(日本100名城)伊賀上野城へ [東海]
一人旅の最終日の朝、三重県伊賀市にある伊賀上野城に行ってみました。
伊賀上野城は、天正13年(1585年)、大和郡山から移った筒井定次が古館跡に築いたのが始まりです。
定次は三層の天守を建て、北側に表門を構えました。
その後、慶長13年(1608年)に、徳川家康は定次を改易。大阪城への備えが必要だったことから、築城の
名手、藤堂高虎が伊予今治から入封します。高虎は伊賀上野城を西に拡張し、豊臣方に備えて高さ
約30メートルの石垣や水堀などを築きました。また五層の大天守も建設しましたが、完成間近の
慶長17年(1612年)9月に暴風により倒壊。その後、大阪の陣での豊臣氏の滅亡と幕府の城普請禁止策
とにより、本丸・二ノ丸などの主要部分は城代屋敷を除いて未完成のままとなり、伊賀一国の城と
して藤堂氏の城代家老による執政体制が幕末まで続きました。
それではまず、城下からスタートします。こちらは、武家屋敷 入交家住宅です。時代劇の撮影に
そのまま使えそうですね。
伊賀鉄道の上野市駅の近くにある、東大手門跡の碑。
蛇谷堀(蛇谷池)。高虎が城を拡張した際、このにあった沼を利用して東の内堀を設けようとして、
工事に取り掛かったところ、長さ2丈に及ぶ大蛇があらわれたことから、蛇谷堀と呼ぶようになった
とか。
城門風に建てられた白鳳門(模擬)。
上野高校の図書館の横にある、伊賀上野城の武具蔵。現存する唯一の建物です。春休み中の部活に
来たと思われる高校生に、一応声をかけた上で撮ってきました(その高校生に、私が入ることを
許可する権限はないとは思いつつ、入口のすぐそばだったので)。
本丸表門跡の石垣。桜がきれいですね。
本丸表門の右手の石垣。
城代屋敷跡の南側の石垣。
そして、有名な高石垣へ。本丸の西面の高石垣です。いやぁ、見事です。各地のお城を見てきて
ますが、それらの中で、この城の石垣は、まさに圧巻、ですね。
西面の南側の高石垣です。
北西方向から見た、西面の石垣です。
北側はこんな感じです。
もう一度、西側の高石垣。高さといい構造といい、軍事的でありながら芸術的でもありますね。
本丸の北側に残る、空堀跡。
本丸内に入り、高石垣の南西側の上に来てみました。柵などはなく、石垣の最上部に立つ
ことができます。
石垣を見下ろします。いやぁ、まじで、怖かったです。高いところが苦手な私は、この写真を
立ったまま撮ることができず、地面に膝まづいた態勢で、恐怖感の中でなんとか撮りました。
北西側の石垣の上も、こんな感じです。
ここでも、見下ろしてみました。自分としては、命がけの撮影です(笑)。実際に、ここから
落ちて亡くなった方も、過去にはいるそうです。
本丸内に向かいます。こちらは、城代屋敷の裏門跡の石垣です。城代屋敷は、筒井氏時代の
本丸があったところに造られました。
城代屋敷の表門跡の石垣です。
裏門を入ったところにある、塩噌蔵跡と米蔵跡。
城代屋敷跡。
筒井氏の時代の天守跡の碑。
模擬天守。昭和10年(1935年)、地元出身の代議士個人の私財で、木造で建てられました。
三層三階の大天守と二層の小天守からなる連結式です。個人で建てるとは、すごい方がいたん
ですね。
伊賀上野城も、私が行った頃に、桜の見頃を迎えていました。
天守と桜をもう1枚。
小天守です。
反対側(高石垣側)から見た天守です。
「白鳳城」とも呼ばれる伊賀上野城。お城ファンではなくても、ここの高石垣は必見だと思い
ました。
お城巡りの一人旅、(しつこいようですが)まだまだ続きます。
伊賀上野城は、天正13年(1585年)、大和郡山から移った筒井定次が古館跡に築いたのが始まりです。
定次は三層の天守を建て、北側に表門を構えました。
その後、慶長13年(1608年)に、徳川家康は定次を改易。大阪城への備えが必要だったことから、築城の
名手、藤堂高虎が伊予今治から入封します。高虎は伊賀上野城を西に拡張し、豊臣方に備えて高さ
約30メートルの石垣や水堀などを築きました。また五層の大天守も建設しましたが、完成間近の
慶長17年(1612年)9月に暴風により倒壊。その後、大阪の陣での豊臣氏の滅亡と幕府の城普請禁止策
とにより、本丸・二ノ丸などの主要部分は城代屋敷を除いて未完成のままとなり、伊賀一国の城と
して藤堂氏の城代家老による執政体制が幕末まで続きました。
それではまず、城下からスタートします。こちらは、武家屋敷 入交家住宅です。時代劇の撮影に
そのまま使えそうですね。
伊賀鉄道の上野市駅の近くにある、東大手門跡の碑。
蛇谷堀(蛇谷池)。高虎が城を拡張した際、このにあった沼を利用して東の内堀を設けようとして、
工事に取り掛かったところ、長さ2丈に及ぶ大蛇があらわれたことから、蛇谷堀と呼ぶようになった
とか。
城門風に建てられた白鳳門(模擬)。
上野高校の図書館の横にある、伊賀上野城の武具蔵。現存する唯一の建物です。春休み中の部活に
来たと思われる高校生に、一応声をかけた上で撮ってきました(その高校生に、私が入ることを
許可する権限はないとは思いつつ、入口のすぐそばだったので)。
本丸表門跡の石垣。桜がきれいですね。
本丸表門の右手の石垣。
城代屋敷跡の南側の石垣。
そして、有名な高石垣へ。本丸の西面の高石垣です。いやぁ、見事です。各地のお城を見てきて
ますが、それらの中で、この城の石垣は、まさに圧巻、ですね。
西面の南側の高石垣です。
北西方向から見た、西面の石垣です。
北側はこんな感じです。
もう一度、西側の高石垣。高さといい構造といい、軍事的でありながら芸術的でもありますね。
本丸の北側に残る、空堀跡。
本丸内に入り、高石垣の南西側の上に来てみました。柵などはなく、石垣の最上部に立つ
ことができます。
石垣を見下ろします。いやぁ、まじで、怖かったです。高いところが苦手な私は、この写真を
立ったまま撮ることができず、地面に膝まづいた態勢で、恐怖感の中でなんとか撮りました。
北西側の石垣の上も、こんな感じです。
ここでも、見下ろしてみました。自分としては、命がけの撮影です(笑)。実際に、ここから
落ちて亡くなった方も、過去にはいるそうです。
本丸内に向かいます。こちらは、城代屋敷の裏門跡の石垣です。城代屋敷は、筒井氏時代の
本丸があったところに造られました。
城代屋敷の表門跡の石垣です。
裏門を入ったところにある、塩噌蔵跡と米蔵跡。
城代屋敷跡。
筒井氏の時代の天守跡の碑。
模擬天守。昭和10年(1935年)、地元出身の代議士個人の私財で、木造で建てられました。
三層三階の大天守と二層の小天守からなる連結式です。個人で建てるとは、すごい方がいたん
ですね。
伊賀上野城も、私が行った頃に、桜の見頃を迎えていました。
天守と桜をもう1枚。
小天守です。
反対側(高石垣側)から見た天守です。
「白鳳城」とも呼ばれる伊賀上野城。お城ファンではなくても、ここの高石垣は必見だと思い
ました。
お城巡りの一人旅、(しつこいようですが)まだまだ続きます。
伊賀上野城いいですね。
いつか行きたいとは思いつつまだ行けてないお城です。
石垣が綺麗ですね。
いつ行けるんだろ(^^;)
by たかぼん (2017-05-25 23:15)
たかぼんさん、是非一度、行ってみてください。
高石垣には感動すると思います。
by takechan (2017-05-26 23:35)