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(伊勢)桑名城へ [東海]

4月5日から8日に行った一人旅の最後の訪問地は、三重県桑名市にある桑名城です。
(2か月経過して、ようやく旅の日記が終わります)

桑名城が本格的に築かれたのは慶長6年(1601年)に本多忠勝が城主となってからで、揖斐川、長良川、
そして木曽川の河口に近く伊勢国の玄関口として重要視された地に、4重6階の天守を含む櫓数51、
多聞46という立派な城でした。ただ、天守は元禄14年(1701年)に街の大火で焼失し、その後再建
されず、また、明治になって建物は取り壊され、石垣は四日市港の埋め立てに使用されて破壊され
たため、現在、城跡には堀とわずかな石垣が残るのみです。
そうした中で、市内の了順寺の山門は、桑名城の城門を移築したものと言われています。
こちらが了順寺の山門です。
IMG_0906(1).JPG
こちらは城の西側の二の丸堀です。今にも雨が降り出しそうな、どんよりとした天候だったのと
私の腕が悪いのとで、せっかく桜が満開だったにも関わらず、暗く、かつピンボケみたいな
写真が続きますが、ご了承ください。
IMG_0909(二の丸堀).JPG

こちらは、二の丸堀の南西側です。
IMG_0911(1).JPG

本丸堀です。
IMG_0916(1).JPG

二の丸堀の南側です。
IMG_0917(1).JPG

本丸から見た、本丸堀と二の丸跡です。
IMG_0929(1).JPG

本丸堀と二の丸跡の写真をさらに2枚。
IMG_0933(1).JPG

IMG_0936(1).JPG

二の丸の南門跡付近です。手前の野面積みの石垣が当時のもののようにも見えますが、
違うかもしれません。
IMG_0938(1).JPG

南門跡付近でもう1枚。しかし、桜が見事ですね。
IMG_0939(1).JPG

本丸に戻って、辰巳櫓跡。櫓跡はいずれも、明治以後に手が加えられていて、石垣などは当時の
ものではありません。ここに櫓があった、というだけのようです。
IMG_0922(辰巳櫓跡).JPG

神戸櫓跡。神戸城の天守を移したそうです。
IMG_0926(神戸櫓跡).JPG

天守跡。こちらの石組も昭和53年に整備したもので、当時のものではありません。
IMG_0924(天守跡).JPG

三の丸跡にある本多忠勝像です。
IMG_0943(1).JPG

最後に、三の丸堀です。
IMG_0946(三の丸堀).JPG

ご覧の通り、石垣や土塁もほとんどなく、当時を偲ぶことはできませんが、城址全体に桜が
植えられていて、お花見には最適でした。

今回は、4日間で、数優先で、1か所に時間をかけずに、多くの城を訪ねたため、少し足を伸ばせば
見ることのできる遺構などは省略せざるを得ませんでした。
また、名古屋城や大垣城、津城、田原城など、行きたい城はほかにもたくさんありました。
いつになるか分かりませんが、また、ゆっくり、東海地方や琵琶湖周辺を旅してみたいですね。
タグ: 城址
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コメント 4

萌田かずきち

桑名城ありがとうございます。幕末ファンとしては、見ておきたいお城の一つでしたがここから日露戦争の英雄・立見鑑三郎尚文将軍がでたのかと思うと
とても嬉しいです。
by 萌田かずきち (2017-06-06 03:22) 

ねじまき鳥

桑名城は幕末に薩長と戦ったために恨みを買って明治期に石垣が壊されてしまい残念です。
東海を代表する名城だったのに。
by ねじまき鳥 (2017-06-06 21:37) 

takechan

萌田さま、そういう歴史もあったんですね。ありがとうございます。
by takechan (2017-06-06 21:42) 

takechan

ねじまき島さま、残念ですよね。せめて、本丸だけでも、石垣や
櫓が残っていれば良かったのですが。
by takechan (2017-06-06 21:43) 

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