大多喜城址へ [関東]
小湊鉄道を見た日、大多喜まで行きましたので、鉄道だけでなく、大多喜城址にも行ってきました。
今も残る大多喜城は、1590年に本多忠勝が入国して築城したものです。ただ、それ以前も、同じ場所に
古城があったようで、1521年に真里谷氏が小田喜城を築き、その後、正木氏、里見氏と続いたのちに、
本多忠勝が近世城郭を築いた、ということだそうです。
本多忠勝は、3層4階の天守を築きましたが、その後一時は廃藩になるなど、城は荒廃。天守は1813年には
焼失してしまったそうです。そして、昭和50年に、1835年当時の図面を基に再建されたのが、この天守です。
本丸の周辺には、土塁を思われる遺構もあります。
二の丸、現在の大多喜高校の駐車場に残る、周囲17m、深さ20mの大井戸。日本一の規模の井戸なんだ
とか。
大多喜駅の裏手に、わずかな土塁と共に残る、大手門跡。
大多喜高校にある、二の丸御殿の薬医門。現存する遺構です。
四ツ門跡。公園として整備されてます。
最後の藩主松平正質が1870年に着手し、翌年完成させたという、大多喜水道。
最後に、天守を遠くから。
大規模な城址でもありませんし、東京からだとやや不便な場所にありますが、小湊鉄道、そして、いすみ
鉄道の撮影と併せて訪問するにはちょうど良い史跡です。是非、一度、ここも行ってみて下さい。
今も残る大多喜城は、1590年に本多忠勝が入国して築城したものです。ただ、それ以前も、同じ場所に
古城があったようで、1521年に真里谷氏が小田喜城を築き、その後、正木氏、里見氏と続いたのちに、
本多忠勝が近世城郭を築いた、ということだそうです。
本多忠勝は、3層4階の天守を築きましたが、その後一時は廃藩になるなど、城は荒廃。天守は1813年には
焼失してしまったそうです。そして、昭和50年に、1835年当時の図面を基に再建されたのが、この天守です。
本丸の周辺には、土塁を思われる遺構もあります。
二の丸、現在の大多喜高校の駐車場に残る、周囲17m、深さ20mの大井戸。日本一の規模の井戸なんだ
とか。
大多喜駅の裏手に、わずかな土塁と共に残る、大手門跡。
大多喜高校にある、二の丸御殿の薬医門。現存する遺構です。
四ツ門跡。公園として整備されてます。
最後の藩主松平正質が1870年に着手し、翌年完成させたという、大多喜水道。
最後に、天守を遠くから。
大規模な城址でもありませんし、東京からだとやや不便な場所にありますが、小湊鉄道、そして、いすみ
鉄道の撮影と併せて訪問するにはちょうど良い史跡です。是非、一度、ここも行ってみて下さい。
お城の中の人たちを養うだけの大きさの井戸ですね。
by manamana (2011-09-26 23:15)
大きな井戸ですね。
それにしても千葉県は復元天守が多いね。
by ねじまき鳥 (2011-09-27 23:13)
大多喜城よく行きました。最近はご無沙汰なので、そのうち行ってみよう!
by hanamura (2011-09-27 23:17)
一度行ってみたいと思っているのですが...城跡は、そんな場所ばかりでなかなか訪問が進みません。
1回に1箇所ずつ、コツコツ訪問ですね。
by sonic (2011-09-30 11:36)
威厳のある立派な天守ですね。
by kohtyan (2011-09-30 12:58)
こんばんは
お城の天守閣は麓からもよく見えますね~
こんどは電車だけでなく登ってみたくなりました
by gardenwalker (2011-09-30 22:34)
大きな井戸ですね。周囲17mってすごい、気になります。
by ノリパ (2011-10-02 18:38)