(伊勢)神戸城へ [東海]
亀山城の次は、三重県鈴鹿市にある神戸(かんべ)城です。
神戸城は、神戸具盛が天文年間に築いた城です。天正8年(1580年)には織田軍の滝川一益の侵攻に
和睦し養子に受け入れた信長の3男神戸信孝が城を改修。今も残る天守台の上に5重6階の天守を
建てました。
その後、天領となっていた期間をはさんで、城主が度々変わったのち、享保17年(1732年)に本多
忠統が城主となり、維新まで本多氏の居城でした。
本丸跡には、今も、野面積みの天守台や土塁、堀が残っています。
写真は、本丸跡です。手前に城址碑と桜、奥に天守台が見えます。
現在神戸高校の敷地となっている二の丸跡方面から見た、本丸方面です。満開の桜の右に土塁が
あり、その右奥に天守台の石垣が見えます。
本丸の南側の水堀(内堀)です。
そして、本丸の東側の水堀です。低い石垣が当時のものなのか記載がありませんでしたが、積み方
からすると、当時からある野面積みの石垣のように見えます。
本丸の周囲を囲む土塁です。
本丸の周囲の石垣。維新まで続いた城ですが、石垣はかなり古い時代の粗っぽい野面積みのままの
石垣なのが神戸城の特徴の1つです。
こちらも本丸の石垣です。
そして、天守台の石垣です。伊賀上野城のような、当時の技術を結集した芸術的な高い石垣も
魅力がありますが、このような、素朴に石を積み上げただけのような石垣も、見に行く価値が
ありますね。
これも天守台です。
天守台の石段の途中で撮った写真です。天守台の上のベンチに、ヤンキーっぽいカップルが座って
いたので、気の弱い私は残念ながら、途中まで登って引き返しました。。。
最後に、移築され現存する建物を1つ。市内の蓮花寺の鐘楼は、神戸城の二の丸にあった太鼓櫓
を移築したものです。
東海地方や近畿地方には、この神戸城のように、観光スポットとしては決してメジャーではない
ものの、石垣や堀など、戦国期や江戸時代の面影を十分に残りているお城がたくさんあって、
良いですよね。
次回は、一人旅の最後に訪ねた、桑名城です。
神戸城は、神戸具盛が天文年間に築いた城です。天正8年(1580年)には織田軍の滝川一益の侵攻に
和睦し養子に受け入れた信長の3男神戸信孝が城を改修。今も残る天守台の上に5重6階の天守を
建てました。
その後、天領となっていた期間をはさんで、城主が度々変わったのち、享保17年(1732年)に本多
忠統が城主となり、維新まで本多氏の居城でした。
本丸跡には、今も、野面積みの天守台や土塁、堀が残っています。
写真は、本丸跡です。手前に城址碑と桜、奥に天守台が見えます。
現在神戸高校の敷地となっている二の丸跡方面から見た、本丸方面です。満開の桜の右に土塁が
あり、その右奥に天守台の石垣が見えます。
本丸の南側の水堀(内堀)です。
そして、本丸の東側の水堀です。低い石垣が当時のものなのか記載がありませんでしたが、積み方
からすると、当時からある野面積みの石垣のように見えます。
本丸の周囲を囲む土塁です。
本丸の周囲の石垣。維新まで続いた城ですが、石垣はかなり古い時代の粗っぽい野面積みのままの
石垣なのが神戸城の特徴の1つです。
こちらも本丸の石垣です。
そして、天守台の石垣です。伊賀上野城のような、当時の技術を結集した芸術的な高い石垣も
魅力がありますが、このような、素朴に石を積み上げただけのような石垣も、見に行く価値が
ありますね。
これも天守台です。
天守台の石段の途中で撮った写真です。天守台の上のベンチに、ヤンキーっぽいカップルが座って
いたので、気の弱い私は残念ながら、途中まで登って引き返しました。。。
最後に、移築され現存する建物を1つ。市内の蓮花寺の鐘楼は、神戸城の二の丸にあった太鼓櫓
を移築したものです。
東海地方や近畿地方には、この神戸城のように、観光スポットとしては決してメジャーではない
ものの、石垣や堀など、戦国期や江戸時代の面影を十分に残りているお城がたくさんあって、
良いですよね。
次回は、一人旅の最後に訪ねた、桑名城です。
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