ありがとう、木村拓也!(追悼試合を観戦) [その他]
昨日24日、東京ドームで行われたプロ野球、巨人対広島戦に、子供たちを連れて行ってきました。
この試合は、先日7日に脳卒中で亡くなられた木村拓也コーチの追悼試合。我が家も、木村コーチに
捧げるための自家製の応援ボードを作って参加してきたんです。
この日、22ゲート前広場には献花台が設けられ、その早すぎた死を悼むために、いつまでも多くの方が
列を作ってました。特に、赤いシャツを着たカープファンの姿が目立ったのが印象的でしたね。
この日、この後、ドーム内にてセレモニーや試合を観たわけですが、途中、(涙もろい私としては)何度も
流れる涙を抑えることができなくなりました。
まず、試合前の両チーム先発メンバー発表後のこと。いつも、最初にジャイアンツファンが、先発メンバー
の応援歌を打順に合わせて歌い、そしてチームの応援歌などを続けるのですが、木村コーチが亡くなって
以来、1番~9番、そして原監督の応援歌の後に、木村拓也コーチの応援歌を歌うことになってます。
このとき既に、とにかくジーンときてしまった訳ですが、涙が止まらなくなったのはむしろそのあと。巨人側
の応援歌、応援コールが終わると、今度は広島ファンによる応援歌となる訳ですが、この日は、1番から9番
まですべて、木村コーチのかつての応援歌。それに続くチャンスの時に歌う応援歌なども全て木村コーチ
に向けたエールでした。そしてこれに、レフトスタンドだけでなく、ライトスタンドや一塁側のジャイアンツファン
も呼応し、一緒に手をたたき、一緒に「かっとばせ~、た~く~や~!」とドーム全体が歌うことになったの
です。いやぁ、この時はもう涙が止まりませんでした。さすが、広島ファンの粋な計らいに、感動させてもらい
ました。
さて、続いて、試合直前の追悼セレモニーが行われました。
両軍ナインもベンチ前に整列する中、オーロラビジョンには、木村コーチの日ハム時代から広島時代を経て
今年に至るまでの雄姿を綴った映像が流されました。中でもやっぱり一番印象的なだったのが、今や神話
化してると言っても過言ではない、昨年9月の捕手木村のシーン。この時の姿は今も目に焼き付いてます。
続いて、全員に配られたオレンジ色の応援ボードを掲げて、全員で、応援歌の大合唱。もちろん、3塁側の
スタンドも。
そしてレフトスタンドも。オレンジ一色に染まってました。
続いて、観客、選手、審判など全員による黙祷。天国で笑顔で見守ってるであろう木村コーチにそれぞれの
思いを捧げました。
このあとが、またまた、感動のシーンです。木村拓也コーチのご長男、恒希くんによる始球式。
私だけでなく、周りの人達も、目頭をハンカチで押さえ、あるいは鼻をすする人がたくさんいました。
ジャイアンツの内野陣に囲まれる中でのその一球は、見事ノーバウンドで阿部捕手のミットへ。この時は
もう、東京ドームはレフトもライトも内野も、「こうき!こうき!こうき!」の大歓声。野球を見に来て、こんなに
泣けたのはもちろん生まれて初めてです。
また、この後も感動は続きます。投げ終えた恒希くんに、阿部慎之助捕手が近寄り、ボールを渡した
だけでなく、頭をなでながら、ずいぶんと長い間、話してたんです。きっと、「みんながついてるから、
何があっても負けるなよ」とか「いつもお父さんが見守ってくれてるからな」とか言ってたんでしょう。
この辺りから、目の前がかすんで見えなくなる位、涙の連続です。
そして、ジャイアンツナインと握手した後、原監督からも、いろいろと激励されてたようです。早くにお父さん
を亡くしてしまった子供たちに対する思い、野球選手ではない私にも多少なりとももわかるだけに、余計に、
感動的に思いましたね。
さてこの後の試合、両チームとも、木村拓也コーチに捧げる、という強い思いが、観ていて手に汗握る
ような好ゲームになったようです。現役時代の木村拓也が乗り移ったかのような好プレーの連続でしたが、
その熱戦に終止符を打ったのが、同じ年で、チームでも一番の仲良しだったという谷佳知選手。まるで、
筋書きに書かれていたかのようなドラマチックな展開になりました。その、代打満塁逆転ホームランの谷
選手が、試合後のヒーローインタビューで、今は亡き木村拓也コーチへの思いから、目に涙を溜め、言葉を
詰まらせる姿に、またここでも泣かされました。
表現力がないので、うまく伝わらないとは思いますが、昨夜の追悼試合には、本当に、感動させて
いただきました。
せっかくなので、昨年ドームで撮った、木村コーチの生前の写真も載せてみたいと思います。もちろん
無許可ですが、追悼の思いに免じてお許しください。
こちらは、4月4日の試合前のウォーミングアップの様子。小笠原、ラミレスとともに。
続いては、6月28日。試合前、バント練習中の木村拓也。真剣な表情が素敵ですね。
そして、ジャイアンツが優勝を決めた9月23日。試合前の打撃練習に備えている時です。
同じ23日。優勝が決まり、紙テープが投げられた瞬間の両チームのメンバー。2番セカンド木村拓也、です。
優勝が決まり、マウンドに駆け寄るジャイアンツナイン。木村拓也が広島から移籍してきて以来、連覇への
歩みが始まったんですよね。
胴上げに参加する木村拓也。グラブをはめたまま、後方で手を大きく挙げる姿も、もう見られないんですね。
ナインとともに、グランドを一周。この時、どんな思いでファンを、スタンドを観ていたのでしょうか。まさか、
それから半年後にこんなことになるとは。。。
最後の最後の、11月23日。ファンフェスタで引退セレモニーを行った時の写真です。今思えば、こういう
写真を撮っておいて良かった。私にとっては、お宝の一つになりました。
巨人ファンであるとともに、2004年から2年間広島で生活したという、わずかながらも縁のある私にとっても、
木村拓也コーチのあまりにも早すぎる死は無念でなりません。
木村拓也コーチのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
『狙い澄ました一撃が、勝利を決める Vへの道、拓け木村拓也!』
ありがとう、木村拓也。さようなら、木村拓也。君のプレーは、いつまでも忘れない!
追悼式とは関係ありませんが、試合前の練習では、この日のヒーロー谷選手も一塁の守備練習をして
ました。李、ヨシノブ、谷、何と豪華なメンツでしょう。近く、相手が左投手の時にでも、ファースト谷、という
時があるんでしょうね。それはそれで、楽しみです。
この試合は、先日7日に脳卒中で亡くなられた木村拓也コーチの追悼試合。我が家も、木村コーチに
捧げるための自家製の応援ボードを作って参加してきたんです。
この日、22ゲート前広場には献花台が設けられ、その早すぎた死を悼むために、いつまでも多くの方が
列を作ってました。特に、赤いシャツを着たカープファンの姿が目立ったのが印象的でしたね。
この日、この後、ドーム内にてセレモニーや試合を観たわけですが、途中、(涙もろい私としては)何度も
流れる涙を抑えることができなくなりました。
まず、試合前の両チーム先発メンバー発表後のこと。いつも、最初にジャイアンツファンが、先発メンバー
の応援歌を打順に合わせて歌い、そしてチームの応援歌などを続けるのですが、木村コーチが亡くなって
以来、1番~9番、そして原監督の応援歌の後に、木村拓也コーチの応援歌を歌うことになってます。
このとき既に、とにかくジーンときてしまった訳ですが、涙が止まらなくなったのはむしろそのあと。巨人側
の応援歌、応援コールが終わると、今度は広島ファンによる応援歌となる訳ですが、この日は、1番から9番
まですべて、木村コーチのかつての応援歌。それに続くチャンスの時に歌う応援歌なども全て木村コーチ
に向けたエールでした。そしてこれに、レフトスタンドだけでなく、ライトスタンドや一塁側のジャイアンツファン
も呼応し、一緒に手をたたき、一緒に「かっとばせ~、た~く~や~!」とドーム全体が歌うことになったの
です。いやぁ、この時はもう涙が止まりませんでした。さすが、広島ファンの粋な計らいに、感動させてもらい
ました。
さて、続いて、試合直前の追悼セレモニーが行われました。
両軍ナインもベンチ前に整列する中、オーロラビジョンには、木村コーチの日ハム時代から広島時代を経て
今年に至るまでの雄姿を綴った映像が流されました。中でもやっぱり一番印象的なだったのが、今や神話
化してると言っても過言ではない、昨年9月の捕手木村のシーン。この時の姿は今も目に焼き付いてます。
続いて、全員に配られたオレンジ色の応援ボードを掲げて、全員で、応援歌の大合唱。もちろん、3塁側の
スタンドも。
そしてレフトスタンドも。オレンジ一色に染まってました。
続いて、観客、選手、審判など全員による黙祷。天国で笑顔で見守ってるであろう木村コーチにそれぞれの
思いを捧げました。
このあとが、またまた、感動のシーンです。木村拓也コーチのご長男、恒希くんによる始球式。
私だけでなく、周りの人達も、目頭をハンカチで押さえ、あるいは鼻をすする人がたくさんいました。
ジャイアンツの内野陣に囲まれる中でのその一球は、見事ノーバウンドで阿部捕手のミットへ。この時は
もう、東京ドームはレフトもライトも内野も、「こうき!こうき!こうき!」の大歓声。野球を見に来て、こんなに
泣けたのはもちろん生まれて初めてです。
また、この後も感動は続きます。投げ終えた恒希くんに、阿部慎之助捕手が近寄り、ボールを渡した
だけでなく、頭をなでながら、ずいぶんと長い間、話してたんです。きっと、「みんながついてるから、
何があっても負けるなよ」とか「いつもお父さんが見守ってくれてるからな」とか言ってたんでしょう。
この辺りから、目の前がかすんで見えなくなる位、涙の連続です。
そして、ジャイアンツナインと握手した後、原監督からも、いろいろと激励されてたようです。早くにお父さん
を亡くしてしまった子供たちに対する思い、野球選手ではない私にも多少なりとももわかるだけに、余計に、
感動的に思いましたね。
さてこの後の試合、両チームとも、木村拓也コーチに捧げる、という強い思いが、観ていて手に汗握る
ような好ゲームになったようです。現役時代の木村拓也が乗り移ったかのような好プレーの連続でしたが、
その熱戦に終止符を打ったのが、同じ年で、チームでも一番の仲良しだったという谷佳知選手。まるで、
筋書きに書かれていたかのようなドラマチックな展開になりました。その、代打満塁逆転ホームランの谷
選手が、試合後のヒーローインタビューで、今は亡き木村拓也コーチへの思いから、目に涙を溜め、言葉を
詰まらせる姿に、またここでも泣かされました。
表現力がないので、うまく伝わらないとは思いますが、昨夜の追悼試合には、本当に、感動させて
いただきました。
せっかくなので、昨年ドームで撮った、木村コーチの生前の写真も載せてみたいと思います。もちろん
無許可ですが、追悼の思いに免じてお許しください。
こちらは、4月4日の試合前のウォーミングアップの様子。小笠原、ラミレスとともに。
続いては、6月28日。試合前、バント練習中の木村拓也。真剣な表情が素敵ですね。
そして、ジャイアンツが優勝を決めた9月23日。試合前の打撃練習に備えている時です。
同じ23日。優勝が決まり、紙テープが投げられた瞬間の両チームのメンバー。2番セカンド木村拓也、です。
優勝が決まり、マウンドに駆け寄るジャイアンツナイン。木村拓也が広島から移籍してきて以来、連覇への
歩みが始まったんですよね。
胴上げに参加する木村拓也。グラブをはめたまま、後方で手を大きく挙げる姿も、もう見られないんですね。
ナインとともに、グランドを一周。この時、どんな思いでファンを、スタンドを観ていたのでしょうか。まさか、
それから半年後にこんなことになるとは。。。
最後の最後の、11月23日。ファンフェスタで引退セレモニーを行った時の写真です。今思えば、こういう
写真を撮っておいて良かった。私にとっては、お宝の一つになりました。
巨人ファンであるとともに、2004年から2年間広島で生活したという、わずかながらも縁のある私にとっても、
木村拓也コーチのあまりにも早すぎる死は無念でなりません。
木村拓也コーチのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
『狙い澄ました一撃が、勝利を決める Vへの道、拓け木村拓也!』
ありがとう、木村拓也。さようなら、木村拓也。君のプレーは、いつまでも忘れない!
追悼式とは関係ありませんが、試合前の練習では、この日のヒーロー谷選手も一塁の守備練習をして
ました。李、ヨシノブ、谷、何と豪華なメンツでしょう。近く、相手が左投手の時にでも、ファースト谷、という
時があるんでしょうね。それはそれで、楽しみです。
感動的なレポートをありがとうございます!
by sonic (2010-04-25 22:44)
捕手も含めて、どこでも守れるユーティリティプレイヤーでしたね。
地味かもしれませんが、こういった選手の活躍が優勝には不可欠です。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
by つぼっち (2010-04-25 22:56)
感動ですね。
私自身も目頭熱くなりました。
by ひで@ (2010-04-25 22:59)
・・・表現力がないので、うまく伝わらない・・・
と書かれていますが、十分に伝わりました。 ;
by 38410415 (2010-04-25 23:00)
↑ 同感です~
貴重な記事ありがとうございます。
by ユーフォ (2010-04-26 03:16)
お人柄が偲ばれますね。
モニターが霞んで仕方ないです。
by とり (2010-04-26 07:02)
巨人ファンでも広島ファンでもないのですが、追悼試合は最後まで、テレビ観戦していました。素晴らしい試合でしたね。恒希くんも、お父さんの後を継いでほしいです。
by kohtyan (2010-04-26 08:52)
阿部捕手が近寄っていったシーンは
ちょっと胸にくるものがありました。
by pica (2010-04-26 18:14)
自分もTVで見て泣けてきました。
by しおつ (2010-04-26 22:04)
こんにちは。
いつか広島にも帰ってくると信じていたのにこんなに早く逝ってしまうなんて残念でしかたがありません。
by OILMAN (2010-04-26 22:39)
キムタクさんが昨年、キャッチャーとして3人のバッターを
抑えたのが非常に印象に残っています。
同年代だからなのか、キムタクさんのニュースが流れた時、
涙が出てきました。
息子さんが始球式をした日、確か同期になる谷選手が決定打を
打ったんですよね。なにか、運命のようなものを感じます。
by ひまわり (2010-04-27 11:59)
派手な選手ではなかったですが
記憶に残るいい選手でした。
選手一丸となって優勝して、木村コーチと喜びを分かち合いたいですね!
by 肉球 (2010-04-27 12:56)
息子さんのノーバウンドの始球式には
わたしも泣いてしまいました。
きっとお父さんの気持ちを心に、力強く成長してくれると思います。
by taue (2010-04-27 21:23)
木村ジュニア、良い玉、投げましたね!
父の魂は息子に受け継がれていくことでしょう!
by 袋田の住職 (2010-04-28 14:56)
原監督や選手達から自然に溢れる涙が
キムタクの人柄が偲ばれましたね。
言葉に出来ないほど残念でなりません。
御冥福をお祈りします。
by hrd (2010-04-29 09:26)
みんなに愛されるお人柄だったんですね。ご冥福をお祈りします。
お子様も強く育って、野球選手になってほしいですね。
by ノリパ (2010-04-29 17:19)
ありがとう!キムタク!
あの試合の模様です。
http://da-kura.blog.so-net.ne.jp/2009-09-05
by da-kura (2010-04-29 17:43)
球史に残る追悼試合でした、野球界のキムタクは存在は地味でしたが、いぶし銀の活躍はファンの胸に残り続けますね、遺児の始球式も巨人広島のファンが一体となったシーンも感動的でした。
by fuzzy (2010-04-30 17:16)