滋賀県内の日本100名城 ~観音寺城~ [関西]
2月15日に、仕事で朝から神戸にいる必要があり、であれば、ということで、その前日の14日の
日曜日は、朝から家を出て、滋賀県内にある日本100名城を訪ねてきました。
東京駅8時33分の「ひかり505号」に乗って米原へ。この列車だと、米原まで、「のぞみ」に
追い抜かれないので、快適です。米原で東海道線に乗り換え、まず、彦根で降りて彦根城へ。
続いて、安土で降りて、安土城と観音寺城に行ってきましたが、記事のほうは、観音寺城から
紹介したいと思います。
観音寺城は、近江国守護佐々木六角氏の居城で、文明3年(1471年)頃から石垣・石塁による城造り
が進められたそうです。永禄11年(1568年)、織田信長による猛攻を受けて六角氏は逃げ出し、
以後、廃城となりました。巨石を利用したその規模は山裾まで広がり、中世最大規模の山城と
言われています。主郭部や屋敷地に築かれた高石垣は、日本の城で初めて本格的に導入されたもの
とも言われています。
それでは、城址を訪ねてみましょう。
まず、城址の麓にある、白鳳6年(677年)の創建と言われる桑實寺の山門から出発です。
こんな石段を約15分かけて登ります。この時点で、何度も、やめようかと思いました。
足がパンパンになってきたところで、ようやく、桑實寺の本堂です。観音寺城に行くには、
ここで拝観料300円を払う必要があります。
ちなみに、この本堂、室町時代初期の建立です。桑實寺は、一時期荒廃していましたが、
織田信長に保護されたそうです。
桑實寺までの階段もキツかったけど、そこからはもっとキツかったです。というのも、
こんな道を、更に30分かけて登る必要があるからです。
しかも、段々と、石段ではなく、石が散らばっているだけの山道になります。ところどころに、
木が倒れていたりもしました。これらの石も、城の一部なんでしょうか。。。
写真では分かりにくいかもしれませんが、かなりハードな登り坂でした。
途中、ところどころに、こんな石垣があります。きっと、屋敷の跡かなんかでしょうね。
へとへとになって、ようやく本丸に到着。足はパンパンだし、汗だくだし、今までに訪ねた
城跡の中で、最もハードでした。
本丸の石垣。
本丸跡。この城は、案内板がほとんどなく、ここが本丸だと言うことは分かりましたが、ここから
どっちに歩けば、何があるのか、まったく分かりません。
とりあえず、本丸内を歩いてみると、土塁と、井戸でもあったかのような石垣がありました。
本丸の周囲の石垣を上部から。
薬師口側の門?のような石垣。
本丸の周囲にある郭にあった石垣。
本丸から平井丸(平井氏屋敷跡)に向かうと、こんな石垣が。ちなみに、平井丸がある、という
表示が本丸にはありませんので、本丸からの道を一つ一つ、歩いてみる必要があります。
これも、平井丸の本丸側の石垣(入口)です。
平井丸。
平井丸虎口の石垣。平井丸の周囲を囲む、かなりの規模です。
左が、落合氏屋敷跡の石垣。右が平井丸の石垣。
平井丸の石垣を3枚。
この通り、石が崩れ落ちたままになっています。いかにも、廃城になったまま、全く、
利用もされず、整備もされなかった、という雰囲気です。
おそらく、三の丸の石垣です。
これも、たぶん、三の丸です。
三の丸から本丸へと続く石段。
本丸の下にある、大井戸跡。ここへ行く道にも何の表示もなく、危うく、見ないで帰るところ
でした。
大井戸付近の石垣。
これも大井戸付近。
こんな斜面なので、油断すると、そのまま落ちてしまいそうです。
これも、本丸下、大井戸付近です。石垣が崩れてます。
100名城の一つに選ばれていながら、荒れ放題の城址ですね。ただ、それが、かえって、
往時をしのぶことができて、良いのかもしれませんが。
次は、安土城です。
日曜日は、朝から家を出て、滋賀県内にある日本100名城を訪ねてきました。
東京駅8時33分の「ひかり505号」に乗って米原へ。この列車だと、米原まで、「のぞみ」に
追い抜かれないので、快適です。米原で東海道線に乗り換え、まず、彦根で降りて彦根城へ。
続いて、安土で降りて、安土城と観音寺城に行ってきましたが、記事のほうは、観音寺城から
紹介したいと思います。
観音寺城は、近江国守護佐々木六角氏の居城で、文明3年(1471年)頃から石垣・石塁による城造り
が進められたそうです。永禄11年(1568年)、織田信長による猛攻を受けて六角氏は逃げ出し、
以後、廃城となりました。巨石を利用したその規模は山裾まで広がり、中世最大規模の山城と
言われています。主郭部や屋敷地に築かれた高石垣は、日本の城で初めて本格的に導入されたもの
とも言われています。
それでは、城址を訪ねてみましょう。
まず、城址の麓にある、白鳳6年(677年)の創建と言われる桑實寺の山門から出発です。
こんな石段を約15分かけて登ります。この時点で、何度も、やめようかと思いました。
足がパンパンになってきたところで、ようやく、桑實寺の本堂です。観音寺城に行くには、
ここで拝観料300円を払う必要があります。
ちなみに、この本堂、室町時代初期の建立です。桑實寺は、一時期荒廃していましたが、
織田信長に保護されたそうです。
桑實寺までの階段もキツかったけど、そこからはもっとキツかったです。というのも、
こんな道を、更に30分かけて登る必要があるからです。
しかも、段々と、石段ではなく、石が散らばっているだけの山道になります。ところどころに、
木が倒れていたりもしました。これらの石も、城の一部なんでしょうか。。。
写真では分かりにくいかもしれませんが、かなりハードな登り坂でした。
途中、ところどころに、こんな石垣があります。きっと、屋敷の跡かなんかでしょうね。
へとへとになって、ようやく本丸に到着。足はパンパンだし、汗だくだし、今までに訪ねた
城跡の中で、最もハードでした。
本丸の石垣。
本丸跡。この城は、案内板がほとんどなく、ここが本丸だと言うことは分かりましたが、ここから
どっちに歩けば、何があるのか、まったく分かりません。
とりあえず、本丸内を歩いてみると、土塁と、井戸でもあったかのような石垣がありました。
本丸の周囲の石垣を上部から。
薬師口側の門?のような石垣。
本丸の周囲にある郭にあった石垣。
本丸から平井丸(平井氏屋敷跡)に向かうと、こんな石垣が。ちなみに、平井丸がある、という
表示が本丸にはありませんので、本丸からの道を一つ一つ、歩いてみる必要があります。
これも、平井丸の本丸側の石垣(入口)です。
平井丸。
平井丸虎口の石垣。平井丸の周囲を囲む、かなりの規模です。
左が、落合氏屋敷跡の石垣。右が平井丸の石垣。
平井丸の石垣を3枚。
この通り、石が崩れ落ちたままになっています。いかにも、廃城になったまま、全く、
利用もされず、整備もされなかった、という雰囲気です。
おそらく、三の丸の石垣です。
これも、たぶん、三の丸です。
三の丸から本丸へと続く石段。
本丸の下にある、大井戸跡。ここへ行く道にも何の表示もなく、危うく、見ないで帰るところ
でした。
大井戸付近の石垣。
これも大井戸付近。
こんな斜面なので、油断すると、そのまま落ちてしまいそうです。
これも、本丸下、大井戸付近です。石垣が崩れてます。
100名城の一つに選ばれていながら、荒れ放題の城址ですね。ただ、それが、かえって、
往時をしのぶことができて、良いのかもしれませんが。
次は、安土城です。
観音寺城はまだ未訪問なので行きたいですが。。。
登城は大変そうですね。。。
by ガンビー (2016-02-27 23:15)
いい石垣ですねぇ~。
by hanamura (2016-02-28 16:23)