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滋賀県内の日本100名城 ~彦根城①~ [関西]

もう1ヶ月経過してしまいましたが、先月の14日、国宝・彦根城に行ってきました。

彦根城は、豊臣秀頼をけん制するために、徳川家康が築かせた城で、井伊直政の子、直継が
慶長12年(1607年)に完成させました。
今も現存する三重三階、多様な破風に飾られた天守だけでなく、2重の堀に囲まれた、ほぼ江戸
時代のままの姿の城郭は、豊臣から徳川へと移た時代の歴史とロマンを感じることができます。
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それでは、早速、城下から歩いてみます。
こちらは、旧池田屋敷門。池田家は二代目当主井伊直孝により召し抱えられ、以後、明治維新
まで続く中級の武家だったそうです。
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二の丸の外側にある堀(中堀)沿いにある、埋木舎。けやき御殿で11代藩主井伊直中の14男と
して生まれた井伊直弼は、17歳の時に父を失い、藩の掟ににより、僅か300俵の捨扶持を
与えられて、この屋敷に住んだそうです。以後、32歳で12代藩主である兄直亮の嗣子になる
までの間、ここで生活したそうです。その後、35歳で藩主となり、幕府の大老となった直弼で
すが、桜田門外の変で攘夷派に襲われて46歳で亡くなりました。
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埋木舎の門です。
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外堀跡。彦根城は内堀、中堀、外堀の3重の堀が城山を囲むように設けられていました。
内堀、中堀は今も、当時の姿を残していますが、外堀は戦後、ほとんどが埋められて道路と
なり、わずかに、跡が残っているに過ぎません。
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二の丸の東側の中堀と石垣。
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これも中堀の石垣。船着き場のようになっています。「槻御殿」への入口でしょうか。
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二の丸にある佐和山口の多聞櫓。佐和山口の右側は、昭和38年に再建されました。
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こちらが、現存する佐和山口の多聞櫓。明和6年(1769年)から8年にかけて再建されたもの
です。
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二の丸内にある「槻御殿」。彦根藩の下屋敷で、延宝7年(1679年)に完成しました。
現在は、庭園部分が玄宮園、建物部分が楽々園と呼ばれています。正面の橋は、龍臥橋です。
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玄宮園から見る、中堀と石垣。
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臨池閣。後方に天守閣が見えます。
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七間橋。見事な大名庭園です。
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楽々園の御書院。楽々園は、彦根藩第4代井伊直興によって建立された彦根藩の下屋敷です。
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楽々園の玄関。
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黒門跡から見た、内堀と石垣。
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山崎郭から西の丸へ向かう山崎山道の石垣。
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西の丸の外側にある、馬出の機能を持った出曲輪。
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出曲輪と西の丸の間にある大堀切。裏手からの敵の侵入を防ぐため、尾根を断ち切るように
設けられました。
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西の丸の石垣。
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西の丸の三重櫓。重要文化財です。
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ここから本丸に向かいます。長くなったので、続きは次回ということで。
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コメント 1

あんれに

コメント頂きありがとうございます
旅の情報として大変参考になりました
同じ場所を記事した事もあります
長年で御付き合い頂きありがとうございました
記事の方は今後も参考にさせて頂きます
by あんれに (2016-03-19 11:02) 

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