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小田原城 (日本100名城) [関東]

先日、と言っても5月下旬の話ですが、仕事で小田原へ行く機会があり、その合間に
日本100名城の1つ、小田原城に行ってきました。もちろん、違和感あるスーツ姿で。。。

小田原城は言わずと知れた、小田原北条氏の本拠だった城で、その後徳川家康の家臣大久保忠世が
城主となり、以後、明治維新まで大久保家が城主を務めました。
当時の天守閣は明治3年に残念ながら解体され、現在の天守閣は昭和35年に再建されたものです。
3重4階建ての白亜の天守閣は、今も小田原のシンボルになっています。
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天守閣を、少し角度を変えて、もう1枚。
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本丸。ん? 何か物足りない。あれ、いつ来てもここにあった象のオリがない[exclamation]
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と思って付近を歩いていると、インドゾウのウメ子のレリーフがありました。そうだったんですね。
60年にわたって、この場にいて、お城を見に来る人たちから、多少の意外感を与えつつも、親しまれて
きたわけですが、約3年前に亡くなったということです。きっとニュースで話題になったのでしょうけど、
今も当然にしているものだと思ってました。
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ちなみに、3年前の3月にも小田原城を訪れていますが、その時には確かに、インドゾウがいました。
(http://kyouichi.blog.so-net.ne.jp/2009-03-14)

昭和46年に復元された常盤木門。
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平成9年に復元された枡形門形式の銅門(あかがねもん)。二の丸の表門です。
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水掘の外から見た銅門。
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昭和10年に復元された隅櫓。ここには、大正12年の関東大震災で倒壊するまで、城内で唯一壊されず
に残っていた平櫓が建っていたそうです。
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平成21年に馬出曲輪に復元された馬出門。高麗式の門です。
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馬出門の全景。
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二の丸から小田原駅への向かう途中に、三の丸の入口にあったという幸田門跡がありました。
今までは車で行っていたので、この存在に気が付いてませんでした。
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そしてこれが、幸田門から東へ伸びる、土塁の跡です。一見、分かりにくいのですが。
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ただ、その脇に立てられた案内を見ると、当時の様子と今の状況を比較しやすく、イメージしやすいです。
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単に、「〇〇門跡」といった表示だけでなく、当時の様子をイメージしやすく、こんな案内がどこでもあると
助かります。
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ちなみにこの日、小田原に来る前に、これも仕事で、湯河原に行きました。で、こちらは湯河原駅に
着いたときにちょうど来た貨物列車です。
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小田原城は、さらに、本格的な史跡整備が続けられているそうです。
北条氏の頃を彷彿させる、大規模な、壮大な小田原城が復活してほしいものですね。
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コメント 5

hanamura

石垣・・・電車・・・ゾウ・・・(小田原城は御無沙汰してます。)
私がぁ・・・泣いてしまうツボを、どうして知ったのですか?
by hanamura (2012-06-16 23:06) 

kohtyan

秀吉が一夜城を築いて、やっと落とした小田原城ですから、
壮大なスケールだったのでしょう。
明治維新で、多くのお城を解体してしまったのは、惜しいことです。
by kohtyan (2012-06-18 11:20) 

ノリパ

小田原城は絵になりますね! スーツ姿でも革靴でも行けますから、とってもいいお城ですよね。それがしもゆっくりと観光に行きたいです!
by ノリパ (2012-06-18 21:02) 

やまびこ3

インドゾウのウメコがなくなったときに、小田原城公園にいって記帳してきました。
by やまびこ3 (2012-06-18 22:30) 

YUTAじい

おはようございます。
コメントありがとうございます・・・感無量です。

by YUTAじい (2012-06-19 05:05) 

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