戦争は終結し、名護屋城は廃城となりました。
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それでは、名護屋城址の様子をご覧ください。こちらは、正面入り口にあたる、大手口です。
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大手口の脇にある櫓台。
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長屋建物跡です。奥に見えるのが東出丸の石垣です。
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東出丸。
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三ノ丸。正面に見えるのが、城内最大級の枡形虎口である本丸大手門跡です。
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本丸大手門付近の石垣。大手門は伊達政宗に与えられ、仙台城に移築されたと言われています。
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本丸。
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天守台。高さ約30mの5重天守が建てられたそうです。
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天守付近からの眺望。玄界灘に浮かぶ加部島や、加部島へと渡る呼子大橋が見えます。
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こちらも天守からの眺望。左手前が遊撃丸です。小さな2つの島の向こうには、遠く壱岐島
も見えます。ここから、秀吉も、朝鮮半島へと向かう船を眺めていたのでしょうか。
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本丸の西側、多聞櫓付近の石垣です。右側に二ノ丸があります。石垣は城の機能をなくすため、
江戸時代になって、部分的に、V字状に破壊されています。
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本丸北門付近。
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上山里丸の水手口の石垣。
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遊撃丸の北側の石垣。
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石垣に囲まれた遊撃丸。
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天守台の石垣。一部しか残っていません。
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二ノ丸。
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弾正丸の搦手口の石垣。弾正丸は、浅野弾正少弼長政(秀吉妻の義弟)の曲輪と言われて
います。
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伝馬場。
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伝馬場の南側の石垣。一部分が破却されてます。
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三ノ丸の南西櫓台。巨石(鏡石)が埋め込まれています。
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本丸の三ノ丸側の石垣。この辺りも壊されています。
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最後にもう一度、東出丸。石垣がV字状に壊されているのが分かります。
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名護屋城の周辺には、全国から集まった大名たちの陣跡が点在しています。160もの大名が
集まったと言われ、そのうち130の陣跡が確認されているそうですが、大半が私有地内にあり、
見学できるのは一部にとどまります。
今回は、時間が足りなかったのと、地図を確認して行っても、実際にどこにあるのかが、分かり
にくかったりしたのとで、数か所を訪ねただけに終わりました。
こちらは、波戸岬の近くにある、島津義弘陣跡です。
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北条氏盛の陣跡。案内板の左に見えるのは、旗竿石です。
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そして、徳川家康の陣跡。
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ここは陣跡を含めてじっくり訪問するなら、丸一日あっても足りないくらいかもしれません。
またいつか、再訪してみたいです。
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