(日本100名城)松山城へ② [四国]
今回は、松山城の本丸です。
次の写真は、二の丸から黒門口登城道を登り、本丸へと通じるところにある大手門跡の石垣の
下に出たところです。
二の丸から本丸へは、黒門口登城道を歩くルート、県庁裏登城道を登るルート、そして、
東雲口まで移動してロープウェイ・リフトを使うルートがあります。歩きだと、本丸まで15分~
20分程度で到着します。黒門口登城道は石段が多く、やや急な坂な斜面もありますが、江戸時代
には正規のルートだった道で、今もそれらしい雰囲気を味わえます。
県庁裏登城道は舗装された、割と緩やかなスロープで、途中、登り石垣を見ることができます。
こちらも本丸まで、15~20分歩きます。
ロープウェイ・リフトを使う場合、まず松山城駐車場(有料)まで移動し、駐車場からロープ
ウェイ乗り場まで約2分歩きます。ロープウェイは所要時間3分ですが、10分間隔での運行なので、
待ち時間も加えると、そこそこに時間がかかります。リフトは所要時間6分です。さらに、ロープ
ウェイ・リフトの降車場所から本丸まで5分ほど歩きます。
ということで、先に二の丸に来たのであれば、歩いてしまった方が、早く本丸に到着できます。
ちなみに、二の丸専用駐車場は無料です。31台しか停められないため、天気の良い週末の昼頃
などは、満車の可能性もありますが。
これも、大手門跡付近の石垣です。右手に見えるのが筒井門西櫓、左手に見えるのが太鼓櫓
です。
大手門跡です。大手門は慶長年間の築城時に建てられた重要な門でした。明治時代に、揚木
戸門とともに、取り壊されました。本丸への登城道には、こうしてU字に屈折する箇所が多い
です。
揚木戸門跡の石垣。その奥の左手には待合番所があったそうです。
本丸の大手口の最初にある、戸無門。現存の高麗門です。
戸無門の隣にある筒井門。築城の際、正木城から移築されたと伝えれている松山城最大の門です。
現在の門は昭和46年に復元されたものです。門の左側が筒井門西続櫓、右側が筒井門東続櫓です。
現存する隠門。筒井門の奥の石垣の陰に隠された埋門形式の櫓門です。
隠門続櫓。これも現存する遺構です。
本丸下から見た、隠門続櫓。
昭和61年に再建された巽櫓。
本丸下から見た巽櫓。
太平洋戦争の際に焼失し、昭和47年に再建された太鼓門。本丸大手の正門と位置付けられて
いる脇戸付の櫓門です。
昭和48年に復元された太鼓櫓。
馬具櫓(復元)。
本丸から見た本壇。右が大天守(現存)、左が小天守(復元)です。
本丸の大手と搦手を仕切る紫竹門(現存)。右手の石垣上にあるのが紫竹門東塀、左手の白い
漆喰の塀が紫竹門西塀です。左右の塀も現存する遺構です。
紫竹門西塀(右)に続く、乾門東続櫓続東曲折塀、乾門東続櫓、そして現存する乾櫓。
乾櫓は築城当初の櫓です。
そして、艮門東続櫓(右側)と、艮門。昭和59年に復元されました。このエリアは工事中で、
立入禁止でした。
ここまでが本丸の建築物です。松山城は、復元された門や櫓を含め、江戸時代の姿を今に残す
城址の1つですね。
次回はいよいよ、現存する天守閣のある本壇の様子をお伝えしたいと思います。
次の写真は、二の丸から黒門口登城道を登り、本丸へと通じるところにある大手門跡の石垣の
下に出たところです。
二の丸から本丸へは、黒門口登城道を歩くルート、県庁裏登城道を登るルート、そして、
東雲口まで移動してロープウェイ・リフトを使うルートがあります。歩きだと、本丸まで15分~
20分程度で到着します。黒門口登城道は石段が多く、やや急な坂な斜面もありますが、江戸時代
には正規のルートだった道で、今もそれらしい雰囲気を味わえます。
県庁裏登城道は舗装された、割と緩やかなスロープで、途中、登り石垣を見ることができます。
こちらも本丸まで、15~20分歩きます。
ロープウェイ・リフトを使う場合、まず松山城駐車場(有料)まで移動し、駐車場からロープ
ウェイ乗り場まで約2分歩きます。ロープウェイは所要時間3分ですが、10分間隔での運行なので、
待ち時間も加えると、そこそこに時間がかかります。リフトは所要時間6分です。さらに、ロープ
ウェイ・リフトの降車場所から本丸まで5分ほど歩きます。
ということで、先に二の丸に来たのであれば、歩いてしまった方が、早く本丸に到着できます。
ちなみに、二の丸専用駐車場は無料です。31台しか停められないため、天気の良い週末の昼頃
などは、満車の可能性もありますが。
これも、大手門跡付近の石垣です。右手に見えるのが筒井門西櫓、左手に見えるのが太鼓櫓
です。
大手門跡です。大手門は慶長年間の築城時に建てられた重要な門でした。明治時代に、揚木
戸門とともに、取り壊されました。本丸への登城道には、こうしてU字に屈折する箇所が多い
です。
揚木戸門跡の石垣。その奥の左手には待合番所があったそうです。
本丸の大手口の最初にある、戸無門。現存の高麗門です。
戸無門の隣にある筒井門。築城の際、正木城から移築されたと伝えれている松山城最大の門です。
現在の門は昭和46年に復元されたものです。門の左側が筒井門西続櫓、右側が筒井門東続櫓です。
現存する隠門。筒井門の奥の石垣の陰に隠された埋門形式の櫓門です。
隠門続櫓。これも現存する遺構です。
本丸下から見た、隠門続櫓。
昭和61年に再建された巽櫓。
本丸下から見た巽櫓。
太平洋戦争の際に焼失し、昭和47年に再建された太鼓門。本丸大手の正門と位置付けられて
いる脇戸付の櫓門です。
昭和48年に復元された太鼓櫓。
馬具櫓(復元)。
本丸から見た本壇。右が大天守(現存)、左が小天守(復元)です。
本丸の大手と搦手を仕切る紫竹門(現存)。右手の石垣上にあるのが紫竹門東塀、左手の白い
漆喰の塀が紫竹門西塀です。左右の塀も現存する遺構です。
紫竹門西塀(右)に続く、乾門東続櫓続東曲折塀、乾門東続櫓、そして現存する乾櫓。
乾櫓は築城当初の櫓です。
そして、艮門東続櫓(右側)と、艮門。昭和59年に復元されました。このエリアは工事中で、
立入禁止でした。
ここまでが本丸の建築物です。松山城は、復元された門や櫓を含め、江戸時代の姿を今に残す
城址の1つですね。
次回はいよいよ、現存する天守閣のある本壇の様子をお伝えしたいと思います。
これでもか!って創り込みの石垣に妄想力が昂ります。
by hanamura (2017-03-19 07:41)
石垣の積上げ方に、興味深いものがあります。
多くの石の中から、紋入りの石は見つかったのでしょうか?
by yu-papa (2017-03-20 09:20)